鬼怒川水害まさかの三坂 1

 

「決壊幅200m」の虚偽

 

鬼怒川水害の真相 三坂町 4」のつづきです。

Sept., 5,  2019

 

「断面」だけ見ている国土交通省の「堤防決壊メカニズム」

 

 「鬼怒川水害の真相 三坂町」などとご大層なタイトルで4ページほど費やし、三坂町(みさかまち)地先・左岸21km地点での破堤原因として国土交通省関東地方整備局が当初もくろんだ「越水破堤論」が、東京大学の芳村圭(よしむら・けい)准教授の長靴一足であえなく破綻し、「越水と浸透の複合原因論」「越水浸透共働原因論」)に転換したところまでを見てまいりました。このことをただしく見て取っているのは、いまのところ公表されたものとしては茨城大学の災害研究プロジェクト(reference3)が唯一のようです。報道はもちろんのこと、残余のあまたの論評はことごとくこの点を見逃し、ナイーブにも国土交通省関東地方整備局が断念した「越水破堤論」をそのまま信じこんでいるようです。

 

 とりわけ、国土交通行政の批判者が、この「越水破堤論」を前提にして、すなわち堤防の高さの不足がこのたびの水害の原因であったとしたうえで、ダム建設にばかり予算を投入して堤防整備を怠ったことを批判するという、少々迂遠ながらきわめて単純なレトリックを展開していることに、留意しなければなりません。ダム建設にばかり予算を投入して堤防整備を怠ったことは事実その通りですから、このような主張それ自体は誤りではありません。しかし、それは、国交省の治水・利水行政の誤りの立証としては本筋ではなく、あくまで付随的なものに止まるということです(水害の原因論としては実体的要因にかんする中心的論点ではなく、行政方針にかんする付随的論点であるということであり、重要でないという意味ではありません)。この点については、別に論じなければなりませんが、今ここで問題視しているのは、それ以前の点、すなわち前提として「越水破堤論」という単純で誤った主張、国交省自身がすでに放棄した主張を、引き受けてしまっていることです。

 「批判者」が、水害の根本原因について、行政当局がすでに断念している誤った認識(越水破堤論)を事後的に「共有」するという、被災者でなくてもおおいに失望せざるをえない状況は到底見逃すべきものではありませんから、この点について詳細に検討するのがこの項目(「鬼怒川水害まさかの三坂)の目的です。

 

 しかしながら、 しぶしぶ「越水破堤論」を脱却したはずの国土交通省関東地方整備局は、「越水浸透共働原因論」のとば口に立ったものの、そこで立ち止まってしまい、三坂町地先鬼怒川左岸21k地点の破堤の全貌を捉えるにはいたっていません。これは、ほかのさまざまの事実について関東地方整備局がしているような隠蔽や歪曲とは事情が少々異なります。データの隠蔽や恣意的なデータの引用、あるいは写真や証言などの隠蔽・低解像度化、さらには虚偽であることを承知のうえでおこなう説明図の提示などにしても、(個人や小グループでも起きることですが、なおのこと)大規模な組織ともなれば自分で自分に隠し事をして結局自分で自分を騙すという、嘘の自家中毒現象が不可避です。国土交通省関東地方整備局は、嘘つきが習い性と成ってしまったようで、嘘デタラメばかり並べて、国民を騙し続けているわけですが、この件は少々は違います。自分たちだけわかったうえで、それを外部に隠しているというのではなく、ほんとうにわかっていないのです。堤防を「点」でだけ見ていて「線」あるいは「システム」として捉えていないとして大学の河川工学研究者たちを虚仮にした吉川勝秀は、出身組織である建設省=国土交通省の矜持を示したつもりなのですが(真相・三坂町3)、それをいうなら国土交通省は堤防を「断面」でしか見ていないのです。

 五十歩百歩です。

 

 

「鬼怒川堤防調査委員会」資料

http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000633118.pdf



 

 上は、前にも引用した国土交通省による「堤防決壊のメカニズム」の図解です。小学生相手のパンフレットのためのイラストではありません(これでは小学生だって満足しないでしょう)。2015年9月28日の第1回「鬼怒川堤防調査委員会」の資料として関東地方整備局河川部の官僚が用意したものです(ただし、オリジナルではなく、もともと国土交通省があちこちで使い古したものの再利用です)。こんな「ポンチ絵」を「堤防決壊のメカニズム」の説明だとして出す方も出す方ですが、出された方の「専門家」の先生方もこんなものを出されて「バカにするな」と怒って突き返したわけでもないようです。翌日の新聞やテレビは、これをもとにさらに簡略化した図を載せて、そもそも決壊原因には3種類あって云々、としたり顔で講釈を垂れているのです。じつは、当ウェブサイトとしては、以前、決壊原因の「3類型」について触れた際のコンテンツにしようと考えて、Google の画像検索なども使っていろいろ探したのですが、ろくなものがないのです。これなどまだいい方で、本当にひどいものばかりです(「ポンチ絵」とは、福島第一原子力発電所の爆発事故の際に多用された原子炉の図に対する、広瀬隆による的確なコメントです)

 問題点をいくつか指摘しておきます。

 

(1)冒頭に断り書きがあり、「複合的な要因となる場合も多いことに留意が必要です」というのですが、その「複合的な要因」によって決壊する場合について、いっさいの説明がないのです。たしかに、3つの類型に分類することで複雑な事象を本質的に理解できるということではありますが、なにごとも程度問題です。最初の国土交通省関東地方整備局の目論見では、「越水」だけで全部説明できるとして、他の要因を全部排除するつもりでいたのであり、そのような場合には単純な3類型で事は足りるでしょう。しかし、越水も起きていたが、同時に浸透も起きていた「可能性を否定できない」というのであれば、そしてこれこそが三坂町の事例なのですが(今こう書くと論点先取になってしまいますが、今後この推定の根拠を示します)、こうしたことがまったく視野にはいっていないのです。このポンチ絵程度の認識では、到底用が足りないのです。

 

(2)断面を2次元的に描画してあるために、それぞれの現象がどのような幅をもって起こるのかが、一切わかりません。たとえば、「パイピング」は文字どおり水の通り道となる細い管(これがパイプ)ができるのですが、それでもまっすぐではありませんし、堤防の延長方向に対して直角というわけでもないのですから、断面図では描ききれません。まして「越水」であれば、かなりの幅にわたっておきるわけです。「越水による破堤」も当然、そうでしょう。それらの現象を、1か所だけの断面の3コマ漫画で描き出すことは本質的に無理です。せめて立体透視図法で示すことくらいはすべきですが、そのような例はただのひとつもありません。そもそもそういう発想がないのです。断面でしか考えていない、おそろしく薄っぺらな空間感覚です。

 

(3)上の(2)と関連しますが、ある箇所が決壊するとそれに隣接する箇所は、横から洗掘が起こって破堤していくはずなのに、その点について説明していません。三坂町でもそうですが、最初に、ある部分で堤体が流出して、深い水深のまま氾濫水が堤内地へと流れ込むようになると、氾濫水が左右の堤防断面を横から洗掘するようになるわけです。そのような単純な事実が、この手のポンチ絵による説明においてはまったく表現できないのです。それどころか実際の堤防決壊例についての説明文書等でも、そのようなことはまったく触れられることはありません。あまりにも当たり前だから、などという言い訳は通用しません。

 

(4)水防活動における用語としては、「決壊」には、堤防の堤体全体が失われて河川水が堤内へと流入する「破堤」だけでなく、「侵食」や「法崩れ(のりくずれ)」をも含むようですが、この図に限らずあまりにもルーズな用語法が横行しているために、しばしば混乱を引き起こしているのです。三坂町の堤防の「決壊」幅は、200mとされていたようですが、このうち上流側の約30mは川表(かわおもて)側から洗掘が進んだものの、川裏(かわうら)側の法面(のりめん)だけはかろうじて残っています。「侵食」によって川表側の「法崩れ(のりくずれ)」、「深掘れ」までは起きていたが、決して「破堤」してはいないのです。これはもう何度も触れたことですが、9月13日の視察で「専門家」の先生方はその脇を俯いて通り過ぎてこの重要な事実をうっかり見逃したようです。国土交通省関東地方整備局の技官たちもそのことの重要性には気づかないふりをしているようです。用語の混乱は、「200m」を全部一緒くたにしてまとめて面倒見てしまって、詳細に見ようとしないことと無関係ではありません

 

(4)について補足

 こんなことは言葉尻の問題にすぎず、本質的な問題ではないという人がいるかもしれませんが、とんでもないことです。基本的な用語の誤用はどんな場合であっても許されることではありません。

 若宮戸の河畔砂丘 river bank dune を「自然堤防 natural levee 」と呼ぶのは、地理学や河川工学の素人である住民が当初そうだったことはやむをえないとしても、どこかの段階で訂正されるべきだったのですが、今に至るも誤用が続いているのです。国土交通省は、その誤用につけこんで私たちを混乱させるために、「いわゆる」をつけてわざと間違った使い方を広報しているのです。能力はあるのでしょうが勉強不足の新聞記者や、中学生程度の知識も持たない「専門家」と称される人たち、果ては本職の大学教授たちまでがいつまでも誤用に気づかず、あるいは指摘されても意地をはって直さず、あいかわらず「自然堤防」と呼んでいるのです。これでは底意地の悪い役人に嗤われるのも当然です。水害の話をしている時に「自然堤防」の語を間違って使ったのでは、話にもなりません。そもそもその程度の間違いをおかすような人は、最初から「専門家」としての資質を持たないことを自ら広言しているだけの話で、ほかのことでの自信たっぷりの断定も、これでは迂闊に信用できないことになります。

 国土交通省関東地方整備局は、当初、若宮戸の25.35k地点(ソーラーパネルの地点)の氾濫を「越水」と呼んでいました。内閣官房情報調査室が「決壊」と書いたのに目くじらを立てて、堤防がないのだから堤防の「決壊」は起きていないということで訂正させたくせに、そういう自分で堤防がないのに堤防を「越水」した、と言っていたのです。しばらくしてから、「越水」をやめて、「溢水(いっすい)」に変更しました。

 堤防が壊れるのが「決壊」で、堤防の天端を河川水が越えるのが「越水」です。いずれにしても若宮戸のように堤防のないところでは、「決壊」はもちろん「越水」も、定義上起きようがないということで、「溢水」を持ち出してきたのでしょう。だったらそう断り書きを入れるべきであったのに、絶対にそうしないのです。もっとも、土嚢の「品の字」積みに効果があったと、嘘を承知でいまだに言っているのですから、その堤防(「自然堤防?」)のかわりの土嚢が「決壊」したと言っても差し支えがないことになりますが。

 

 そもそも「溢水」とは、旧刑法条文において重大な罪状を指した語です。すなわち現行刑法第191条にいう「出水(しゅっすい)」の罪であり、その罰条は「死刑又は無期懲役若しくは三年以上の懲役」という、きわめて重大な犯罪です。これなど、国土交通省官僚団が、無意識にみずからの罪深さに気づいて(「集合的無意識」?)、知らず識らずのうちに自分たちのしてきたこと(しなかったこと)と向かい合った結果の用語変更だったのかもしれません。

 

 以上のことは、何も知らない素人の感想に過ぎません。しかし、河川工学だとか水理学、水文学(すいもんがく)だとかの「専門家」を自称する人たち、さらにそれら「専門家」を内心で虚仮にしている国土交通省のお役人さんたちの言っていることは、この程度のことなのです。車やカメラ、電化製品などについて、ほとんど無意味な評価を下して生計を立てている「専門家」「評論家」と同じと言いたいところですが、すくなくともそれらの人たちは、一応は現物に触れ、すこしは使ってみたうえで、あれこれご託宣を垂れているだけまだマシでしょう。(それに褒めちぎっていたところで、本気でそう思っているわけではなく、いろいろ使ってみた経験は豊富なわけで、内心ではこんなポンコツ!と思っても、そんなことを言ったら最後、二度とお声がかからなくなるのでぐっと堪え、当たり障りのない称賛を並べるわけです。)

 鬼怒川水害に関して偉そうにお説教する人たちは、現地も見ない、地図も見ない、写真も見ない、見たとしてもチラ見程度で、在り来たりの浅薄な結論を捻り出してしまうのです。現地調査を自前でやらないで、顎脚付きの大名行列か園児の遠足のように引率されるなど問題外でしょう。しかもこういう場に、カメラも物差しも持たずに来るのですから、その能天気ぶりは相当のものです。

  


 

決壊か、それとも破堤か?

 

 上の(4)で指摘した点について、すこし検討してから話をすすめたいと思います。決壊幅とされる「200m」を一括して論じて良いのかどうか、という点です。

 まず第一に、さきほど述べた通り、決壊幅約200mのうち、破堤した部分と破堤に至らなかった部分とを区別する必要があります。

 そのうえで、こんどは破堤した部分についても一括して論ずるのではなく、たどった経過にかんがみていくつかの区間に分割しなければなりません。

 

 まず、決壊幅約200mのうち、破堤した部分と破堤に至らなかった部分との区分です。

 

 グーグル・クライシス・レスポンスが、2015年9月11日11時21分に撮影して公開している航空写真(https://storage.googleapis.com/crisis-response-japan/imagery/20150911/full/DSC02788.JPG)をトリミングしたものです。問題の箇所にはブルーシートがかけられています。その右=下流側がケヤキです。「決壊」はしていますが、「破堤」には至っていません。

 

 

 おなじくグーグル・クライシス・レスポンスの写真で、その1分前の写真(https://storage.googleapis.com/crisis-response-japan/imagery/20150911/full/DSC02786.JPG)をトリミングしたものです。川裏側法面がよく見えます(ブルーシートと建物の間の草地)。

 

 

 これもグーグル・クライシス・レスポンスの写真です。さきほどの写真の翌日、9月12日午前9時2分です。

https://storage.googleapis.com/crisis-response-japan/imagery/20150912/full/DSC01506.JPG

 決壊幅約200mのうち、上流部を拡大すると下のとおりです。ケヤキの向こうが加藤桐材工場の倉庫、このあと見る「赤い腰壁の建物」です。左の黄色のバックホウが乗っている舞台は1日で盛ったものです。その舞台ときれいに折りたたんだ用済みブルーシートとの間に堤防天端のアスファルトが残っています。下流側には、剥落したアスファルトの巨大な破片が見えます。

 斜めにバックリと洗掘されながらも川裏側(河道の反対側)の法面は残っています。

 緑矢印はこの後の写真の撮影方向です。


 

 次は仮堤防工事に着手した時点の、国土交通省関東地方整備局撮影の写真です。2015年9月12日にケヤキの木陰から上流方向を見たところで(さきほどの緑矢印)、川裏側法面の破断面、剥落した天端の末端、その向こうの急造舞台、舞台をつくっている最中のKOMATSUの黄色バックホウが写っています。川表側が洗掘され、川裏側の半身だけが残った様子がよくわかります。測定ポールの紅白はそれぞれ20cm。奥は高水敷に自然に繁茂してしまった樹林です。川裏側法面の「粘性土」と言っているあまり質のよくない土が1.5mくらいあり、その下は堤防の材料としてはまったく不向きな砂の層になっているようです。とはいうものの、ここより下流側は、堤体底部まで全部流失したのに、ここだけはかろうじて川裏側法面が残り、もちろん堤体下部も残っているわけで、定義上「破堤」にいたっていないのです。こんな土質でも下流側よりまだ丈夫だったということなのかもしれません。重大な点ですので数ページ先で検討します。

http://www.ktr.mlit.go.jp/honkyoku/kikaku/data/photo/hukkyu/20150912_03/DSCF2201.JPG

 

 

 次は、2015年9月13日午前の「堤防調査委員会」の「専門家」による現地調査の様子で、主催者の関東地方整備局が公表したものです。正面は、上の写真のケヤキと加藤桐材工場です。天端のコンクリートの残骸がまだ散乱していますが、直下の押堀(おっぽり。あらゆる場で使われる「落堀」は誤用)はすでに埋め戻され、巨大なテトラポッドが敷設されています。http://www.ktr.mlit.go.jp/honkyoku/kikaku/data/photo/sonota/20150913_3/P1070937.JPG

 

 本来は、押堀を埋め戻して築堤することは、避けるべきとされています。その避けるべきことをやってしまった結果がどうなっているのかは、水害当日の状況をひととおり見終わった後でご覧いただきます。

 

 「委員」4人とゲストらしいお歴々は、支給されたヘルメットをかぶり、配られた封筒入りの資料を持って撤退中ですが、こんな大事な箇所なのにまったく興味はなさそうで、前の人の背中しか見ていません。誰もカメラを持参していないようです。周囲の状況を観察しているのは、無帽の新聞記者と右奥の赤キャップのカメラマンだけです。ただし観察対象は決壊状況ではなく、決壊状況にあまり興味のない「委員」ですが……。「鬼怒川堤防検討委員会」による「現場調査」が、マスコミ向けのイベントだということがよくわかります。

 このあと、4人は対岸の篠山排水門の大駐車場に連れて行かれて関東地方整備局の技官からパネル(紙芝居)でレクチャーを受けます。そこで安田進委員長は、見えるはずのない地下の「しっかりした地盤」まで透視して太鼓判を押す台詞を喋らされることになります。「越水唯一原因説」は全国放映され、すぐに赤っ恥をかくことになります(別ページ参照)。

 

 

 下の2枚は、2015年12月15日に撮影したもので、すでに仮堤防が完成したあとです。橙フェンスの向こうに仮堤防のコンクリートブロックの上流端が見えます。画面中央が加藤桐材工場の赤い腰壁の建物と落葉したケヤキです。草が生えている川裏側法面はもとのままと見てまちがいないでしょう。

 

 

 2枚目は、下流側に前進したところです。右下隅に見えている灰色の砂は水害後に盛り土したものですが、草の生えている川裏側法面部分は、かなり長時間越水していたもののこのように残っているのです。左下隅の赤標石は河川区域境界です。形式上ここが川裏側法面の基底部ということですが、実際には斜面はまだ続いていて、倉庫の地盤はもっと低いのです。

 

 堤防のあるところでの河川区域は川裏側(堤内側)法尻まで、というのが河川法・河川法施行令の規定のはずですが、ここでは法面の中段に境界線を引いてしまっているわけです。間違えることなどありえない堤防区間でさえこの調子です。若宮戸河畔砂丘のような無堤部でまるきりデタラメに河川区域を決め(1966〔昭和41年〕)、以来まともな河川管理を一切せずに放置して、案の定大氾濫を引き起こした(2015〔平成27〕年)のです(若宮戸の河川区域設定については「若宮戸の河畔砂丘12」と「13」参照)。

 

 

 

 加藤桐材工場の薄いベニヤ板の壁はだいぶ押し込まれているものの、原型をとどめています。アルミサッシのガラスもまったく無傷です。屋根がだいぶくたびれていますが、ここまで冠水したわけではありません。水害とは無関係です。右奥のケヤキは12月なのですでに落葉していますが、枯れているわけではありません。(翌年には再び葉をつけましたが、復旧堤防新設の際、伐採されました。)

 ケヤキの根元、手前側の灰色の土砂や向こう側の土嚢は、水害後のものです。さきほどの委員撤退写真と見比べると埋め戻しがどのようにおこなわれたかがわかります。ケヤキの根が露出するほどだったのですが、その地点でも見ての通りたいして頑丈でもない建物が流失せず残っているのです。堤防の川表(かわおもて)側はほとんど洗掘され、天端のアスファルト舗装も剥落しましたが(これが「決壊」)、川裏側法面と基底部まで流失した(これが「破堤」)わけではありません。定義上ケヤキの地点までの堤防は決壊はしたが破堤していないのです。

 

 この加藤桐材工場の赤い腰壁地点で激しい越水が起きていた写真(上の撮影時刻入り写真)をさんざん見せられたもので、当然、この建物は跡形もなく流失してしまったと思っていましたから、仮堤防完成後の2015年10月になってここに来た時には本当に驚きました(その時の写真もありますが、アングルがよくなかったので撮り直したのがさきほどのものです)。三坂における破堤の原因は越水である、というそれこそ洪水のような宣伝・広報の虚構性と、それを真に受けた報道の無責任、さらにはこういう見え透いた宣伝を疑いもしない「専門家」「学者」の知ったかぶりが一瞬にして暴露されたのです。

 

 そんなのはコトバのうえだけのことで大した問題ではない、などと言っている場合ではありません。国土交通省関東地方整備局の技官や、そこから情報提供を受けて「研究」している身内の国策派治水利水学者らは、「破堤幅=流入幅は200mだった」ことにして氾濫水量をシミュレートしているのでしょう。氾濫シミュレートと言ったところで「世界で二番目」のスーバーコンピュータに膨大な初期条件をインプットし、何日もかけて演算するわけではなく、ゲーマー御用達のゲーミングパソコンの千分の一程度の能力の安物のノートパソコンで動く簡易氾濫シミュレーションソフトウェアの「iRIC」に、大雑把な初期条件をチョチョイのチョイと打ち込んで数分で答えが返ってくるチープな作業ですが(シミュレーションについては別ページ参照)、初期条件のなかでも流量と並んで根本的な変数である流入幅が2割近く違うのです。

 


 

「決壊」と「破堤」の語義について

 

 ここで、「決壊」という用語をめぐる混乱を整理しておきます。

 国土交通省関東地方整備局は、「破堤」という語の使用には消極的なようです。国土交通省河川部が設置した審議会のひとつである「洪水等に関する防災用語改善検討会」が2006(平成18)年6月22日に、「洪水等に関する防災情報体系のあり方について(提言)」(https://www.mlit.go.jp/river/shinngikai_blog/past_shinngikai/shinngikai/bousaiyougo/060622/s01.pdf)を出していて、そのなかで、「破堤」は今後は「決壊」にかえることを提言しています。この提言の動機・目的は次のとおりです。

 

これまでの防災情報の用語・表現 を総点検し、これまでのともすれば発信者側の用語・表現であったものを抜本的に見直し、受け手側にたったものに改善する検討を行った。洪水時等の 防災情報をいかに避難等の行動に結びつけるかという視点で議論を重ね、住民、地方公共団体等の防災担当者や報道機関等が防災情報の危険度の表現や使われている用語を理解でき、その的確な判断や行動に繋がるようにする方策について提言として取りまとめた。

 

 改善すべきとされた用語は次の通りです。

 


 

 「住民」「防災担当者」「報道機関」が理解できて、「的確な判断や行動に繋がるようにする」というのは、たいへん結構なことではあるのですが、提言の中身をみるとほとんどが的外れです。たしかに、治水や水防に関する用語は、日常語とはだいぶ違うのですが、かといってヨーロッパ語をそのままカタカナで表記したとか、漢語に置き換えたいかにも学術用語らしきものはあまりありません。つまり厳密な専門用語というようなものでなく、ある範囲で使われてきた用語、悪く言えば符牒や隠語に近いのです。明治以降にヨーロッパの自然科学やその応用技術を直輸入して、全部が一度に成立した領域なのではなく、江戸時代までの伝統的な治水利水技能体系が基礎になっていてそこにヨーロッパ近代の科学技術が少々トッピングされたという雰囲気が強いのです。

 「住民」「防災担当者」「報道機関」が理解できるようにということで、符牒や隠語を無理に全部否定して言い換えようとするのも度がすぎると、身も蓋もないことになっています。「右岸・左岸」を「〇〇市側」にするというのですが、鬼怒川の場合、右岸も左岸も常総市であり、かといってそれを大字(おおあざ)などで指示するのは無理な話です(下館河川事務所ですら、最初の破堤箇所の三坂を、新石下と取り違えたのですから)。「堤内・堤外」は、たしかに誤解しやすいのですが、一度説明を聞けば納得できるのであり、それを全廃する理由はないでしょう。「法面」を「斜面」と言い換える、「機場」を「ポンプ場」にするなど無意味ですし、「越水・溢水(いっすい)」を否定して、「漏水(ろうすい)」を残すなど、一貫性のない思いつきにすぎません。「越水・溢水」や「高水敷」は否定するのでなく、その語義をあきらかにしたうえで使用するほかないのであって、「水があふれる」、「河川敷」などと言い換えたのでは、曖昧な日常語の次元に落としてしまうだけです。

 こういう「提言」では、結局そのほとんどが空振りに終わってしまったのもけだし当然なのですが、どういうわけか妙な具合に定着してしまったのが、「破堤」を否定して「決壊」に一本化する改悪方針です。「決壊」の意味内容があきらかでないままで、意味不明の言い換えをしたために、起きたことの事実認識が混乱に陥っているのです。

 三坂の「左岸」改め「常総市側」?のB区間のように堤防の「川表」改め「川側」の、「法面」改め「堤防斜面」が、「洗掘」改め「深掘れ」され、「天端」改め「上場」も崩落したが、「川裏」改め「居住側」の、「法面」改め「堤防斜面」までは、「洗掘」改め「深掘れ」されずに残ったという場合、従来であればその区間は「決壊」はしたが「破堤」はしていない、と言うことができたのですが、この「破堤」の「決壊」への言い換えにより、何が何だかわからないことになってしまいました。

 「破堤」禁止令により、三坂の「決壊」幅は195mであるが、「破堤」幅はB区間を除く165mである、と言うことができないのす。日常語としては「決壊」は堤体基部までの流失すなわち「破堤」を指すのでしょうが、治水用語としての「決壊」は、もちろん「破堤」も含むが、たとえば川表側法面の洗掘や川裏側法面の法崩れ天端の崩落にとどまり「破堤」に至らなかった場合も含む概念だったのです。もともと「破堤」とは、「決壊」の部分集合であり、それが究極まで進行した段階を指す用語であったのです。部分と全体を区別せず、同義であると決めてかかり、「破堤」を「決壊」と言い換えることにすれば、混乱は必至です。

 下は、この審議会の議論途中の資料です。

 

 

 同音異義とか耳慣れない語とかを避けるのも、やりすぎると困ったことになります。この審議会の「提言」の動機もいささか問題ではありますが、それにしても文書上や、「専門用語」としては「そのまま使用しても良い」とのお許しも出ているのです。ところが関東地方整備局は、「決壊」の意味内容を曖昧なままにしておいたうえで、「破堤」を全廃してしまったようです。「鬼怒川堤防調査委員会」においてすら「破堤」を使わず、「決壊」とイコールにしてしまったのですから、その委員の先生たちは、「専門家」だとは思われていないようです。

 こういう机上の空論でものごとに対処するわけにいかない分野では、「破堤」は重要概念です。次は、現時点で閲覧できる国土交通省のウェブサイトにおける、「水防」に関する用語解説記事です(http://www.mlit.go.jp/river/pamphlet_jirei/kasen/jiten/yougo/09.htm)。

 「洗掘」「漏水」「越水」と並んで、「破堤」が載っています。これらの語がなければ、水防活動については理解できないわけで、この無用な言葉狩りをした審議会の頓珍漢ぶりは否定できませんが、鬼怒川水害に関する広報資料から「破堤」の語を完全に追放した関東地方整備局河川部の広報担当者は、結局のところ三坂における「堤防決壊」について正しく認識すべくもないことは明白です。

 



 

越水から破堤にいたる状況をとらえた写真

 

 さて、本題に入ります。

 越水から破堤にいたる経過、そして破堤幅の拡大の経過をできるだけ具体的かつ詳細に再現する作業です。上で少し見た「鬼怒川堤防調査委員会」の検討経過・結果は、あきれるほど粗雑でした。越水から破堤、破堤幅の拡大と言っている写真は、違う地点の写真をただ時間順にならべただけですし、説明図は粗略なポンチ絵で、説明文も曖昧で一向に要領をえないものでした。あんなもので堤防決壊・破堤の原因があきらかになったと思うのはあまりにも迂闊というものです。

 これから、三坂の堤防の決壊・破堤の状況を具体的にあきらかにしていこうと思います。手がかりは限られています。堤防の土質構造については、現物が跡形もなくなってしまっていますからその解明はきわめて困難です。他の場合では豊富にのこされる映像もあきれるほど少ないのです。証言については、採集の努力は全然払われていないのです。

 限られた証拠を入念に検討するよりほかに方法がありません。「鬼怒川水害まさかの三坂」のあらかじめ結論を述べてしまうと、決壊・破堤の状況について一部をあきらかにするにとどまりますし、まして決壊・破堤の原因を完全にあきらかにすることはできません。しかしながら、国土交通省関東地方整備局の「鬼怒川堤防調査委員会」が下した結論なるものが、まったくの虚偽であることは立証できます

 

 これから作業にとりかかります。まず、利用しうる画像データを確定します。それだけをこのページでおこないます。

 これほどの大水害で、しかも決壊・破堤は昼間のできごとだったのに、撮影された写真は極端にすくないのです。9月10日12時50分とされる「決壊」前後の写真はもちろん、その前の越水の段階、そして信じられないことに決壊・破堤の進行を逐一撮影した画像はありません。断片的なものが数枚しかないのです。

 それというのも、下館(しもだて)河川事務所(茨城県筑西〔ちくせい〕市)や鎌庭(かまにわ)出張所(常総市新石下〔しんいしげ〕)の注意はほとんどすべて若宮戸に向いていたようで、他の場所についていちいち気にしていられないというのが正直なところだったのでしょう。ましていたるところが危険箇所なので、予知能力でもない限り三坂にだけ張り付いて見ているわけにもいかなかったのでしょう。9月10日には未明のうちに氾濫必至となっていた25.35kの「品の字」積み土嚢の堤防もどき地点では、「午前6時すぎ」と言っていますが実際にはその数十分前から氾濫がはじまっていますし、24.75k(正確には24.63k)でも午前6時ごろには河川区域とされていた市道東0280号線から「ちょろちょろ」と氾濫が始まっています(「若宮戸の河畔砂丘」のページをご覧ください)。三坂で越水が最初に確認されたのは午前11時ころですが(越水開始はいつだったかもわからないのです)、それですら現認者は鎌庭出張所に報告のために飛んで帰ってしまい、以後は相互連絡を欠いた国交省職員や委託先企業の巡視員らがたまたま通りかかる程度で、破堤開始までの2時間たらずの様子をつきっきりで見ていた職員はいないようで、当然、静止画の写真撮影やビデオ撮影もおこなわれていないのです。若宮戸25.35kではある程度は撮影していたのに、公式発表はたった1枚だけで、2019年に開示請求されてもその一部しか開示しないのですが、三坂については本当に数枚しかないのかも知れません。(嘘やデタラメばかり並べる関東地方整備局のことですから、本当のところはわかりませんが……。)

 航空写真も含めて翌11日以降の写真は比較的豊富にあるのですが、当日のとりわけ越水開始から破堤にいたる写真はあまりありません。若宮戸への自衛隊の災害派遣活動を取材するために雲霞のごとく飛来していたテレビや新聞のヘリコプターが、偶然に5kmも離れていない三坂町の破堤に気づいて、概ね破堤30分後からライブ映像を流し始めましたが、「電柱おじさん」と「ヘーベルハウス」ばかりで、浸水域の拡大などの重要情報にはいっさい関心を示さないなど、およそ報道の体をなしていませんでした(この点を批判したのは早川由紀夫のツイッターだけです)。

 当然破堤前の堤防の空撮映像はありません。テレビ会社が地上で破堤前の堤防の様子を撮影したものはいくらかはあるようですが、放映されたものはごく一部であるうえ、現在利用できるものはありません(福島第一原子力発電所の爆発映像同様、あと50年くらいは御蔵入でしょう。こういうところにも、視聴率と部数が決定要因であり、事実などあまり興味がなく、公共性をまったく弁えていない報道会社の姿勢がよく現れています)。

 このページでたまたま参照できたのは、3か月もあとにNNNが放映した動画だけです。それも報道企業の自前ではありません。住民が携帯電話器で撮影した動画から2カットほど切り出したものを引用します。

 それ以外は、すべて「鬼怒川堤防調査委員会」資料です。電気紙芝居画面に貼り付けられた、ほとんどサムネイルのような小さな写真と、住民が撮影したビデオ映像から何カットか切り出したものです一部は第1回委員会(2015年9月28日)の資料で公表されたものですが、多くは第2回(2015年10月5日)が初出です。国土交通省職員若しくは委託業者の社員が撮影したもので、水害から1か月近く経ってからやっと「発見」されたもののようです。動画も撮影した住民から提供を受け、第2回委員会で上映したあと、解像度を落としたものが国土交通省のウェブサイトに公表されました。http://www.ktr.mlit.go.jp/river/bousai/river_bousai00000101.html

 これだけしかないのです。しかし、国土交通省の官僚団はもちろん、いずれの側の「専門家」たちも一瞥して終わりにしたこれらの映像こそ、「真相」にたどりつくための貴重な手がかりなのです。このあと穴があくほど克明に見ることにしますが、まずは、これだけしかないということをご理解いただくために、たんに時間順に配列してお示ししますので、今のところは、ざっと流し見してください。「撮影状況」は、「鬼怒川堤防検討委員会」資料に記されているものをそのまま引用しました。

 

 撮影時刻順に配列して1から29までの一連番号を付したうえで、撮影時刻を「写真名」とします。撮影者と撮影時刻が同じ場合にはアルファベットで枝番を付してあります。撮影時刻が不明の場合は、時刻を推定して配列してあります。なお、「不明2」は、「11時半から12時ころ」、「不明3」はその「10〜20分後」とされていますが、(確定的ではありませんが)30分から1時間程度ずれていると思われますので、こちらで想定した順に配列してました。

 なお、対岸の篠山水門の塔屋に設置されたCCTVカメラで撮影された動画もありますが、開示請求に対して公表したのが13時23分以降のものだけで、破堤に至る数時間の様子を知る上では役にたちませんから、とりあえず除外します。ただし、あとでいくつかの場面を切り出して、破堤の進行状況や当日夜から始まった仮堤防設置工事の様子を検討することにします。

 

 

 

 破堤前の越水中の写真は、車両で上流側から下流側に移動した際に撮影されたものです。天端が狭く(政令の規定は幅6mですが、実際にはアスファルト舗装は幅3mしかありません。ただし未舗装の部分を含めた天端の幅がどの程度だったかは、地点によってずいぶん違うようですが、正確なところはわかりません)、すれ違い不可能なので、車両による巡視はおそらく左岸は下流への一方通行、右岸は上流への一方通行と決めてあるのでしょう。破堤後はさすがに車両ではなく、徒歩で近づいてきて撮影したようです。

 これで全部かと失望することはありません。ここから読み取れるだけのものを全部読み取ることにします。