この「24.75k」については、本来24.63kとすべきところ、国交省が不適切にも「24.75k」としていたのです。本www.naturalright.org もだいぶ長い間この誤謬に従ってしまいました。「24.75kにおける氾濫」等を、「24.63kにおける氾濫」等に訂正します。
すでに作成した文章・図の記述を全部訂正するのは困難ですので、元の記述のままとしますが、どうかこの点ご承知ください。
1, Dec., 2018
これは、24.75kの氾濫水の噴出地点に形成された巨大な押堀(おっぽり)です(2015年12月18日、背景は鬼怒川水管橋。測量会社のライトバンが駐車している道路は、市道「東0280号線」がこの押堀で中断されたために急造された迂回路です)。東側と北側がある程度埋め戻されたようなのですが、概ね幅約30m、長さ約80m、深さは約6mで、もちろん今回の鬼怒川水害で最大です。
右奥の河道から、河畔砂丘「十一面山」が掘削されてできた広大な平地に溢れ出た膨大な量の河川水は、ちょうど河川区域境界線となっているこの地点から噴出し、砂の大地を大きく抉って開口面積を確保したうえで、左方の常総市若宮戸(わかみやど)地区の農地・住宅地へと、まさに激流となって流れ出たのです。最大見積もりで、ピーク時には毎秒約400㎥(=400トン)、総量約1200万㎥(=1200万トン)の氾濫水が流入しました(https://www.jstage.jst.go.jp/article/jshwr/29/0/29_37/_pdf/-char/ja、当ページなかばあたりでご紹介します)。
24.75kの氾濫については、3年前に「鬼怒川水害の真相 若宮戸」のページで検討しましたが、その後いくつかの報告書が現れましたので、それらを読みながら、あらためて24.75kでの氾濫について検討を始めることにします。
その前に、若宮戸の河畔砂丘(かはんさきゅう river bank dune ) である「十一面山(じゅういちめんやま)」の全景(北端がすこし、南部が相当欠けていますが)をごらんください。
河畔砂丘の英名は、当サイトではこれまで sand dune としてきましたが、2018年作成のページからは、 river bank dune とします。sand dune は、国土地理院がそう呼んでいるのに倣ったものですが、これだと砂堆(さたい)と混同するおそれがあります。というより、sand dune とはまさに砂堆なのであって、河畔砂丘ではありません。詳細はのちほど検討することにし、いまのところは英名を訂正するとだけ述べておきます。
以下の3枚の航空写真は、つぎのとおりです。
(1) 2015年9月11日、すなわち氾濫の翌日
(2) おなじく9月なかばすぎ
(3) 現在
右の(1)のサムネールに、現地の様子を見る上でランドマークとなるものをいくつか示しました。
(1)水害翌日(2015年9月11日)の午前 押堀は水面下
(グーグル・クライシスレスポンスによる、加工なしの実写画像。かなり高精細で、細部まで見えますので、ぜひ元のウェブサイトでご覧ください。ウェブサイトのたどりかたについては、別ページをご覧ください。〔公開終了〕)
(2)25.35kの仮堤防(改良版土嚢の堤防もどき)が完成した9月16日と、24.75kの仮堤防が完成する9月25日の間
(グーグルマップの航空写真。特殊処理による3D表示です。いわゆるCG、人為的描画ではありません。)
(3)堤防が完成した現在の様子(2018年5月15日、グーグルアースの衛星写真)
なお、ここを「自然堤防 natural levee 」と呼んでいる限り、鬼怒川水害をただしく認識することはできません。絶対に無理です。河畔砂丘と自然堤防は別の地形名なのですから、異なったものを同じ名称で呼んでしまって、誤解が生じないはずはありません。「いわゆる」をつけてもだめです。この点で、報道企業の記者・編集者のほぼすべて、ネット上を徘徊する個人の大半、それどころか、国策派・反国策派を問わず、研究者・(自称を含む)専門家のざっと8割ほど(?)が、ずっと「自然堤防」だと言い続けてきました。それどころか、いまだに、です。
若宮戸の河畔砂丘 である「十一面山」を「自然堤防」と言っている限り、若宮戸での氾濫の意味がわからないだけではありません。必然的に、当の自然堤防とその対概念である後背湿地 back swamp (後背低地)の意味もわからないことになります。そうなると、川から遠く離れるほど安全だと思い込むことになり、避難経路・避難先について誤解することにもなります。とくに重大なのは、鬼怒川東岸(左岸)の自然堤防と小貝川西岸(右岸)の自然堤防にはさまれた、後背湿地のどまんなかの最深部を南北に縦貫する、完全な人工排水路である八間堀川(はちけんぼりがわ)が水没してしまうことに気づかず、それどころか八間堀川の決壊(破堤)が常総市南端の水海道(みつかいどう)市街地の水害の原因だと誤認するにいたるのです。9月10日か11日の衛星写真か航空写真を見れば、そんなことがありえないことはすぐにわかるはずですが、3年経っても事情は一向に好転しないのです。
事実を知るには、自分の眼で見て自分で歩くしかないのですが、そうは言っても、近くに住んでいる暇人である当 naturalright.org でもない限り、そうそう見には行けないかもしれません(とはいえ、東京都心から車で1時間以内です。八王子と同じくらいです。常総市のどまんなかには高速道路のインターチェンジ(圏央道常総I.C.)もあります。鉄道ならば、つくばエキスプレスで秋葉原から常総市南隣の守谷(もりや)駅まで32分です。首都圏居住者であれば日帰りで簡単に行けるところです)。遠方の方が鬼怒川水害について調べようとするときに、どうしても既存の論文やインターネット上の記事を参照しなければならないのですが、本物を見つけるのはなかなか難しいとはいえ、偽物(偽者)を見分けるのは簡単です。若宮戸の河畔砂丘「十一面山」を「自然堤防」と呼んでいるのがそれです。
国土交通省の広報担当者などは薄々気づいている程度ですが、本隊(?)はもちろんよくわかっています。なにしろ、地理の専門家集団である国土地理院(茨城県つくば市)を従えているのですから(とはいっても、自然堤防は中学生や高校生が学校で習うことなのです)。わかっているのに、国土交通省に挑戦しようとする者たちを、幻惑し、瞞着し、混乱させ、そして潰すために、若宮戸「十一面山」が河畔砂丘であるとは、絶対に言わないのです。「自然堤防論」という「猫じゃらし」に弄ばれている限り、わたしたちは無知と失望の押堀から這い上がることはできません。
当 www.naturlright.org は、「自然堤防」論の誤解を解くためにだけ存在していると言っても言い過ぎではありません。今、このページを訪問くださった方で、「自然堤防派」の方がもしいらっしゃいましたら(失礼)、とりあえず別ページと、さらに別ページをご覧くださるよう、お願いいたします。
素人のいうことではいささか信頼性に欠けるでしょうか。専門家の解説、しかもまさにこの若宮戸の件での「自然堤防」の誤用を指摘した、日本地理学会による解説が、www.naturalrigh.org が休眠していた2016年10月に公開されています(http://www.ajg.or.jp/disaster/files/201610Bousai_Yougo.pdf)。
この日本地理学会の解説を読んでびっくりしたのですが、「落堀」(おちぼり、おっぽり)も誤用でした。「押堀」(おっぽり)というべきところを、別の地理用語・治水用語である「落堀」と呼んでいるというのです。その不適切な使用実態は「自然堤防」以上とも言えます。ほぼ100%です。当 naturalright.org も3年前にはずっと「落堀」としてきましたが、さっそくこのページから是正します。詳細は、このあとの三坂のページで検討しますが、まずはこの解説をごらんください。
いずれも、モノにはさまざまな呼称がある、とか、一般的名称と専門用語の違い、とか、昔はこう呼んでいた、とか、方言ではこういう、などというものではありません。あるものを別のものの名前で、しかも同分野の、よりによって自然堤防と河畔砂丘のように、すぐ隣にあるがおおいに異なるものを混同しているのです。たったひとつのコトバの勘違いに起因して、信じがたい混乱が続いているのです。落語の「百川(ももかわ)」では、町内の祭道具の「四神剣(しじんけん)」を売り飛ばして飲み代に使ってしまったが、まもなく祭りの時季になりどうしたらよいかと相談している町衆のところに、お国訛りのある御用聞きが「主人家(しじんけ)」から来たというのを、その四神剣のことを追及しに来たと勘違いして、関係者一同が延々と騒動を繰り広げるのです。落語なら笑っていればすみますが、直接的にだけでも何万人という人たちが苦しみ続けている鬼怒川水害ではそうはいきません。専門家が貴重なアドバイスをしてくれているのですから、www.naturalright.org の指摘ではご不快に思われて無視しているかたも、いつまでも意地を張らず、訂正すべき時です。
このページの本題にはいります。
さきほど示した約1200万㎥という氾濫水量見積もりは、通説と大きくかけ離れていて、にわかには信じられない値です。水害直後の一般的な推計値である総氾濫水量は、全部で3400万㎥であり、そのうち8割は三坂の破堤箇所からのものだというものです。しかしながら、これまでの若宮戸の氾濫の過小評価、とりわけこの24.75kの氾濫の過小評価(ほとんどの場合、無視。完全ゼロ査定!)に、かねがね疑問をいだいていた当 naturalright.org としては、やっと鬼怒川水害の本格的解明が緒についたように思うのです。
24.75kの状況を具体的に見に行くのは次ページにして、このページでは氾濫水量の問題について一瞥することにします。
国土交通省による、鬼怒川水害の総氾濫水量の推計値は、上述のとおり3400万㎥です(国土交通省関東地方整備局『「平成27年10月29日関東・東北豪雨」の鬼怒川における洪水被害等について』、2015年10月29日、http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000634942.pdf )。中央下の表です。
パワポでつくった安直な広報用資料にさらっと書かれているだけで、若宮戸と三坂の内訳も、もちろん若宮戸の2か所の内訳も示されていません。基礎データや算定方法もまったく示されていません。
そもそもこれは、鬼怒川上流のダムがなかったら氾濫水量はもっと増えたはずだとぬけぬけと主張する、火事場泥棒的宣伝の一環です。堤防整備を怠ってダムにうつつを抜かしてきたあげくの大水害ですから、国土交通省関東地方整備局(さいたま市)は開き直って血眼になって計算したはずですが、例によって根拠となるデータ(もしあるとすればの話ですが)は示されていません。それどころか、3か所での氾濫の開始時刻の発表はすべてデタラメで、氾濫が終息した時刻にいたってはいまだに一切発表していないなど、かなりあやしげです。
それはともかく、これが日本国政府の公式見解です。この官許数値「3400万㎥」が、その後あらゆる場面で参照され、引用され、なかんずく多くの国策派研究者による氾濫量の計算において、準拠すべき値であるかのように奉られることになります。以下、土木学会の報告集から何か所か引用してみます。
土木学会というと、大学工学部の先生たちが年に一回程度集う程度の地味な学術研究団体のように見えますが、法人格を持った常設団体です。ありていにいえば、国策治水と国策利水に協力する大学の研究者や土木建設業界の専門職員らの連合体にして顔つなぎのためのクラブ組織といったところです。とはいえ、鬼怒川水害について包括的な調査研究をおこない、その研究成果を社会に向けて公表している団体としては他に抜きん出ていることは認めなければなりません。報道企業の陳腐な臆断にもとづく無責任な記事は論外として、1回だけでも見に来ればいい方で、現地も見ないし地図すら見ないで書き散らした感想文や糾弾書ばかりがインターネット上を漂い、遠方からやってきた大学の先生たちの凡庸な紀行文風レポートばかりが目立つ中にあって、この土木学会は、災害発生直後、地盤工学会と合同で調査団を編制派遣し、2015年12月15日には成果発表の「速報会」(http://committees.jsce.or.jp/report/node/95)をおこなったうえで、2016年5月20日に最終報告会を開催し、全180ページの『2015 年関東・東北豪雨災害 土木学会・地盤工学会合同調査団関東グループ調査報告書』を公表しました(http://committees.jsce.or.jp/report/system/files/関東・東北豪雨による報告書0524修正.pdf)。そこに投入された労力と資金はかなりのものでしょう。そのご努力に敬意を表し、謹んで拝読いたした次第です。
鬼怒川水害の全貌をさまざまな側面からとらえようとする全180ページの報告書の全部を一度に検討することはできませんから、ここではまず、とくに若宮戸24.75kからの氾濫水量のシミュレーション結果についての報告を3つほど見てまいります。
(引用部分と地の文が紛らわしいので、しばらくの間、地の文の文字に着色します。)
その前に、24.75kとの関連で、有名な25.35kの件が必ず出てくるので、その写真を示しておきます。「ソーラーパネル」の地点です。写真は順に奥から、対岸の堤防、対岸の高水敷、見えませんが河道、こちら岸の辺縁、「A社」のパネル、境界フェンス、土嚢、建設中の「B社」のパネルの支持ステー、です。
被害者となった方が撮影した設置工事中の貴重な写真です。土嚢を下段にふたつ、その上にひとつで、断面が「品の字」、あるいはミツウロコ状態です。平坦な砂地に注目ください。この最初からピョコピョコしている堤防もどきが、2段でぴったりすり切りの1.6mの高さまで、まさに水も漏らさず洪水を完全にブロックしたことになっているのです。
(http://www.nikkansports.com/ajaxlib/root/general/news/1550682.html)
(1)群馬大学・清水義彦教授
氾濫水量は三坂で2945万㎥、若宮戸の25.35k(例のソーラーパネルの地点です)が640万㎥とのことです。足して3585万㎥で、国交省の官許数値の5%増しということですから、「これらの推測値についての妥当性、精査については今後の検討課題である」としながらも、ひと安心してそのまま発表したのでしょう。
三坂の件は別に考えることにしますが、25.35kについて、「品の字」積み土嚢の堤防もどき(下に設置中の写真)の「平均高」とされる21.3mまでは、最初から最後まで完全ブロックしたという前提です。水位21.3m以前でも土嚢の間からはじめはチョロチョロでもすぐにドバドバ噴出していたのですし、開始時刻だと言っている「6時」は国交省による意図的な虚言です。
水位低下時も21.3mどころか、地盤(ただの砂地ですが)の高さの(平均!?)19.7mまで流入していたことは明らかなのですが、全部なかったことにしています。著者は本当は違うと思っているが遠慮して国交省の公式発表に合わせたというより、そもそもそんな可能性は考えていないのでしょう。
しかしそんなのはまだ罪は軽くて、それより何より、24.75kは完全に無視、ゼロです。この人は、現地を見たこともないし、地図も写真もろくに見ないまま、公式にテキトーな数値を代入して計算しただけのようです。災害直後によくテレビに出ていて、さかんに避難の大切さを説諭していた群馬大学の清水義彦教授です。(報告書、47ページ)
(2)新潟大学・安田浩保准教授
(略)
冒頭にいうとおり、「河道外への氾濫によって河道内の水位がどのように変化したかについて」のシミュレーションです。4つのケースを仮定して氾濫量を見積もったうえで、それによる鬼怒川の水位の変化をシミュレートするというものです。
河道断面図は250mごとのものしかないので、これでは150m(三坂のことか)とか200m(若宮戸25.35kのことか)の越水幅・破堤幅のシミュレーションはできないので、250mごとのデータから「線形内挿」した、つまり平均的に変化しているものとし50mごとのデータをつくって入力したというのです。(実際の測量データが250mごと、つまり里程標ごとの大雑把なものしかないということにも驚きますが)せいぜい50mごとにしかサンプリングしないということです。もうちょっとハイレゾなのかと思っていましたが、ずいぶんと〝ローレゾ〟のようです。
また、「24.75k地点と25.35k地点の堤防高を定期横断測量の成果より2m低下させ」たといいます。そもそも若宮戸の2地点に堤防はないのに、「堤防高」と言ったうえで、それを「2m低下させ」るというのです。ずいぶん恣意的です。25.35kについては土嚢の堤防もどきのことをいうのかもしれませんが、24.75kは(具体的には次ページでみることにしますが)どこがその「堤防」にあたる流入箇所なのかを見極めるのはかなり難しいことなのです。たぶん、まさに「24.75k」里程標が打ってあるところに、その流入範囲をつくったのでしょう。それにしても、幅と深さはいくつにしたのでしょうか? また、そこを「2m低下させ」たらどういうことになるのでしょうか?
ここでやっているシミュレーションというのは、あらかじめ想定した氾濫量が出るような越水・破堤点の初期条件を入力した上で、それによる水位低下を出力するということのようです。そして、水位低下分が氾濫量になるわけで、ケース3だと三坂が2900万㎥、若宮戸が710万㎥、合計3610万㎥になるとのことです。なお、氾濫量の算出には「本間の越流公式」を使ったといいます。清水教授と違って、若宮戸24.75kも含めているというのですが、2か所の合算値ということで内訳は示されていません。1か所多いのに、なぜか結果はほとんど同じ水量です。24.75kからの氾濫量はきわめて少ないということなのでしょうが、さきほどの条件設定上の疑問点と考え合わせると、どうやら単純に24.75kはネグったのではないかと思います。
5倍に水増しした河道の基礎データと、恣意的に上下させた「堤防」高を入力して出てきたのは、官許数値たる3400万㎥の6%増しという無難な数値でした。
新潟大学の安田浩保准教授です。若手のホープといったところのようで、今後、この分野では何十年もお世話になる先生になるでしょう。新潟大学といえば、あの大熊孝教授のいたところです。時代は変わってしまったようです。(報告書、51ページ)
(3)東京理科大学・二瓶泰雄教授、大槻順朗助教
災害後間もなく、水海道市街地における9月10日午後早いうちのひざ下程度の氾濫は、氾濫水が八間堀川をバイパスとして流下したことによる旨、わざわざコンピュータ・シミュレーションによって解明したのを日本放送協会がとりあげ、たいへんな脚光をあびた東京理科大学の教授と助教のコンビです。
清水義彦教授同様、25.35kについては、土嚢の堤防もどきがそのてっぺんの巾着の口の高さまで洪水を防いだとし、「元々の自然堤防が掘削される前の状態でも溢水が生じていたものと推測される」と国交省の高橋伸輔調査官が言った通りのことを言ったうえ、「下流側の24.75kでも痕跡水位が最も低い箇所より高く、こちらでも溢水が生じていることが確認された」と、なんだか当たり前のことを言います。グラフのとおり前二者とは違って24.75kを要素として算入しているのですが、そうであれば当然出力されたに違いない氾濫水量については、個別にもトータルでも一切ふれないところに特徴?があります。官許数値から乖離した数値だった可能性を窺わせますが、なにせ書いてないのですから本当のところはわかりません。(報告書、92ページ)
二瓶教授は、八面六臂の大活躍で、報告書のあちこちに執筆しています。次は日本放送協会が取り上げて注目された八間堀川が介在する水海道市街地の「第一次氾濫」に関するシミュレーションです。そこに、氾濫水量の総量の記述があります(報告書、66ページ)。
「3.3.2において示した佐山らの検討結果とよりもやや大きい」というのは、「佐山らとの検討結果よりもやや大きい」の誤植ですが、この3.3.4で示した「4400万㎥」の「妥当性については、別途議論が必要であることに注意されたい」とたいへんに遠慮がちです。二瓶教授に限らず、シミュレーション結果として出力される氾濫水量が国交省の官許数値を下回ることはなく、内輪の数値がでるように初期値を設定しても必ず上回り、うっかりすると何割も大きな数値がでてしまうようです。4400万㎥では3割ほど上回ってしまい、それをここに書くのはおおいに躊躇われるものの、書かないことにはそのあとのシミュレーションができないため、一応のお断りをいれて明示したということです。
なお、二瓶教授は、コンピュータオタクよろしくシミュレーションだけやっていたわけではなく、水害直後の9月中旬に、全域で痕跡からの浸水深実測(標高データとつきあわせれば当然浸水位データとなります)などもした上で、京都大学の佐山敬洋教授らとともに、そこから氾濫水量を算出しています。
答えを見てから解いた中学生同然の破堤・溢水地点からの恣意的な流入量推計より、よほどこちらの方が信頼性が高そうです。それによると、過大評価を避けるためやや少なめの数値になる算定手法を用いたうえでの氾濫水量は、9月11日10時と13時の時点で、約3800万㎥ということです(報告書、59–62ページ)。これこそが、さきほどの「3.3.2において示した佐山らとの検討結果」です。
この時点では、(全体量からすると微々たるものですが)全国から高速道路を飛ばしてきた国交省の数十台を含む各機関のポンプ車による排水が始まっているし、なによりすでに8時には八間堀水門の幅20メートルの巨大なゲートが上がって、八間堀川排水機場の毎秒30㎥など問題にもならないような圧倒的な量(といいながら、どのくらいなのかはデータもありませんし、素人には想像もつかないのですが)の自然排水が始まっていたことを考えると(別ページ参照)、総氾濫水量は当然それより多かったことになります。
ここでも目を惹くのは、「この値は国土交通省の試算(3,400万㎥)よりやや大きな結果となった」と、わざわざ付言していることです。結果だけポッとだしているに過ぎず、氾濫地点からの流入量なのか、それとも自分たちと同じように浸水位からの計算なのかもわからない、学問研究の視点からみれば言及する価値がないどころか、徹底的に検討批判すべき官許数値を、それでもものすごく気にしている様子がありありと見えます。国策治水・国策利水の世界のしがらみを垣間見せるものです。
二瓶教授は治水の専門家なのに若宮戸の河畔砂丘を「自然堤防」と言ってしまうのはご愛嬌ですが、ついでに、「土堤は越水に対して短時間で浸食される」と、耐越水・耐浸透強化堤防導入方針を潰した土木学会の公認ドグマに反することをしれっと言ってのけるのです。水害直後のかなり大規模な現地調査を実行し、水害直後に実験場での縮小モデルでの実験で越水に対する土堤の脆弱性を実証してしまうなど、歴としたシミュレーションソフトである「たまごっち」に熱中する小学生よろしく非現実的なシミュレーションで自己満足する凡庸な人たちとは、一味違うようです。
(以下、地の文の文字色を黒にもどします。)
かくのごとく、シミュレーション結果は、歩調をあわせて国交省の根拠のあやふやな官許氾濫量「3400万㎥」と似たり寄ったりの数値ばかり出力するのです。計算問題を解くにあたって、先に解答を見てから解き始める中学生みたいです。「答えだけ合っててもダメだよ。途中の計算過程もきちんと書いてね」と言いたくなります。
こうした出来レースばかりの牧歌的状況に微睡んでいたところに、突如、とんでもないレポートが登場します。わずか2ページと短いので、全部を引用します。日付はありませんが、2016年12月発行で、「水文・水資源学会研究発表会 」のレジュメだそうです(https://www.jstage.jst.go.jp/article/jshwr/29/0/29_37/_pdf/-char/ja)。
結論は、25.35kに国土交通省下館河川事務所が渋々設置した、「品の字」積み土嚢の堤防もどきに意味があったというもので、ただの国策擁護の提灯研究なのです。しかし、よく読むと、贔屓の引倒しになりかねない、波乱含みの内容です。
(4)中央大学・土屋十圀(みつくに)兼任講師他
(引用終わり)
「1. はじめに」で、いきなり、積乱雲が堤防を直撃したようですが、返す刀で「下流側24.75kの情報は極端に少ない」と、既存研究を総なめにします。
「2. 水利解析モデルの構築と妥当性検証」に、「河川シミュレーションソフトiRIC」で計算したと明記しています。スーパーコンピュータ上で動く巨大なソフトウェアかと思いきや、CPUはインテルのCore i5、メインメモリ2Gバイト、OS「ウィンドウズ7」上で動作するとのことです。土木学会が全1日日程の講習会(例)をしているくらいですから、小さなサンプルなら計算時間もさほどかからないのでしょう。iRICのウェブサイトからダウンロードできるようです(http://i-ric.org/ja/downloads/)。メインメモリ4Mバイト、モトローラの68030のマッキントッシュで動いた、大昔の娯楽用シミュレーションソフトの「SimCity(シムシティ)」や「ガイア」よりは複雑なようですが、当今のコンピュータゲームのソフトウェアよりはるかに軽量級のソフトウウェアです。入力する初期条件はさほど複雑ではないでしょう。これで複雑な河川水と氾濫水の運動をシミュレートしてしまうというのですから、大変な自信です。
「3. 溢水量の推定(若宮戸地先)」に計算結果が出ています。答え合わせに、安田准教授同様、有名な「本間の越流公式」を使っています。「本間の越流公式を用い、概ね一致している」ので一安心というわけです。氾濫水量は、iRICのアルゴリズムだと氾濫地点で水深(h)、幅(l)、流速 (v)の積分値として、「本間」式だと水深、幅、重力加速度他に、経験から導き出された謎の係数「0.35」を掛けて得られる数値のようです。
「本間の越流公式」における謎の係数「0.35」は、越流前の水流から堤防天端の高さを引いたもの(h1)と、越流後の水流から天端の高さを引いたもの(h2)の比(h2 / h1)が 2 / 3 以下の時のものです。そもそもこれが現実と合致するかどうか不明ですが、ここで土嚢の「品の字」堤防もどきを本物の堤防とみなし、巨大巾着袋の半開きの頭を「天端」とみなすことができるとも思えませんし、まして、25.35kで土嚢の堤防もどきがない場合には水流が素通しになるわけでその場合にも、この「本間」公式を使うのでしょうか? 24.75kではもともと堤防も何もないわけですから、どのように氾濫水量を計算したのかは不明です。
iRICによるシミュレーションの結果は、25.35kが毎秒102㎥で、なんと24.75kは毎秒380㎥です。いままでゼロ査定だった24.75kが、25.35kの4倍近い値だというのです。かくして、若宮戸2か所の総氾濫水量は1159万㎥となります。ここまで計算したのなら、ついでに三坂もちょちょいのちょいで算出すればいいのに、さきにみた国土交通省の官許数値である総氾濫水量3400万㎥から差し引いて、約2200万㎥ということにしています。本当はiRICがとんでもない数値をだしてしまったので、おそろしくて書けないのでしょう。この提灯記事の眼目は、若宮戸25.35kで土嚢の堤防もどきが効果を発揮したと主張することなのですから、三坂のことなどどうでもいいのです。
「2. 水利解析モデルの構築と妥当性検証」の末尾にもどりますが、河畔砂丘の砂が売り払われて平らに均された後に、土嚢を「品の字」に積んだ堤防もどきが、てっぺんまで水を防いだというあきらかな嘘を前提にしています。そして話の辻褄をあわせるために、「洪水痕水位と計算水位の差が平均値で0.3m」あったと言っているのに(1ページ目の左下)、24.75kでは肝心の午前6時の水位シミュレーション結果は土嚢の堤防もどきのてっぺんの高さにぴったりあったことにしています。
25.35kを見渡していた現地住人の方の証言によれば、公式発表のだいぶ前の5時40分に、すでに相当の流入が起きていたようです(次ページで詳論)。24.75k近くの別の住人の方は、家族を避難させたうえでその直前まで24.75kの様子をみていたのですが、午前6時30分には25.35kからの氾濫水が北北西から迫って来ていたので、車で南東方向へ逃げたそうです(又聞きではなく、直接伺いました)。
水位の計算結果が「誤差30cm」だったというのでは、このシミュレーションの信頼性はあまり高くない、すくなくとも越水の再現能力としては不十分だ、といわざるをえません。三坂での越水深は20cmであり、それによって堤内側の法面(のりめん)の末端が侵食され破堤にいたった、というストーリーが公式見解なのです(ただし「浸透の可能性も否定できない」として、事実上浸透が共働原因となったことを否定していませんが)。誤差が30cmもあって20cmの越水深を「再現」できないようでは、越水による破堤という図式が成り立たないことになってしまうわけです。こちらも、25.35k同様、むりやり合わせたのでしょう。
こうして、都合のいい前提条件を揃えたので、いよいよ「4. 大型土嚢による効果」で、提灯全点灯です。いわく、「浸水開始時刻を1時間、水位上昇時には約2時間を遅らせたと考えられる」と。その前の「その効果を分析するために現況地形に改良し再計算」というのがどう意味かわかりませんが、しょせんは提灯記事なので気にしないことにします。
しかし、この記事のすごいところは、その後です。「大型土嚢が設置されていない場合の溢水量は、ほぼ同程度の482㎥/sであった」というのです。土嚢がてっぺんまで洪水を防ぎきったというとんでもないデタラメを前提に、開始を1時間遅らせた、とか、「水位上昇時には約2時間を遅らせた」(日本語になっていませんが)とか言っていたはずなのに、どうしてこうなるのかはiRICに訊いてみないとわかりませんし、「現況地形に改良し再計算した」とはどういうことかわからないのですが(原況、土嚢を積む前の状況でもシミュレートしてみて、それと水漏れのないことにした土嚢の堤防もどきの場合と比べたということでしょうか)、つまるところ「品の字」土嚢の堤防もどきは効果はなかったというようです。
最後の最後、「謝辞」の前にこう書いてあります。「河川管理者による大型土嚢設置の水防活動は、浸水開始時刻を1時間遅らせる効果があった」と。前年の土嚢積み作業は、一級河川鬼怒川の管理責任者である国土交通大臣の河川管理行為だったのではなく、「水防活動」だったというのです。水防活動については、別ページで触れましたが、まったく筋違いです。土嚢を置くという動作が同じなので(バックホーでやるのと人手によるのでは全然ちがうでしょうけれども)、これは水防活動に違いない、と思い込んだのでしょう。珍説です。
「謝辞」によると、国土交通省関東地方整備局下館河川事務所は、「多忙を極める中、貴重な資料・情報提供に御協力」したようです。われわれ一般国民が情報開示制度にしたがって開示請求をすると、すぐにも開示できるものをわざわざ期限いっぱいまで1か月近く放置した後で、勿体ぶって開示したりしなかったりするのに、この程度の出来のわるい提灯のためには、いろいろ面倒をみてやるようです。しかし、そこまで不公正な便宜供与までしたのに、「浸水開始時刻を1時間遅らせる効果」があったが、土嚢なんかなくても「溢水量は、ほぼ同程度」だったと書かれてしまったのでは、甲斐がなかったというものです。
以上のとおり、シミュレーションについていくつか見てきましたが、支離滅裂な話で、読む方も混乱してきます。鬼怒川水害の氾濫水量について検討していたのですが、いったん中断して、諸先生方が取り組んでいらっしゃるシミュレーションとはどのようなものなかについて考えてみたいと思います。
(第1工程)水位・水量のシミュレーション
上流側や各所の排水門から流入する河川水の流量データを初期条件1–1として、そして堤防を含む河道の状況を初期条件1–2として入力し、水位・水量・流速を算出するのがシミュレーションの第1工程である。
しかし、左右岸堤防の間隔や天端の標高くらいならかなりこまかく入力することはできるかもしれないが、それでもよくて250m間隔でせいぜい100m間隔が最高だろう。河道断面形状にいたっては、水位計設置場所とか排水樋管と排水門など特定地点のデータのほか、がんばっても里程標の間隔、すなわち250mおき程度で、全線にわたる100mとか10mおきのデータなどは存在しない(上記のとおり、安田准教授が正直に告白)。
したがって、初期条件1−2はかなり粗略なものとならざるをえない。河床の起伏や橋脚などによる長周期の波だちやそのほか流下してきた土砂や漂流物などの撹乱要因がある。鬼怒川の場合、独立した河川として海に注ぐわけではなく、常総市北端から26km降ったところで利根川に合流するので、そこの水位も考慮しなければならない。
この第1工程により、250m程度ごとに水位、流量、流速が出力される。
(第2工程)越水・破堤による氾濫水流出のシミュレーション
第1工程から出力された水位・流量・流速は、ただちに第2工程の初期条件2−1として入力し、堤防を含む河道の状況を初期条件2–2として入力し、越水・破堤・溢水による氾濫水の堤内地への流入を算出するのがシミュレーションの第2工程である。
初期条件2−1は基本的に第1工程の初期条件1−2と同じである。ということは、そのデータがかなり粗略であることが明らかだろう。いずれの地点で越水・溢水がおきるかを見いだすには、かなり細かく堤防ないし堤防のない地点の岸辺の標高を入力しなければならないから、一層詳細なデータが必要となる。
三坂の破堤点は、たまたまそれがぴったり「21k」(利根川への合流地点から21km上流)地点だったから高さと堤体断面の寸法データがあっただけの話である。ところが、砂の採取のためにダンプカーが堤防をまたぐ斜路がとりついていた場所だったためか、断面図には段附堤防の中段もどきの部分があって、それだけ見ていると実態はよくわからない。天端の幅にしても、災害直後に新聞記者の直撃取材の不意打ちを受けた広報担当者が、政令の基準である6mを満たさない4mだったことを認めたはずだが、あとになって6mだったと言い出す始末である。天端の幅という時に、アスファルト舗装の幅と一致するのかしないのか、しないとすればなで肩になってしまっている部分のどこで測るのかもわからない。天端の舗装が浸透防止上重要だというなら、たとえば6mのうち4mだけ舗装してある場合、これをどう評価すべきかも難しい。たまたま断面図があったところでこれだから、里程標地点からずれたところで越水・破堤がおきたとしたら、お手上げである。
破堤地点から200mほど下流の左岸堤防(2015年12月15日)。向こうに茶色に見えているのは、仮堤防の河道側に2列に打ち込まれた浸透防止用鋼矢板。測量棒は紅白の縞がそれぞれ20cmで全長2m。天端の舗装幅は3mしかない。舗装は3mだが天端は6mある、と言える状況でもない。
まして、堤体の土質構造は縦方向(河道方向)の250mおき程度のボーリング調査結果があればいいほうで、全線にわたって短い間隔で横断面に複数の穴をあけて調査したデータなどあるはずがない。今回の鬼怒川水害では三坂の破堤点の上流側と下流側で、事後にボーリング調査をすることでやっと土質データを取得したのである。肝心の破堤点のデータはあるはずもないし、あとから取ろうにも現物が流失しているのだから、今さら入手のしようがない。
以上は、鬼怒川堤防調査委員会の経緯から容易にみてとれることである。安田進東京電機大学教授は、地震による堤防の損壊について研究しているようで、一応は「堤防の専門家」と言ってよいだろうが、現地調査と称して三坂の破堤点を見物した直後に、堤体が完全消失した後の一面の泥水と、ところどころに頭をだしている「押堀」とされるものの辺縁しか見えないのに、「しっかりした地盤がある」と言明したのをテロップつきでテレビ放映されてしまい、あとで大恥をかいたのだった(別ページ参照)。
してみると、第1工程は、多少の誤差を生じつつも一応成立するから、その出力としての河川水の状況を入力2−1として受け入れることはできるが、入力2−2として、沿岸の堤防ないし堤防のない自然物の全貌を初期条件として入力することは不可能である。したがって、この第2工程で越水や溢水の発生とそれによる氾濫水の流入量の数値は、シミュレーション結果として出力することは不可能である。
三坂21k 水位が堤防天端を上回ることを、シミュレーション結果として出力することは可能かもしれないが、越水深度20cmということを考えると、工程1の出力において水位がほとんど誤差なく提示されていなければならないことになる。中央大学の土屋兼任講師のように、30cmも誤差を生じたのでは、どこでいつ越水が起こるかをシミュレートすることは不可能だろう。
(もちろん、これは今回の三坂の破堤や若宮戸での溢水が予測不可能だったということではない。計画高水位に鑑みて、極度に低い地点があるのを知っていたのに、今になって、全体に低かったのであってあそこだけ特に低かったわけではないと、わけのわからない言い訳をしているが、国交省は自分で「計画高水位」を設定したうえで、堤防整備を進めていたのであって、その是非が具体的に問われなければならない。福島第一原子力発電所の「想定外」の津波と同じく、「110年に一度の豪雨」(http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000634942.pdf 3ページ)による、不可抗力の自然災害だという論法は成り立たない。今ここでは、簡易なパソコンによるシミュレーションソフトで、あの場所での越水深を再現できるかどうかを問題にしているのであって、実際の三坂の越水の予測可能性や結果回避可能性の議論は別問題である。予測可能性や結果回避可能性の成否という法的問題は、ついでに軽率に言及することではないから、あらためて取り組むこととしたい。)
さて、越水をシミュレートするのも難しいのであるが、決壊・破堤をシミュレートすることは、基本的に不可能だといわざるを得ない。越水だけが破堤の原因だったとしても、その越水を正確にシミュレートすることができないのであっては、破堤の判断などつくわけはない。堤体の天端高くらいは入力しているのだろうが、天端幅や法面の傾斜角、天端の舗装の有無などのデータは、あったとしてもそれを全部パソコンに初期条件として入力することはしていないだろう。土質などの内部構造はほとんどわかっていないのであるから、浸透やパイピングなどを計算によってシミュレートすることは不可能である。
若宮戸25.35k 土嚢の堤防もどきの耐力データ、たとえば「品の字」に2段に積んだ場合、てっぺんまで水を防ぐのかどうか、それ以前に土嚢の間から吹き出すのかいなか、水圧でずれることはないか、本体はもちこたえたとしても砂の地盤が洗掘されて倒れる・ずれる・沈下することはないか、などのデータが取得してあって、それを初期条件として入力することはしていないだろう。正確に知るにはパソコン上でのシミュレーションではなく、本当の意味でのシミュレーションつまり実物での再現実験でもするほかあるまい。もちろんそんなことしなくても、河川や港湾などで水面下の工事をするときにどのような手段を用いているかの実例に鑑みて判断すればよいのであって、いまさら再現実験をするまでもないだろう。
若宮戸24.75k 十一面山一帯については、次ページで見るように、沿岸だけでなく、全域にわたってすでに詳細な測量データはあった。堤防や土嚢などの一応の障害物すらないところを、ツーツーで河川水が通っていったのだから(ただし、押堀を形成しているのであるから、ヒタヒタと静かに流れたという意味ではない)、軽易なパソコンソフトであってもシミュレートすることは可能だろう。ただし、そのデータを入力していればの話であって、おそらく水害直後から最近にいたるまでの、公表されているほとんどすべてのシミュレーションにおいては、24.75k一帯の標高データは入れず、計算から除外していたとみて間違いないだろう。24.75kからの氾濫水量データがない、端的にゼロ、計算結果としてのゼロでなく、値なしであり、それどころかその欄すらなかったのである。
以上のことから、つぎのことが明らかである。シミュレーションの第2工程にあっては、初期条件2−2として堤防の標高データはある程度は入力してあるが、初期条件として堤防の詳細な構造はもちろん、堤防がないところでは標高データすら入力していなかったに違いない(どこのデータを入れればよいかの判断すらつかない)。
それではどのようにシミュレーションをおこなったのか? 答えは簡単である。すでに起きてしまったことを初期条件データとして入力するのである。第1工程のシミュレーションの結果として出力される中間データのうち破堤・溢水した特定地点の水位と流量のデータを初期条件1として入力したうえで、地点と時刻を特定して越水・溢水・破堤箇所の標高・越水幅・越水深のデータを入力し、第2工程としてそこでの氾濫量を計算出力したものだろう。その際、初期条件2–2として、越水・溢水・破堤箇所の標高・土質・材質・表面形状データなども本来なら必須だろうが、それこそそんなデータは取得していないし、どうやらあまり関心がないというか、ありていにいえばそこを考えるととんでもないことになるので考えないことにし、さりとて入力しないわけにはいかないので、単純化した恣意的データを入力することになる。つまり、25.35kについては土嚢の堤防もどきは、巾着の天端まで洪水を完全ブロックしたことにし、24.75kについてはその存在を完全に無視したのである。
例の二瓶教授の八間堀川シミュレーションにおいて、大生(おおの)地区における左岸堤防の破堤が、コンピュータ・シミュレーションによって算出されたと思い込んで、これは凄いと感心する人が続出した。
土木学会の中間報告会では、大雑把なコマ落とし画像にして会場でパワポで映写された。土木学会によってユーチューブにアップされたのだが、とても写りが悪く画面ではよくわからない。シミュレーション映像を日本放送協会が「再現」してテレビ放映したようで(なぜもとのものを放映しないのか不明。著作権の関係なのか、それともカッコよく見えるように美しい画像をつくったのだろうか)、それがインターネット上に(違法?)アップロードもされたが、勿体ぶってちょこちょこ写すのみで、本当のところはよくわからない。その後の土木学会報告書やそれ以外のレポートなどを見ても、それがシミュレーションの結果として出力されたのか、それとも初期条件の一つとして、あらかじめわかっている箇所に、想定されている時間に氾濫がおきたことを入力したのかどうかはわからない。
しかし、考えるまでもなく、そんなものがシミュレーション結果として出力されるはずはない。それができるくらいなら、三坂の越水、破堤も再現できるはずである。それどころか他のすべての破堤事例をシミュレートできることになる。2018年の倉敷市の高梁川(たかはしがわ)支流の小田川の決壊も全部シミュレートできるはずである。しかも、すでにおきてしまったことを、後追いで再現するというだけでなく、起きていない越水・破堤などをあらかじめシミュレートできるということである。日本国内はもちろん、世界中の河川堤防の越水・破堤が、どの地点で、いつ(どの程度の水量・流速になったときに)起きるかを、あらかじめ算出しておくことができることになる。まさに予言、現代の「ラプラスのデーモン」である。
なお、大生地区での破堤予測はありえないとしても、右岸堤内から八間堀川河道への流入とそこからただちに起きた左岸堤内への越水流出らしき映像がちらりと見える。しかし、この現象について本人も日本放送協会も何も言及しない。
iRIC Project のウェブサイトには、いろいろな使用例が掲載されていて、鬼怒川水害のシミュレーションも載っている(http://i-ric.org/ja/animation/)。
小さな画像で、9月10日から12日までの3日間を、わずか42秒で早送り同然で再生するものだから、肝心のところがよくわからない。無理やり拡大したのが2枚目で、川崎排水機場と大生地区の2か所で八間堀川左岸から氾濫しているように見えないこともないが、そうなると八間堀川の破堤点情報を初期値として入れたうえでのシミュレーションであることは明らかだろう。そもそも、若宮戸について24.75kと25.35kが分けられているようには見えないのだが、若宮戸の溢水より三坂の破堤の方が先に発生しているということにしても、鬼怒川の溢水・破堤情報もシミュレーション結果として出力されたというのではなく、初期値として(しかも誤ったデータが)入力されたと考える方が自然だろう。なお、これは誰がおこなったシミュレーションかはわからない。
メインメモリ2ギガバイトのウィンドウズ7のパソコン程度で動くソフトウェア(iRIC)に、ごくごく大雑把な初期データを入力したところで、どの地点でどの程度の越水がおきるかを予想しうるはずなない。まして決壊(破堤)をシミュレートできるはずはない。べつにソフトウェアがダメだと言っているのではなく、入力する初期条件のデータが圧倒的に粗略なのである。十分なデータがないのだから、「世界で一番」のスパコンをもってきたところで何の意味もない。
以上のとおり、第2工程において、越水・破堤それ自体は、シミュレーション結果として出力されるのではなく、初期条件として入力したうえで、その横幅と水深から氾濫水の量を計算しただけであろう。
(第3工程)堤内地へ流出した氾濫水の挙動のシミュレーション
次に第3工程としてその特定地点からの、時間的経過による変動を織り込んだ氾濫水量データ(出力2)を初期条件3–1として取得し入力したうえで、初期条件3–2として、堤内地の高度変化・障害となる物体・逆にその流下を促進する物体のデータを入力しておいた堤内地に流し込み、その拡散・流下・貯留状況をシミュレートするのである。
堤内地に流入した氾濫水の挙動にしても、従来はせいぜい等高線データから予測していただけだろう。今後は、それに加えて道路盛り土などの「線状構造物」による氾濫水の貯留、建物による氾濫水の流速や方向の変化、逆に氾濫水による家屋の損壊状況などを、いかにしてあらかじめ正確に予測できるかを探るのが、国交省河川部と配下の各地方整備局河川部の課題の一つとなっている。
数多の研究者たちが、競ってというより歩調をあわせて、鬼怒川水害における氾濫水の挙動の観測データをシミュレーションによって再現しようと努力している。それは、実際の氾濫水の挙動がわからないので、それが実際どうだったかを知るためにシミュレーションをおこなっているのではない。すでに起きていて、すでに分かっている実際の氾濫水の挙動を、コンピュータ・シミュレーションによって液晶画面上に再現することが目的なのである。鬼怒川水害について解明するためにシミュレーションをしているのではない。
すでにわかっているデータどおりの状況を、いくつかの初期値とアルゴリズムによってコンピュータ画面上で再構築できるようになれば、そのアルゴリズムを使って、まだ起こっていない水害の被害予測ができる、ということである。その場合、ターゲットは都市、それも名前だけ「〇〇市」と呼ばれる地方農村地帯の小規模な街区などではなく、人口数百万規模の大都市である。東京、横浜、大阪、名古屋、札幌、仙台、広島、北九州、新潟、など、日本列島の大都市は、ほとんどが大河川(日本的基準での「大」だが)の沿岸にあり、しかもそのほとんどが大河川河口部の臨海都市である。
シミュレーション精度の向上で事前予測が正確なものとなれば、まことに結構なことではありませんか、ついては鬼怒川水害の被災地・被災者はそのためのケーススタディ材料を提供する犠牲の人柱としてお役にたつと思いどうか諦めてください、ということなのである。
鬼怒川水害直後に、整備済みが17%という茨城県内区間の鬼怒川堤防の現状を指摘された国土交通省が、「堤防整備は下流からやっています」と言ったのは、鬼怒川の下流のことではもちろんなく、若宮戸から25kmほど、三坂から21kmほど、水海道から10kmほど下ったところで流れ込む利根川という下流のことだったことも想起すべきである(鬼怒川という独立した川は存在せず、たくさんある利根川の支流のひとつの名称が「鬼怒川」なのであるから)。
若宮戸2箇所と三坂、あわせて3箇所の氾濫量比率については、2022年作成のページ(⥥鬼怒川水害訴訟・水戸地裁>2 若宮戸氾濫と損害との相当因果関係以下)であらためて検討しています。ここでの検討結果とはだいぶ異なります。以下については削除はせず、このままにしますが、あらたな推測の方をご覧ください。
氾濫水量について考えていたはずが、手段としてのシミュレーションの件にも言及せざるをえませんでしたが、ここで本題に戻ります。
24.75kからの氾濫の規模はどの程度だったのでしょうか。
氾濫量の多少は何によって決まるのかについて考えたいと思います。さきの土屋兼任講師の報告の2ページ目左上に、iRICの越流量推定数式と「本間の越流公式」がのっていました。いずれも、変数は幅と高さと流速の3つだけのようです。
流速データは持ち合わせがないので、以下、氾濫水の流入幅と高さについて考えることにします。
24.75k
24.75kは押堀の幅は少なくとも30mはありそうです。北側と東側(下のグーグルマップの衛星写真では左側と上方)がある程度埋め戻されているので(写真のとおり、2015年9月下旬はまさにその作業中です)もうすこし広かったかもしれません。
手堅いところで押堀の幅約30mと見ます。国土交通省の発表でも、国土地理院の「地理院地図」(次ページで詳しく見ます)でも、深さは6mです。氾濫時には水位は2mほどあったので(これも次ページで検討予定)、足して氾濫水の水深は8mほどでしょう(かなりの波濤がたっていたでしょうが)。氾濫水は押堀の地点では左右の砂丘残丘まで広がったであろうこと、それと押堀の断面形状を考慮し、氾濫水の断面積は240㎡程度だろうと思われます。
うっすらと見える斜めの線は、グーグルマップによる、市道「東0280号線」の表示です。よく見ると両岸の紅白鉄塔を結ぶ送電線も水面に写り込んでいます。市道「東0280」号線、高圧送電線がクロスする地点を、あの日、氾濫流が横切ったのです。ということは、ここがかつての河畔砂丘「十一面山」の砂丘列のうち最大の畝筋が通っていたところなのです。究極のカサンドラ・クロスです。もっともあとの二つは原因と結果の関係にあるので、同じことですが。
25.35k
25.35kは、幅200m、氾濫水が土嚢の堤防もどきの上だけから流入したとして、深さ0.7m、掛けて140㎡となります。
もっとも、25.35kの土嚢の堤防もどきが最初から最後まで残っていたなどと言い張るからこういうことになるのです。正直に計算すれば、幅200m、深さはちょっとおまけして2mということで400㎡と見積もるのが妥当でしょう。
上で見た土屋講師の論文では、土嚢の堤防もどきはあってもなくても氾濫量はほとんど同じだといっています。いずれにしても、400㎡は適切な値でしょう。
三坂21k
三坂もみておきます。三坂の堤防の決壊幅200mといっているのは、ずいぶん鯖読みがあります。曲線を描いていた堤防の弧の長さで言っているようで、直線で結べば190mです。しかも、赤い腰壁の工場の裏手、ケヤキまでの上流側35mは、河道側の半身だけが削られたものの、天端の一部と堤内側の堤体はそのまま無傷で残っています。ですから、ここからは(何時間も越水していたのを除けば)まったく流入していません。つまり、俗に決壊といっている190mのうち、完全に堤体下部まで喪失した破堤幅は155mです。
正確な長さ以前に、「決壊」と「破堤」の定義が混乱しています。「決壊」と「破堤」が混同どころか区別すらされていないのです。破堤して初めて決壊というかと思えば、破堤していなくても決壊と言ってみたり、まったくデタラメです。国交省は三坂の21kにおいては9月10日午後0時50分に「決壊」したというのですが、これは堤防の基底部まで流出する「破堤」という意味のようです(その判断根拠たるや対岸の篠山水門に設置された低解像度のCCTV画像だというのです。どういうわけか「決壊」以前のものは存在しないそうです)。そのいっぽうで、ケヤキまでの35mは破堤していないのですが、破堤した155mと一緒くたにされて、190mの決壊幅に算入してしまうのです。しかもこれを四捨五入?して決壊幅は「200m」だと称しているのです。この程度の基本情報すらデタラメなのが鬼怒川水害です。単純に事実を隠蔽している、というのとは次元が違うのです。河畔砂丘と「いわゆる自然堤防」ほど救い難いものではないとしても、三坂の21kについても、基本的概念すら不正確に使って議論もどきをしているのです。
破堤幅については、たいていの報告・研究がろくに写真も見ず、もちろん現場も見ずに、国交省発表の「200m」をそのまま採用しています。官許数値を疑っているものもごくまれにあります。たとえば、山本晴彦・野村和輝・坂本京子・渡邉薫乃・原田陽子「2015年9 月10日に茨城県常総市で発生した洪水災害の特徴」によるいささか杜撰な読み取りでは140mです(自然災害科学 J. JSNDS 34 -3 171 -187、2015年、177ページ。https://www.jsnds.org/ssk/ssk_34_3_171.pdf 。この報告書は、若宮戸の河畔砂丘を「自然堤防」とするほか、大野公民館の外壁の動いている掛け時計の針を見て、そこまで氾濫水位が上昇した時刻だと勘違いするなど、要注意モノです)。
ここではGoogleの衛星写真で読み取った155mとしておきます。
問題は高さですが、上三坂の堤内地はこのあたりでも比較的標高の高い場所なのです。
三坂は、まさに直上での破堤だったために甚大な被害をうけましたが、たとえば若宮戸からの溢水だけであれば、今回完全に破壊され流失した家屋群はほとんど無傷だった可能性が高いのです。これは、小貝川の自然堤防地帯の曲田(まがった)も同様です。曲田があるのは、小貝川(こかいがわ)の旧河道沿いの自然堤防ですが、今回の水害でも最近新たに建った一軒だけが浸水し、周囲の耕地は若干浸水したものの昔からある数十軒の農家集落はまったく浸水しませんでした(別ページ参照)。曲田は、1986(昭和61)年の小貝川の豊田(とよだ)排水機場付近での破堤による小貝川水害の際にも、その豊田のすぐ下流側にあったにもかかわらず浸水を免れました。標高の高さに由来する冠水しにくさという点で三坂は曲田とよく似ています。とはいえ、直上の堤防から越水したり、まして破堤したのでは激しい浸水は免れません。それはともかく、よくいわれるように堤防自体が「計画高水位」と余裕分に比べてだいぶ低かっただけでなく、三坂の堤防は堤内側(河川の外側)の地盤からの高さも比較的低かったのです。(下図は、『鬼怒川堤防調査委員会報告書』〔国土交通省、2016年3月 http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000643703.pdf〕3-23ページ)
だいぶ起伏はあるのですが、平均してざっと2mとします。すると、155mかける2mで、断面積は310㎡です。ただし、ここでも押堀(のようなもの)が形成されているので下面はかなり低下しています。堤外側の高水敷より堤内側の地面は2mくらい高くなっているうえ、当然均一ではなく凹凸があるのですが、ここは素人の特権?を行使してごく大雑把に、押堀のために流入断面の下辺は平均して3mほど下がっていたとみて、おおまかに氾濫水は上下幅5mで流入したとみなします。したがって、155mかける5mで、断面積は775㎡です。
変数はもうひとつあって、流速です。これ次第では順番が入れ替わるかもしれませんが、しかし何倍も違うなどということはないでしょう。それをいうなら、何倍も鯖読みしたり、完全に無視してゼロにするような、デタラメ放題をしてきたのが、従来のシミュレーションだったのです。それに、国交省がおこなってきた、ハザードマップの元データとなる等間隔に選ばれた破堤点からの流入量計算は、例の謎の係数「0.35」をかける「本間式」でやっているのでしょうが、押堀のことなんかてんで考えていないのですから、当ページのほうがまだマシ?なのです。
こうして、三坂が775㎡、若宮戸25.35kが400㎡、そして若宮戸24.75kが240㎡となります。
従来の氾濫量の比は、
三坂 : 若宮戸25.35k : 若宮戸24.75k = 4:1:0
でした。今回の概算では、氾濫水の流入断面積の比は、
三坂 : 若宮戸25.35k : 若宮戸24.75k = 4:2:1
となります。
今は、非現実的な作為や「はじめに結論ありき」というバイアスから脱却すべき時であり、いきなり厳密な数値を要求する時ではありません。今までは、三坂:若宮戸25.35k:若宮戸24.75k=4:1:0だと決めてかかっていたのを是正し、4:2:1くらいと考えるのが合理的であることを確認すればよいと考えます。
(概算とはいえ、以上の氾濫断面積の推定値は、後日、ほかの2地点も検討した上で、訂正します。)
素人の戯言と嗤われそうです。
そうは言っても専門家の諸先生がやっているのは、たいして高性能でもないパソコンに、軽いアプリケーション・ソフトウェアをインストールし、おおざっぱな初期値を入れて結果を出す簡易なシミュレーションにすぎません。しかもこの流入量の決定要因である破堤幅(堤防がないところでは何と呼ぶのか知りませんが、要するに開口幅)と高さは、iRICが算出してくれるはずはなく、初期値としてあらかじめ入力するはずですが、そろいもそろって国土交通省の思惑を忖度して、ありもしない数値をあてはめてきたのです。流入する河川水の水位はiRICが教えてくれるのかもしませんが、わざわざ怪しげなシミュレーションをするまでもなく、観測・観察による客観的データを使うべきです。素人をみくだす「専門家」にしたところで、単純化したモデルで恣意的な計算をしているだけの話です。この際、本物の専門家に精緻なシミュレーションモデルを構築していただき、正確な観測データを何十万(何百万?)件も用意した上で、「世界で一番」でなくても結構ですから、5番目くらいのスーパーコンピュータを駆使してきちんと計算していただきたいところです。
などと負け惜しみを言っておりましたところ、若宮戸24.75kを無視するわけにはいかないことは、どうやら国土交通省自身も気づいているようで、氾濫量推定値の修正がはじまったようです。これも土木学会がらみですが、田端幸輔・福岡捷二・吉井拓也「平成27 年9月鬼怒川流域における洪水流・氾濫流の一体解析に基づく水害リスク軽減策に関する研究」(土木学会論文集B1(水工学) Vol.74, No.4, I_1399-I_1404, 2018.)に、氾濫水量の新たな推計値が出ています。著者のうち2人は中央大学の教授と准教授ですが、3人目は国土交通省関東地方整備局の現役の河川課長です。形式上は土木学会の論文集に、東京大学工学部出身の河川工学者である吉井拓也が共著者のひとりとして個人会員の資格で寄稿したというものでしょうが、あえて肩書きを明記したことからも、事実上国土交通省の見解表明と受け取るほかないでしょう(「総理大臣〇〇〇〇」と記帳する〝私的〟な靖国神社参拝のようなものです)。
論文のテーマは、破堤・溢水により堤内地に入ったあとの氾濫水の挙動のシミュレーションであり、さまざまに変数を変えた計算を積み重ねることで、常総市の鬼怒川水害における実際の挙動を再現しうる変数設定手法を探ろうというものです。それを他地域のハザードマップづくりに応用するのが目的なのです。
氾濫水量に関する記述を見るのが目的なのですが、暫時脇道にそれて、関東地方整備局吉井課長が常総水害からどれだけ教訓を汲み取ったか(汲み取らなかったか)について見ておくことにします。
日本放送協会がそこだけ注目した二瓶教授の「八間堀川バイパス説」の二匹目のドジョウを狙い、国道294号バイパスと八間堀川右岸堤防の間の低地が水海道市街地へと氾濫水を急送するバイパスになったと誇らしく主張するものの、そんなのは八間堀川が後背湿地最深部に開削された排水路であれば当たり前のことであり(そうでなければ排水=悪水は集まってきません)、当 naturalright.org がグーグル・クライシスレスポンスの衛星写真ひとつで容易に読み取ったことです(実際には東西の自然堤防の配置によって、氾濫水は東に西にと蛇行するので、それほど単純ではありませんが……)。東京大学工学部卒業の国交省幹部職員がけっこうな費用をかけてまでシミュレーションしてその程度かと思ってしまいます。まるで大発見でもしたかのように大はしゃぎしている吉井課長は、もしかして自然堤防と後背湿地(後背低地)の意味がよくわかっていないのかもしれません。
それより、その氾濫水がどうやって八間堀川右岸から常総市役所などのある八間堀川左岸に渡ったかを考えるのを忘れているようです。常総市役所が新八間堀川右岸=北岸にあると思っているのかもしれません。まさか、氾濫水が国道294号バイパスで渡河したとおもっているわけではないでしょうから、そこのところは考えるのを忘れていたのでしょう。
事実はこうです。ついには八間堀川と294号バイパスは接近し、ついでクロスするのですが、そこで行く手を遮られた氾濫水が八間堀川右岸から河道へと「越流」し、ただちに左岸堤防を破壊して、八間堀川左岸に広がる常総市最深部の広大な水田地帯へと流入し、さらに、それに遅れてこんどは八間堀川の左岸堤防と小貝川右岸堤防の間を流下してきた氾濫水がそれに合流し、一体となって水田地帯に流入貯留しました。そのほんの一部(分離したわけではなく、水面が連続する一体の水塊の辺縁部という意味です)が新八間堀川南岸の、常総市役所などのある市街地を水没させたのです。
八間堀川右岸を流下するところまでならシミュレーション可能でしょうが、それが大生地先で八間堀川河道に「越水」する際に、左岸堤防を破堤させるか、それとも左岸堤防を「越水」するか、そのいずれであるかは、「世界で一番」のスパコンであっても、絶対に再現不可能です。しかるべき初期条件をいれなければ、いかにスパコンでもまさに役不足で宝の持ち腐れとなるのですが、吉井課長は入れるべき初期条件のデータを持っていないのですから。
申し遅れましたが、国道294号は、かつては鬼怒川左岸堤防の堤内側法面(のりめん)直下、時に法面中段、時に天端を走っていました。現在の茨城県道357号線です。その「バイパス」として建設されたのがここでいう国道294号です。かつては堤防沿いの旧294号に対して、こちらを「バイパス」と呼んでいたのです(他では、旧道とバイパスの両方に同じ国道番号がついている例はよくありますが、それと同じです)。ところが、いまや元になった旧道が県道に格下げになり消滅してしまったのに、地元では、つい「294(にいきゅうよん)バイパス」と呼んでしまうのです(若い人は別ですが)。
常総市南部の水海道から、栃木県真岡市までほぼまっすぐの平坦な道が延々と続きます。レーン変更を除けば方向指示器は一回も使いません。鹿島灘などの海岸線沿いの道でこういうのはあっても、河川沿いのこんな道路は珍しいように思いますが、それこそが、この鬼怒川水害が起きた場所の特徴をよくあらわしているのです。
下は、別ページで、3年前に(近くに住んでいる暇人の素人が費用ゼロで)推測した氾濫水の挙動です。南北逆になっています。赤が八間堀川と新八間堀川、黄が国道294号バイパスです。右が鬼怒川(上流は画面下)、左上が小貝川(上流は左)です。一番右上奥の青緑矢印のあたりが、常総市役所です。青緑矢印が氾濫水の流入方向です。
橙矢印は八間堀川・新八間堀川に、右岸側から氾濫水が「越水」した地点です(シミュレーション結果ではなく、実際に「越水」した痕跡がある場所です。1と4が原因となり、それぞれ八間堀川左岸堤防が破堤しました。4の箇所の破堤は、新八間堀川から鬼怒川への排水ポンプ停止による八間堀川の水位上昇が原因だとする説がありますが、間違いです。)。
このページの本題たる氾濫水量推定に話を戻します。
吉井課長らの論文は、氾濫水の挙動を再現する作業の前提として、まず各地点からの氾濫水量のシミュレーション結果を示します。つぎのとおりです。
これこそが「算定手法から見て最も信頼性の高い解析結果である」として提示するのが、「若宮戸地点で1705万㎥、三坂地点で1456万㎥の合計3161万㎥」です。図2のグラフのとおり、若宮戸は24.75kと25.35kの両方を含む数値です。ただし内訳は示されていません。
従来の三坂:若宮戸=4:1という公式見解があっさりと否定され、突然若宮戸2か所が三坂を上回ることになったのです。この論文の目的は、上述のとおり、すでに堤内地にはいってしまった氾濫水の挙動をコンピュータ上で再現することですから、それに先立つ氾濫水の流入量については、結論だけ言うのみで特段の説明はありません。
25.35kについては、例の土嚢の堤防もどきがその天端まで洪水を防いだとする公認見解を踏襲しているかどうかにも、一切言及していません。しかしながら、若宮戸からの溢水量が大幅にふえていることからみて、放棄したと見る方が自然でしょう。「品の字」積みが最後まで維持されていたとすれば、これほどの流入量となる可能性は低いでしょう。また、読み取りにくいのですが、グラフで午後8時過ぎまで、もしかして午後9時ころまで流入が続いたとするのも、その故だろうと思われます。土嚢の堤防もどきが残っていれば、もっと前に氾濫は終わっているはずです。もちろん、2か所の内訳が示されていないので、25.35kの土嚢は無傷だったが24.75kの流入量が膨大だったという可能性もなくはないのですが。
結論だけ放り出すように書き、前提事実も根拠も一切書かないで、そのくせ自分で「最も信頼性の高い解析結果である」と大言壮語するなど、およそ学術論文の体をなしていません。肝心の主要部分、つまり上述の氾濫水の挙動に関する陳腐で粗忽な主張といい、うっかり真に受けるのもどうかとは思うのですが、そうは言っても絶対の影響力を発揮してきた官許数値を、当の国交省の役人研究者があっさりと放棄したのですから、一大事です。線香花火のように儚く終わる可能性もありますが、今後の展開を注視したいと思います。
ここまで国策学者らの仮想現実体験につきあってきましたが、その低解像度の仮想現実 virtual reality も、24.75kの氾濫の現実 reality に目を向けさせる契機となるのです。
退屈な議論に終始しましたので、いよいよ次ページでは、氾濫直後の現地を隈なく探索することにいたしましょう。
国土地理院のウェブサイト「地理院地図」で作成した押堀とその周辺の3D地図(高さを約5倍に拡大表示)
氾濫水の流入ルートは一目瞭然です。
長すぎる後書き
(読み飛ばしてくださって結構です。このあと、次ページから100枚以上の写真を、内容にしたがって並べて検討するのですが、なぜそうまでする必要があるのか、その理由をご説明いたします。
国交省は、水位観測地点ではないのでどのようにして判断したかは不明ですが、25.25.kの最高水位はY.P.=22mであったとしています。そして、25.35kのソーラーパネルの前面に「平均!」標高21.3mまで土嚢の堤防もどきを積み、その巾着の天端まで洪水をブロックしたといっています。一方、24.75kの流入箇所の標高は約20mで、25.35kの土嚢の天端より低いのに、氾濫は25.35k地点のあとだった、などど聞かされると抽象的に水位だけを考えていたのでは訳が分からなくなります。そもそも、多くの人が、24.75kの流入箇所だといっている判断はかなり杜撰なもので、かなりずれているのです。
若宮戸の両地点の侵入経路や到達時刻の時間差は、航空写真と現地の写真を丁寧に見ればわかることです。いずれにしても、真相を知るための手段はたくさんあるのですから、見れば済む話です。)
鬼怒川水害から3年もたつというのに、鬼怒川水害の真相は一向に明らかになりません。
重大災害の隠蔽は鬼怒川水害に限ったことではありません。福島第一原子力発電所の場合であれば、東京電力および原発推進勢力(国家行政組織、電力業界・重電業界・建設業界、自民党、など)による隠蔽体制が敷かれ、国会事故調査委員会の立入調査すら拒否するという、とんでもない違法状態によってそうなっているのです。(もっとも、その隠蔽勢力にしても、原子炉本体どころか原子炉建屋の内部や地下などはほとんど探ることができないわけですから、本当は津波以前の地震でずいぶん破壊されたことなどを隠している本人たちですら、危なくて近づくことすらできない原子炉本体のことはたいしてわかっていないのですが。)
鬼怒川水害であれば、当日は数多の行政組織や報道企業の航空機による空撮もおこなわれていましたし、地上での(逃げ遅れたのではなく、何が起こるのかを見るために踏みとどまった)目撃者も相当数いるのです。水害後の現地調査や聞き取り調査は相当の規模でおこなわれています。にも関わらず、災害発生直後から、溢水・破堤という焦点的事実より周辺的事実(避難指示や避難の遅れ)にばかり注意が誘導され、あげくは事実ですらないまったくの虚偽である「水海道市街地水害八間堀川唯一原因説」に、とらわれる人がいまだにいるのです。
どうしてこういうことになるのでしょうか。広島・長崎でいうと、戦後すぐに原爆を投下したアメリカ合州国軍隊が乗り込んできて、克明な調査をおこなったうえ、放射線影響研究所(https://www.rerf.or.jp/about/)による継続的な医学研究体制をつくりました。放影研の目的は、人体と社会に対する原爆の影響・威力を検証することであり、被爆者の医療をおこなうことでその救済をはかることではありません。災害の加害者・責任者が、何食わぬ顔で災害の影響調査・原因調査をするという点では、鬼怒川水害も似たような状況があります。堤防(ないところでは岸辺の)の確認や整備を怠るいっぽうで、山河を破壊する、たいして必要性のないダム建設にばかり集中してきた国土交通省が、「鬼怒川堤防調査委員会」というほとんど実質的意味のない広報向け組織による表面的検討でお茶を濁し、「堤防」のない若宮戸地区についてはうわべの検討すらせず、一応の堤防建設を前倒しでおこなうことで幕引きにしようとしています。さらに国土交通省は、関連する研究者と関係業界企業のクラブ組織である土木学会(http://www.jsce.or.jp)にさまざまの便宜供与をすることで、水害の原因研究に向かうことのないピンボケの調査調査へと誘導しています。
三坂や若宮戸25.35kのソーラーパネルの映像が(ときに混同されつつ)さんざんライブ放送されたのとは裏腹に、若宮戸24.75kについては、水害後しばらくの間その存在すら知られていなかったばかりでなく、数か月で飽きた新聞が立ち去ったあとは、国交省と土木学会による隠蔽工作がほぼ奏功しつつあるのです(国交省関東地方整備局河川課長の「論文」がどうなるかが今後の唯一の変動要因です)。
原爆に関する真相隠蔽のロジックと体制はいろいろあります。たとえば戦略理論としては「核抑止論」にもとづく軍事体制、産軍体制としての「核=原子力発電」推進政策、放射線影響の過小評価と受忍を正当化する医療体制など、政治・経済・研究教育・医療の全社会的な広がりをもっています。それぞれの分野で各種の分析視角と理論が形成されるのです。壮大なシステムとしてばかりではなく、一見瑣末なところにも隠蔽のトリックが仕込まれているのです。たとえば、「被爆者」とは放影研の基本テキストである英文文書(その一部が日本語訳されているだけです)では survivor 、つまり「生存者」です。狭く限定された同心円内で被爆して生き残った者だけがサンプルとされ、死者は最初から除外されるだけでなく、爆発後に円外から一時立ち入った者はもちろん、市内に住民登録されていなかった者と被爆後に転出した者、さらにはサンフランシスコ講和条約発効時に国籍剥奪され、大日本帝国臣民から「在日外国人」となった者をすべて除外、それどころか完全に無視して、現在までの被爆の「実態」研究がされているのです。人数だけですら、とんでもない過小評価がされるのです。こうして内部被曝の無視も、医学的に正当化されるのです。
若宮戸24.75kでの隠蔽の主要なロジックが、「シミュレーション」であったことについては、このページで見たとおりです。最初は24.75kの氾濫の規模をさぐろうとして、いくつかあるシミュレーションの例を総覧しようとしたのですが、書いている途中で、シミュレーションは鬼怒川水害の実態を知るための研究なのではないことに気づいて、いったんオープンにしたものを破棄して、全部を書き直すことになりました。まるで50年前のコンピュータ信仰が現在に蘇ったようなコンピュータ・シミュレーションによる机上(コンピュータのデスクトップ上と言う意味です)での再現実験は、「複雑系」理論以前の、50年くらいは遅れている、成功の見込みのない時代遅れの妄想というほかありません。そこで行われているのは、恣意的な初期条件を入力して、あらかじめ想定してある範囲での結果を出力するためのコンピュータ・アルゴリズム作成作業にすぎないのです。本物のヒヨコを見ないでシミュレーションの「たまごっち」に熱中する小学生同様とはいいませんが、起きてしまった水害の実態解明には役立たず、せいぜいまだ起きていない他の河川での水害予測、たとえばハザードマップづくりの精度向上という大義名分がたつ程度です。シミュレーション作業をおこなう人たちは、それによって、現に起きた(たとえば2015年の鬼怒川水害の)氾濫の規模や原因をあきらかにしようとしているわけではないのですから、シミュレーション例を並べて見比べたところで、真相に近づくことはできないのです。
24.75kと25.35kの氾濫は、河畔砂丘「十一面山」の掘削に起因するという点ではもちろん共通性がありますが、一応は別のものです。2014年のソーラー発電所建設のためになされた「B社」による25.35k地点前後約200mにわたる河畔砂丘の掘削がなくても、24.75kでの氾濫は起きたのです。
三坂の破堤原因は、言われているほど単純ではありません。若宮戸25.35kの溢水は、それよりは分かりやすいとは思いますが、それでもあの土嚢の堤防もどきがどうなったかについては、十分に解明されたわけではありません。若宮戸24.75kにいたっては、ほとんど解明作業がおこなわれていないといわなければなりません。
そもそもシミュレーションは実態を知るためにやっているのではないのですから、それをいくら並べ立てて眺めたところで実態を知ることができないのは当然です。それではどうやって、24.75kでの氾濫の実情を知るべきなのでしょうか。ここでもやはり、現地を見るしかありません。「鬼怒川緊急対策プロジェクト」によって堤防が急造され、現地はほとんど当時の面影を留めず、まったく別のところに来たかのような印象をうけます。しかし、当時の図面や地図、過去数十年分の航空写真、水害当時のかなりの数の航空写真・衛星写真があります。グーグルは、ドローンで一度や二度撮影したと威張っている人が恥ずかしくなるような、特殊処理で作成した3D画像を無料で提供していますし(いつまでかはわかりませんが)、災害後の現地の地上写真は数百枚あります。それを見ていけばいいのです。
長すぎる後書き おわり