16, Oct., 2015.
国土交通大臣が発した水害発生の「第1報」です(http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000631307.pdf)。発表時刻は後ほど示される資料によれば午前6時30分です。鬼怒川流域の5か所での「越水」「漏水(ろうすい)」の発表です。25.35km地点の「若宮戸」についての最初の発表です。9月10日午前6時過ぎから「越水」が発生したというものです。これは茨城県庁へ送信されたはずですが、常総市役所へも直接連絡し、あわせて記者発表がおこなわれました。前ページで見たのがここまででした。
国交省関東地方整備局下館河川事務所は、豪雨の続く9月9日の午後、14時00分に「注意体制」に移行し、同20時10分の「警戒体制」を経て10日未明、午前3時55分に「非常体制」に移行していました。下は、「警戒体制」を経て10月2日に「注意体制」にもどった時点でのウェブサイトの表示です(http://www.ktr.mlit.go.jp/saigai/shimodate_dis00015.html)。
なお、下館河川事務所は、茨城県筑西市にあります。「下館(しもだて)」は2005年の1市3町合併による筑西(ちくせい)市新設以前の中心市名です。同事務所(地図中の北のバルーン)は鬼怒川とその東を流れる小貝川の間にあり、常総市役所(南のバルーン)まで国道294号で31.4km、通常45分、渋滞なしで36分(GoogleMap)の距離にあります(ただし今回冠水して不通となりました)。
小貝川(こかいがわ)は、1986〔昭和61〕年に当時の下館市(現在の筑西市)のほか石下町と水海道市すなわち現在の常総市で右岸堤防が決壊し、今回浸水した約40㎢のうち 四分の一にあたる約10㎢が浸水しました。決壊したのは、今回の「三坂町」の東方向の堤防です。
(http://dil-opac.bosai.go.jp/publication/nied_natural_disaster/pdf/27/27.pdf)
(http://www1.gsi.go.jp/geowww/disa/disa_1986kokaigawa.jpg)
(http://dil.bosai.go.jp/workshop/02kouza_jirei/s04kakoku/kakokukado.htm)
(http://www.ues.tmu.ac.jp/cus/archives/cn17/pdf/30-04.pdf)
(http://www.city.joso.lg.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/6/00706.pdf)
次は、若宮戸等の「越水」に続く午後12時50分に起きた三坂町の「決壊」の通報です(http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000631423.pdf)。下左は記者発表の際の冒頭ページです。これ以降、「問い合わせ先」として、さいたま市(もとの浦和市)の関東地方整備局の「河川調査官 高橋伸輔」が一貫して登場します。2枚目はこの発表に添付された地図ですが、常総市役所へはファクス送信されたものと思われます。国交省が以前に作成してウェブサイトでも公表している「氾濫シミュレーション」のうち、決壊地点のやや下流寄り、左岸20.25km地点から氾濫した場合の浸水予想図を紙にプリントしたものに、赤のサインペンの手書きで決壊地点(左岸21.0km)を書き入れたものです。二つある赤のバツ印のうち、南側がシミュレーションの「破堤」地点で、北側がサインペンによる決壊地点です。
通報・発表の時刻は明記されていませんが、あとで見るとおり、9月10日の13時20分、「決壊」の30分後です。
1ページ目のとおり、「左岸21k付近 茨城県常総市新石下地先」となっています。河川や堤防は住居表示の対象となっていないので、このように最寄りの住居表示に「地先(じさき、ちさき)」をつけ、その隣接地であることを示すのですが、それはともかく、「三坂町(みさかまち)」とすべきところを「新石下(しんいしげ)」と誤って表記しています。「左岸21k」はそのとおりなので里程を記した河川図を見ていれば矛盾に気づき、地先表示が誤っている可能性に思い至るかもしれませんが、地先表示だけで判断すると場所を取り違えることになります。
翌11日午前11時に下のような発表があり、決壊地先名が「新石下」が「三坂町」に訂正されました(http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000631487.pdf)。
上右ページのうち、訂正の経緯を記してある部分を下に拡大しました。「現地確認の結果、地先名を新石下から三坂町に訂正」とあります。「現地確認の結果」とはどういうことでしょうか? 地名の誤りは地図を見て気付くものであって、そもそも地名がなく(だから「地先」表示するのです)、当然地名表示などあるはずもない「現地」では絶対にわからないのです。まさか、新石下地先の堤防を全部見て回ったなどということはないでしょうが、ずいぶん時間がかかったこととあわせ、不可解な経緯です。この間違いの原因と、それがもたらした結果については、ひとつの推理をのちほど提出します。
同じ頃、常総市役所は、鬼怒川左岸(東岸)全域に避難指示を出しました。「三坂町地先」堤防の「決壊」が12時50分で、国交省による発表は13時20分ですが、避難指示発令は13時8分です。「決壊」後に避難指示を出したのは事実ですが、「決壊」を知った後に避難指示を出したのではなかったのです。
鬼怒川左岸(東岸)の全域のすべてが、新たに避難を指示されたのではなく、一部に対してはすでに指示がでていたのですが、それらの地域を除いた他の地域にとっては、「避難準備情報」と「避難勧告」を飛び越えて突然出された避難指示となりました。
左岸全域となると市の面積の三分の一に相当します。しかも旧水海道市の中心市街地と旧石下町の中心市街地の両方が含まれるため、人口の過半が対象となる大規模な避難指示です。
常総市役所が発令した「避難勧告」(http://www.city.joso.lg.jp/kinkyu/1436502927467.html)と「避難指示」(http://www.city.joso.lg.jp/kinkyu/1436502981392.html)は下のとおりです。日付がなく、ウェブサイトのページの「更新日」はそれぞれ、9月15日、同14日となっていますが、内容は当然9月10日に関するものです。
以上、「三坂町」での「決壊」(9月10日〔午後〕12時50分)と、その発表(13時20分)、ならびに常総市役所による「避難指示」発令(13時8分)までの経過を見てきました。
報道企業が口を揃えて非難するのは、「決壊」したのは「三坂町上三坂地先」である左岸21km地点だったのに、その近くで「決壊」に先立って「避難指示」が出ていたのは、その南隣(下流側)の「三坂町中三坂上」と「三坂町中三坂下」だけで、当の「三坂町上三坂」には「決壊後に避難指示」を出した」ことです。それでは報道企業各社は、どの程度のひろがりをもってあらかじめ「避難指示」を出しておくべきだったと考えているのでしょうか。たとえば、
⑴ 「決壊」した「三坂町上三坂」にもあらかじめ発令しておくべきだった
⑵ 「三坂町」すべてにもあらかじめ発令しておくべきだった
⑶ 鬼怒川東岸(左岸)全域にもあらかじめ発令しておくべきだった
もちろんこれでおわりではありません。報道企業は忘れているようですが、
⑷ 鬼怒川西岸(右岸)全域にもあらかじめ発令しておくべきだった
この選択肢もあるのです。(下妻市、つくばみらい市、守谷市など南北に隣接する他市についても同様ですが、後日検討することにし、今は一切触れないことにします。)
そんなに言うなら自分で出してみればいいだろう、などとは言いませんが、どうあって欲しいのか、どうあるべきだったと考えているのでしょうか。この間の報道内容を瞥見したうえで判断すると、ありていに言えば何も考えていない、というところでしょう。各社は地図も見ないで、全国的に見ても特異な常総市の地理的要因にまるで無頓着なまま、後知恵で論評しているだけなのですから。
もちろん、当website は、「避難指示」「避難勧告」の発令に何の問題もなかったと主張しているのではありません。現実に死傷者もでているし、多くの住民が「孤立」すなわち逃げ遅れてしまい、1000人以上が自衛隊・海上保安庁・全国の地方自治体のヘリコプターで救出されるという結果になったのですから、全経過を検討したうえで、他自治体も含めて必要な改善策を見出して実行すべきであることは、当然です。
なお、「避難指示」「避難勧告」を聞き流したり、無視した住民がいたとして、テレビのワイドショーなどは住民の「心構え」について説教したり、「ハードだけでなくソフトも大切」だとか意味不明の解説を加えるなど、事柄の本質から注意をそらすだけの戯言に専念していることは到底容認しがたいものです。
そしてまた、国土交通省気象庁は、茨城県に9月10日午前7時45分「大雨特別警報」を発表していたのですが、これに対して茨城県庁、県内の全自治体がどう対応したのかという問題もあります。たとえば、茨城県教育委員会は、県内のすべての小中高校等の在学児童生徒に対して「大雨特別警報」にもとづく措置をとるべきだったのに、一部を除いて事実上傍観していたのです。登校時間以降の発表であるのに、多くの学校でそのことを児童生徒に(教職員にさえ!)知らせず、漫然と授業を続行しました。近隣市町の学校では自宅が浸水したのを知らずに授業を受けていた生徒、授業をしていた教職員もいたのです。気象庁は、県内自治体の「大雨特別警報」への対応状況(非対応状況!)に業を煮やし、10月中旬から悉皆調査に着手したようです。この「大雨特別警報」に関しては、報道企業はあまり気にもしていないようです。
「避難指示」「避難勧告」「大雨特別警報」が出ていることについて、企業や茨城県教育委員会、市町村教育委員会がどう対応したか(あるいはしなかったか)という点については、当の行政機関や(常総市役所叩きにだけ熱心な)報道企業はまったく問題にしていないようですが、ぜひとも検証しなければならない問題です。「企業の社会的責任」も当然問われなければなりません。
水害発生1か月の動向を総覧したうえで、全国の「一級河川」を管理する国土交通省としては、常総市役所ひとりに責任を転嫁するのではなく、今後の水害への対応のための改善策策定の必要性を痛感している、とみるべきです。これは前ページ冒頭で見たとおりです。
次は、9月17日夜、国土交通省関東地方整備局が記者発表したものです(http://www.ktr.mlit.go.jp/kisha/river_00000182.html)。9月9日夜から11日朝にかけて、下館河川事務所から常総市役所にどのように情報提供がおこなったかについて一覧する資料です。
これを、〝国交省はきちんと情報を提供していたのに、常総市役所がぼんやりしていて避難指示のタイミングを外したことが問題なのだ。国交省には責任はないのだ〟という言い訳のためにつくった文書だとみるべきではありません。国交省自身があえてこのような事実を公表したことで、情報提供のあり方の問題点ひいては「避難指示」発令の困難性を明らかにし、今後の改善のための教訓を得ることができるのですから。発表しないよりよほど役立つことなのです。
以上で、国土交通省の体制移行状況、国土交通省から常総市役所への通報と常総市役所による避難指示・勧告が揃いました。これに、下館河川事務所による鬼怒川堤防の状況把握に関するデータを付け加えます。次は、10月2日の「鬼怒川堤防調査委員会」の第2回会合の際の「資料」の一部です(http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000633270.pdf)。「資料」はこの前に3ページ分のデータを情報源ごとに列挙したうえで、時間経過にしたがって、「三坂町」堤防の「越水」から「決壊」に至る状況をこのように「再整理」しています。
以上のデータを、表にしてみます。左の列に下館河川事務所の「警戒体制」「非常体制」への切り替えと下館河川事務所による現地での状況把握内容、中央に国交省から常総市役所への「情報提供」内容を、ホットラインのみ別の列に分けて2列にして、右の列に常総市役所が発令した「避難勧告」と「避難指示」を、ひとつの時間軸上に配列しました。時刻表記を統一し、避難指示等の対象町名を略記し、左岸=Lと右岸=Rを追記し、10日11時11分の記述に〔〕で住所を追記したほかは、すべて原文どおりです。クリックで拡大表示できます。
9月9日の夜から日付のかわる深夜にかけては、上流の「川島水位観測所」(45.65km)での水位上昇にあわせて、あらかじめ定められた基準に基づいて、全般的な「水防警報」や「はん濫警戒情報」「はん濫危険情報」が通報されています。
それに加えて、「若宮戸」と地点を特定した上で、とるべき措置を具体的に示して通報がおこなわれています。すなわち9日の22時54分には「避難勧告」と「避難所」の準備をするよう、ついで10日の1時23分には、あきらかに「若宮戸」を指して「水位上昇」を通知し、「避難勧告」を発するよう、そして2時6分には、「避難指示」を発するよう、それぞれ「情報提供」されています。2時6分の「情報提供」を受けて、常総市役所は若宮戸地先での氾濫による浸水が予想される「玉地区」、「本石下」、「新石下」の一部に避難指示を発令しています(「玉地区」といえば「若宮戸」が対象となるものと思われます)。そして実際に6時過ぎに越水を確認し、ただちに通報および記者発表をおこなっています。
「若宮戸」は、2014年にソーラーパネル企業による砂丘 sand dune(「自然堤防 natural levee」と誤って呼ばれています)の掘削がおこなわれ、下館河川事務所が折衝のうえ、土嚢を積んでいた場所です。あとの「三坂町」の21km地点については地名を間違えたのですが、前年からのいわくつきの場所だけに間違うはずもなかったわけです。それだけでなく、「若宮戸」があぶないことは前年の時点でわかっていたのであり、おそらく移動しながらではなく、定点で観測する要員をおいて固唾をのんで見守っていたに違いありません。ですから、9日22時54分の時点では、あとから振り返ってみると、水位はピーク時よりまだ3m低かったのですが、すでに「越水の可能性が高い」ことを認識していたのです。これは、南北に連なる「線状降雨帯」が南北に流路がのびる鬼怒川に重なっていて、これ以降下流部での増水が当然予想されるということ、そしてそれだけでなく、砂丘を掘削した後に土嚢を積んだだけの不十分な対応しかしていない左岸の「若宮戸」地先からの氾濫が、ほぼ確実に予想されていたということだろうと思われます(前日の9月9日の時点で、下館河川事務所は照明設備を現場に持ち込んでいます)。
2時06分の「ホットライン」で「若宮戸地点から氾濫した場合の浸水想定区域図」をファクシミリで送っています。その現物は公表されていません。もしかしてソーラーパネルの経緯ゆえにそのものズバリの予想図をあらかじめ作ってあった、ということもありえないことではないのですがが、おそらくは別ページで例示した、ウェブサイトで公開している「左岸25.25k」のシミュレーション図(下図)のことでしょう。
若宮戸付近(❌印)から新石下(中央付近)
避難勧告の出た地域の拡大図
上三坂を示す黒の矢印だけは当websiteで記入したものです。
このシミュレーションは、結局のところは鬼怒川と小貝川に挟まれた地域の大半が浸水するというものです。その意味では浸水が想定される全域に「避難指示」を出してもおかしくはないのです。国交省が範囲を限定した「避難指示」をおこなうよう「情報提供」したのか、それとも具体的な範囲は言っていないのかはわかりません。常総市役所は、概ね「破堤」後3時間程度で浸水する地域に対して「避難指示」を発令したのです。
そして、常総市役所は4時00分にはそれらの南側の地域一体、すなわち、(大房〔だいぼう〕を除いて)概ね「破堤」後5時間で浸水が予想される地域に「避難勧告」を出します。
右上の拡大図中に書き加えた黒の矢印が、三坂町上三坂の決壊地点地点です。このシミュレーションでは、三坂町上三坂と中三坂は浸水を免れています。自然堤防上にあって標高が高いためです。また両地域を除く三坂町は5時間以内には浸水しないとされる地域です。三坂町中三坂上と中三坂下に10日10時30分に「避難指示」が出たのは、堤防上から河川水位を見た住民からの通報を受けてのことのようです。結果的に、三坂町上三坂と中三坂は「若宮戸」からの氾濫では浸水を免れるとされ、決壊した堤防直下でもっとも激烈な被害を受けることになる上三坂が、最後まで「避難勧告」「避難指示」の対象とならなかったのです。
上三坂が「避難指示」どころか「避難勧告」からもはずれたのは、このように、ある意味では偶然といえなくもない事情もあったのです。しかし、逆に言えば、上三坂だけでなく、河道に近い住宅の多くは自然堤防上にあるため、ほかからの氾濫水による浸水を免れる(ところが多い)けれども、すぐ目の前で堤防が決壊すれば、浸水どころではなく、激流によって地盤ごと流出することになるのです。(自然堤防 Natural levee については、別ページで検討しましたので参照ください。)
「若宮戸」での越水にとどまっていれば、「避難勧告」と「避難指示」は、決壊どころか越水のはるか以前に発令されており、基本的には「常総市役所による避難指示の遅れ」問題は起きなかったものと思われます(携帯電話へのメール送信がおこなわれなかったなどの別の問題はあったようですが)。水位上昇を注視している下館河川事務所から、刻々と情報が入り、市役所が的確に勧告・指示を出したわけですから、うまく運んだといえるのですが、これとはまったく対照的に、「三坂町上三坂」地先での決壊に関しては、当の「三坂町上三坂」に「避難指示」どころか「避難勧告」も出せなかったのです。なぜ、これほどまでに違ってしまったのでしょうか? いよいよ問題の本質に近づきました。
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