28, Sep., MMXV
水害発生の2日後の2015年9月12日、常総市を訪問した際のJNNのインタビューに対して、太田昭宏国土交通大臣は、「堤防自体は全域にわたり同レベルにできていた」と答えたことが、同日放送された「TBS ニュース i 」の「鬼怒川の氾濫、土手掘削 問題視の声も」で放映されました。
(このTBSの番組は、いったんウェブサイト上でも公開〔http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2585458.html〕されたのですが、すでに削除されているので、ブログ「風の谷」〔http://blog.goo.ne.jp/flyhigh_2012/e/ebe47677ae76d22cea64f855161891a2〕がキャプチャして掲載しているものを、敬意を表しつつ一部引用させていただきます。)
これは、若宮戸の「ソーラーパネル」問題に関する発言のようで、堤防のない若宮戸左岸における自然堤防掘削後に、国交省の下館河川事務所が土嚢をつんで対処したことを正当化するもののようです。しかしながら、太田大臣はつい大風呂敷を広げて、鬼怒川の「全域」における堤防が「同レベル」だったのだから、国交省の管理責任は果たされていたのだと述べてしまったのです。
現に水害が起きていないのであれば、こう言ったところで問題にはならないでしょうが、近年にない大規模水害が起きて3日目の災害現場での発言だけに、堤防に問題がなかったのならどうしてこのような激烈かつ広範囲にわたる氾濫がおきたのかの説明がつかないのです。さすがにこれは失言だと感づいたのか、ご自身の「ブログ」(https://www.akihiro-ohta.com/blog/2015/09/post-1085.html)でもこの発言はおくびにも出さず、三坂町の堤防復旧現場を見に行ったことや、災害の原因者であるのに救済者気取りで避難所に行幸したことを書き、天皇の真似をして膝をついて被災者の話を聞いている写真を載せています。若宮戸にはいっさい触れていません。
治水こそ国土交通省の最重要任務なのです。飛行機が墜落してはいけませんが、航空政策が少々滞って離発着便数が不足したところで水害のような人命と財産の損失は生じません。港湾整備が少々滞って取り扱い貨物量に支障を生じたところで同様です。道路建設が少々滞って渋滞が生じたところで同様です。必要性もないリニア中央新幹線などはやめてしまったところで誰もこまらないでしょう。治水はそうはいきません。水が足りなければただちに飲料水にも事欠くばかりか、農業生産や工業生産に支障をきたします。いっぽう過剰となった時には甚大な打撃を、しかも直接的に人命と財産に回復不可能な打撃を与えるのです。その治水事業に失敗して、近年にない甚大な水害を起こしてしまったのに、その責任者が悪びれることもなく、恩着せがましく被災地を歩き回ったうえで、無神経な「つれづれ雑感」を書いているのです。
以下、「堤防は全域にわたり同レベルにできていた」という太田大臣の発言について検討することにします。あらかじめ結論めいたことを述べると、この何をいっているのかわからない稚拙な発言は、あながちデタラメな言い訳というわけでもなく、じつはほんとうのことを言っていたのです。ただし、「堤防は全域にわたり同レベルにできていた」というのは、鬼怒川下流域の全域にわたって、洪水を防ぐのに十分なレベルに堤防が整備されていた、という聞いた人の誰もが誤解したような趣旨なのではなく、とても洪水を防ぐことは不可能である低規格の堤防が「全域にわたり同レベルにできていた」ということなのですが。
次は、鬼怒川を管掌する国土交通省関東地方整備局下館河川事務所が、毎年度記者発表している事業内容の説明書から、平成24年度から27年度までの鬼怒川の築堤工事についてのページを抜き出し、工事箇所ごとに配列したものです。(摘記ではなくこれで全部です。)
掲載されている図・写真(北方を鳥瞰)にあわせて、左コラムに右岸(西岸)の「羽生(はにゅう)町」と「坂手(さかて)町」の2か所を、右コラムに左岸(東岸)の「三坂(みさか)町」と「中妻(なかつま)町」の2か所、あわせて4か所を北から南へ並べたうえで、年度順(元号表記)にページを並べてあります。(河川の「左岸、右岸」とコラムの左右が入れ替わっていますのでご注意ください。なお、正しくは「地先」としなければならないところですが、省略します。)
【出典】 「平成27年度下館河川事務所事業概要について」http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000621158.pdf
「平成26年度下館河川事務所事業概要について」http://www.ktr.mlit.go.jp/kisha/shimodate_00000064.html
「平成25年度下館河川事務所事業概要について」http://www.ktr.mlit.go.jp/kisha/shimodate_00000052.html
「平成24年度下館河川事務所事業概要について」http://www.ktr.mlit.go.jp/kisha/shimodate_00000041.html
右岸 13.0-16.0km 羽生町
平成24年
平成25年
平成26年
右岸 7.5-10.5km 坂手町
平成24年
平成25年
平成26年
平成27年
左岸 21.5-22.0km 三坂町
平成26年
平成27年
左岸 15.25-15.6, 16.3-17.3km 中妻町
平成24年
平成26年
平成27年
このように、鬼怒川においてこの4年間に実施されている築堤工事は、すべて下流部の常総市内の流路に限られるのです。鬼怒川の源流は栃木県北部にあり流路の過半は栃木県内なのですが、この数年間、築堤工事がおこなわれているのはすべて茨城県内の「下流部」(利根川への合流地点を起点に、遡求して3kmから20kmまで、ならびに直上の25km付近まで)に限られ、しかも常総市内だけなのです。この理由について、国土交通省関東地方整備局「鬼怒川 直轄河川改修事業」(平成24年、http://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000051861.pdf)の記述をみてみます。
「人口、資産が集中している鬼怒川下流部の約3〜20kを先行」するのだ、と断言しています。上のほうでみた常総市内の左岸2か所、右岸2か所の赤い帯の部分が、平成24年度(2012年度)から「当面7年」で整備する地点でした。
広域図を下に載せます。図は西が上です。右が上流側、左が下流側になっていますが、さきに掲げた広報のページ順に見ていくと、まず左岸(図の下側)20.0k前後の「三坂町」、くだって「中妻町」、その対岸(図の上側)の「羽生町」、下って「坂手町」です。
左岸のひとつめ(右コラム冒頭)が、「決壊」地点の三坂町です。ただし、平成26年度から事業に着手(用地買収であって、工事ではありません)した範囲は、「決壊」地点の北側です。「決壊」地点(21.0kmを挟んで約200m)は、その次の「概ね20〜30年の整備」区間となっています。
下は20.0kmから25km付近を拡大したものです。画面左のほう、20.0k地点の左岸(下側)に、「三坂町」、一部隠れて「中三坂」「上三坂」の地名が見えます。平成24年度から始まった「当面7年の整備」の完了予定が「平成30年度」でした。
上の全体地図の左下の一覧表のとおり、国土交通省関東地方整備局下館河川事務所は、平成24年度からの7年間で鬼怒川の堤防のうち7.77km(すべて常総市内)を整備し、22.37km(一部を除き常総市内)をおおむね20〜30年で整備する計画を立てて、順次、堤防の高さと幅を増強する工事を施行しているのです。これらが全部終了してはじめて、「概ね1/30規模相当の洪水に対する安全を確保」できるということです。「1/30」とは30年に一度の多量の降雨による河川流量増大という意味なのです。
なお、下の拡大図の右のほう、左岸(下側)の赤も青もないところ、つまり工事の予定のないところに、「若宮戸(わかみやど)」の地名と、不明瞭ですが「自然堤防」といっている地形が見えます。ここが例の「ソーラーパネル」の場所で、「越水」した地点です。この国交省の計画の時点(平成24〔2012〕年)ではありえなかった事態が水害発生の前年(平成26〔2014〕年)に起きたのです。「自然堤防」といっている部分の掘削という恐るべき蛮行です。(実際には、ここは自然堤坊 Natural levee ではなく、河畔砂丘 Sand dune であることについては、別ページを参照ください。)
叙述の順番と論理的な順番が逆になっています。下流から上流へと遡行しているのです。河川の里程標が下流から始まり、順次上流へと遡るのは当然で、河口や合流点(鬼怒川の場合は利根川への合流地点)なら位置は明確ですが、水源となるとはっきり「ここ」と標石を打てるわけではありません。河川を下流から遡上するように、当 naturalright.org も、河口(合流点)である「全域にわたり同レベルにできていた」と完了形で表明された国土交通大臣の言明から始めて、国土交通省関東地方整備局下館河川事務所の河川改修計画まで遡ってきました。
次は、さらに上流へと、すなわちこのような河川改修が必要とされる鬼怒川の現状へと遡行しなければならないのですが、いささか長くなりましたので、ページ・ブレークを入れることとします。