鬼怒川三坂堤防の特異性と崩壊原因
Aug., 6, 2020 (ver. 1)
Jan., 4, 2021
土木研究所『河川堤防の浸透に対する照査・設計のポイント』における「浸透」のメカニズムの解説をみます(2013年、https://www.pwri.go.jp/team/smd/pdf/syousasekkei_point1306.pdf、2〜3ページ)。
この文書を作成したのは土木研の「地質・地盤研究グループ土質・振動チーム」ですが、同チームは、『堤内基盤排水対策マニュアル(試行版)』(2017年、https://www.pwri.go.jp/team/smd/pdf/170113_teinaikiban.pdf)も編集しています。タイトルのとおり、堤内側での対策に関する手引書なのですが、その前提として、浸透による堤内および堤体の損傷についての記述があります(2ページ)。
土木研文書が解説する「堤体・基礎地盤への浸透による被災形態」の、三坂の破堤地点すなわち左岸21k付近における実例を指摘します。
(i)D区間堤内側の13:50−14:10の水煙位置を見つける準備
『堤内基盤排水対策マニュアル(試行版)』に次の記述があります。
河川堤防の基礎地盤の表層に透水性の低い被覆土層が堆積し、その下に透水層が存在する箇所では、洪水時に河川水位が上昇すると、透水層から作用する揚圧力により被覆土層が膨らむように変形(盤膨れ)し、さらには被覆土層を突き破り、水や土砂が噴出することがある。このような現象は基盤漏水の一種であり、最悪の場合には堤防決壊の原因にもなり得る。
13:50から約20分間にわたってD区間の堤防の堤内側、住宅2と住宅9の間に上がった水煙が、対岸の将門(しょうもん)川篠山(しのやま)水門に設置された監視カメラ(CCTV)が撮影した動画に映っています(別ページ参照)。これは、「透水層から作用する揚圧力により被覆土層 が膨らむように変形(盤膨れ)し、さらには被覆土層を突き破り、水や土砂が噴出」したものです。
2015年9月10日の鬼怒川左岸21k付近におけるこの水煙、すなわち『堤内基盤排水対策マニュアル(試行版)』でいうところの、水の「噴出」について言及した前例は、いっさいありません。目撃証言はないようですし、篠山水門のCCTV以外の映像記録もありません。あったとしても公表されていません。このCCTV映像(動画)は、開示請求に対して開示されただけで、関東地方整備局のウェブサイトに載っているわけでもありませんし、同局が内部に設置した「鬼怒川堤防調査委員会」で取り上げられてもいません。当然その報告書にも載っていません。
多くの「専門家」が、現地をチラ見して、短いレポートを発表していますが、この水煙・噴水についての言及は皆無です。国策派の「専門家」であれば、関東地方整備局に面倒な開示請求をするまでもなく、いくらでも情報提供してもらえるのでしょうが、どこかの「専門家」がこれについて言及したこともありません。それ以前に、関東地方整備局および関東地方整備局下館(しもだて)河川事務所(茨城県筑西〔ちくせい〕市)には、かつてこれに気づいた職員がいた可能性は絶無とはいいませんけれども、おそらく誰も気づいてすらいないでしょう。したがってこの現象については検討していない、と思われます。
これを透水層から作用する揚圧力により被覆土層 が膨らむように変形(盤膨れ)し、さらには被覆土層を突き破り、水や土砂が噴出であるとするのは、近くに住んでいる素人の推測です。愚にもつかぬ戯言だと一笑に付されそうです。しかし、そんな馬鹿げた話はないというかたがたには、この「水煙」あるいは端的に噴水現象について、それが何だったのか、原因は何なのか、を説明していただかなければなりません。
破堤した地点から流入した氾濫水が住宅9の壁にあたって波飛沫を上げている、などというものではありません。氾濫水が正面からあたったとすれば損傷しているはずの外壁や窓はほぼ無傷です。ガラス一枚割れていません(住宅2の河道に面した外壁は凹み、窓ガラスは損壊しています)。
噴き上がっているのが氾濫水だとすると茶色く濁っているはずですが、CCTV映像のとおり、白い水煙・噴水です。当然ここも流入した氾濫水に覆われていたのですが、この水煙ないし噴水は、その氾濫水をおしのけるように地中から垂直に噴き上がって、白い水飛沫・水煙を上げているのです。地下から噴出する水は、砂によって「濾過」されるからです。流入した氾濫水の波濤や水飛沫とまったく色味が異なるのです。
色の違いについて、実例を示します。一般的な例を漫然と持ってくるのではなく、ほぼ同じ頃に起きていた左岸21.5k付近のパイピングの例を見ます。2015年9月13日に現地視察(見物)を終えた鬼怒川堤防調査委員会の「専門家」の先生たちがマイクロバスに乗せられて素通りした決壊地点近くで、その翌々日、東京大学の芳村圭(よしむら・けい)准教授(当時。現在は教授)がパイピングによる噴砂の痕跡をみつけ、9月19日早朝、鬼怒川水害調査報告書の「第2報」としてインターネット上に公表したのです(http://hydro.iis.u-tokyo.ac.jp/Mulabo/news/2015/20150910_KinuFloodReport_v02.pdf)(reference3)。(この件については、別項で触れました。)
「破堤現場においても越流による洗掘と共に、堤体や直下地盤の浸透破壊がある程度起きていたことを示唆している」!!!!!
「しっかりした地盤がある」と太鼓判を押した安田進教授の面目丸潰れとなり、「越水唯一原因説」の企ては吹き飛んだのです。教授に科白を吹き込んだ関東地方整備局は、負け惜しみに、その場所の水害当日の写真を9月28日の第1回の「鬼怒川堤防調査委員会」の会議に出してきました。まるでそのことは知っていましたといわんばかりです。
芳村准教授の報告に驚愕して、撮りっぱなしにしてある写真の山を掘り起こしたところ、それと判っていて撮ったわけでもなく、手当たり次第に撮ってあった(それはそれで妥当です。あとで探せばたいていのものは見つかるのですから。今回のように。写真はとにかくすべての場面・場所を撮って撮って撮りまくるべきです。しかも、あとで引き延ばしできるように、ケチらずに最高解像度で。)写真の中に偶然映り込んでいたというのが正直なところでしょう。
写真の通り、パイピングで噴出してくる水は、基礎地盤の砂や礫の層を浸潤してくる際に濾過された「澄んだ水」であり、地上を流れて来た茶に濁った氾濫水とはひと目で判別できます。
下左は、同じ場所を2015年12月に同じ画角で撮影したものです。下右は、左岸堤防天端から下流方向を見たところで、黄丸が芳村准教授が見つけたパイピングによる噴砂の痕跡、黄四角が赤リボン目印をつけられたL21.5k標石、青矢印は破堤地点との中間にある日本ファブテック石下工場(当時は東京鐵骨橋梁取手第4工場)の給水塔(その後撤去)です。天端のアスファルト舗装は幅3mしかありません(堤防はその後、激特事業により全面的に拡幅・嵩上げされました)。
このD区間の水煙は、基礎地盤に浸透した河川水が堤内地で「盤膨れ」を起こし、さらにその不透水層を突き破って地下から噴き上げたものです。以下、その根拠となる事実を示します。
まず、水煙が噴出した地点を再確認します。この画像は、対岸の篠山(しのやま)水門に設置されたCCTVによる画像です。そのカメラと住宅9の北西のカドを直線で結んでみます。
水煙が上がった時点では住宅9はまだ傾いていませんから、水害前の衛星写真上で線を引いてみます。
水煙は、住宅2と住宅9のあいだ、この線にすこしかかりつつも線の右側から噴出しています。
この直線の右側、住宅9の手前になんらかの痕跡が残っているかどうか、探してみます。
まず、9月26日に関東地方整備局が飛ばしたUAV(いわゆるドローン)の映像です(水害後に撮影されたUAV映像については、「鹿沼のダム」〔http://kanumanodamu.lolipop.jp/OtherDams/shinseiConsultant.html〕参照)。動画から静止画像を切り出したうえで、トリミングしてあります。
9月26日は、仮堤防完成の2日後です。白破線の左側は、この区間を担当した鹿島(かじま)建設が敷いた土砂ですが、右側は何の手も加わっていません。
堤内地に、俗に「落堀(おちぼり)」と誤称されている穴がたくさん見えています。破堤して流入した氾濫水が上から流れ落ちて地面に開いた穴だということになっています。そうだとすると「押堀(おっぽり)」と呼ぶのが正しいのですが、世の中の99%が「落堀」と呼んでいて、最早収拾のつかない状態です。
しかし、問題はもっと本質的なところにあるのです。そもそもこれらが氾濫水が上から流れ落ちて開けた穴としての「押堀」(誤称「落堀」)であるのかどうか、疑問なのです。この写真の範囲内でいうと、深穴5と深穴6には泥が溜まっているようで水面は見えませんが、深穴1から4までは水をたたえています。しかも、茶色の氾濫水ではありません。さきほどの21.5kの「澄んだ水」を想起させます。地下から湧出・浸出してきた水でしょう。深穴1と深穴2の水の色をみると、かなり奥深くまで穴が開いているようです。橙丸をつけたあたりの水の色が違うのは、水深が深くなっているからです。とりあえず〝深穴〟とでもしておくことにします。
さしあたり、「水煙」の噴出地点がどこなのかを確定しなければならないのですが、他のカットを拡大しても、噴出地点らしいものはわかりません。水煙位置の探索はいったん中断して、住宅1・住宅2・住宅9のあたり一帯の状況を見ておくことにします。
(ii)D区間堤内側における諸現象
9月18日に国交省のUAVが撮影した映像です。堤内に流入した氾濫流の上流側の辺縁部における状況です。氾濫流の中心部では、ガソリンスタンドの倉庫と店舗を残してあらゆる建物・大樹と地盤が流失したのに対して、辺縁部ではかろうじて建物3棟(住宅1、住宅2、住宅9)は残りました。しかし、このように地盤を含めて激しく損傷しています。あまりの激烈さで、原状がどうだったのか判りにくいので、下に、水害前の衛星写真に敷地の区画を想定したものを載せておきます。
具体的にはこのあと防災科研の現地調査の際の写真などで見ますが、水害による損傷の概要を示しておきます。住宅1の私道と前庭は地盤が深さ1mから1.5m程度抉られ、舗装のコンクリート板が宙吊りになり、一部は割れて落下、一部は捲れて裏返しになりました。住宅2と堤防との間にあった住宅1の車庫は、駐車してあった乗用車(トヨタ・プリウス)ごと完全に流失し、床面のコンクリート板はバラバラに割れ、一部は捲れて裏返しになり住宅2の窓を突き破りました。
住宅2の私道は砕石敷だったようですが、住宅9の脇では全部なくなり、そこに住宅9が斜めに倒れこみました。住宅2は、建物はかろうじて残りましたが、基礎地盤が1mから1.5m程度抉られて達磨落としのように落下しました。
住宅2と住宅9は、結局は全部撤去のうえ、住宅1の私道、住宅2の私道もあわせて地盤を造成し直して建て替えざるをえませんでした。
以下、具体的にみてゆきます。防災科研(国立研究開発法人防災科学研究所、https://www.bosai.go.jp、茨城県つくば市)が、水害翌日の9月11日に撮影した写真です。住宅9の南側のコンクリートブロック擁壁が倒れていないことと、住宅9本体の壁面やガラス戸・雨戸が全く損傷していないことがよくわかります。
威力の強い氾濫水が直撃すると住宅がどうなるかは、左側の住宅2を見るとよくわかります。1階南側の部屋(広縁?)や玄関などの開口部は完全に破壊されています。ただし、いま見えている部分は流入口ではないようです。左側の河道側から入った水が家の中を貫いて、見えている南側から流れ出したのでしょう。
2枚目は、同じく防災科研の9月12日の現地調査時の写真です(以下同じ)。右が住宅2、左が住宅9、遠くの白い建物は氾濫流の真っ只中で、県道357号線以西で唯一残ったガソリンスタンドの建物です(県道以東で残ったのは「ヘーベルハウス」)。その右に大成(たいせい)建設のクレーン、その右の三角形が下流側の破堤断面です。
住宅9の西側(河道側)のコンクリート製ブロック擁壁の内側に、庭木が何本もそのまま残っています。氾濫流の主流部の激流の直撃を受ければ大樹でも流されるのですが(ただし他の要因があった可能性もあります)、辺縁部で流れがあまり強くなければ小さな庭木でも流されずに残るのです(あとで、例の百日紅が残っているのも見ます)。
住宅2と住宅9の間から加藤桐材工場の方へ抜ける氾濫水の流れ(この写真でいうと、向こう側からカメラの方へ)は、住民撮影のビデオ映像(後述、別ページ)をみると、それはそれは強烈なのですが、それでもガソリンスタンドだけ残して、全部の住宅と樹木を地面から引き剥がして流し去った主流部の激流とくらべると、はるかに弱かったのです。
3枚目の画面右が大きく傾いた住宅9です。窓の手前あたりが「水煙」の噴出点のようですが、水面が広がっていて地盤の様子はわかりません。
3人が乗っているのは、県道側から住宅1へ続く私道のコンクリート舗装です。しかし、下は抉れていて完全にカンチレバー cantilever 状態になっています。
コンクリートには鉄筋が入っていないので、3人の手前では割れて捲れています。裏面が上になる捲れ方からわかるように、下から上へ押し上げられ反転したのです(復旧活動により引き上げられたのではありません)。さらにその手前は、下の土砂が流失して、コンクリートが割れて落下したようです。裏返ってはいません。結構複雑です。
次は画面左が住宅2、向こうの三角形が下流側の破堤断面です。水が引いたそのままで、まったく復旧の手の入っていない状態です。
画面左下のコンクリート板は、住宅2と堤防との間の土地に建っていた住宅1の車庫の床です。最初にF区間が破堤した時点では、駐車してある乗用車とともにビデオに映っていましたが、屋根だけのカーポートではなく、壁もあった車庫でした。その後、乗用車もろともどこかへと流されて行ったようで、このように剥がれてバラバラになったコンクリート床だけが残ったのです。住宅2の1階窓を突き破って斜めになっているコンクリート板は、裏返しになっています。
住宅2の北西側角は完全に破壊されて、ここから氾濫水が入り、さきほど見た、南と西側から流れ出したようです。
向こうに見えている下流側の破堤断面との間に、テーブル状の地盤面が見えています。橙ライフジャケットをつけた作業員が4人乗っています。落ちれば脚が立たない水面がひろがっているからです。F区間からG区間の中程までのテーブル地形は、この時点の水面から2m前後出ているようです。このあと仮堤防の下に埋められてしまいますので、ほんの数日しかみることができないのですが、なんとも不思議な形状です。堤防の基底部に敷かれていた粘土層です。この上に載っていた堤体は全部流失し、残った底面の粘性土層がスッパリと切り立った縁を見せているのです。衛星写真・航空写真にははっきり映っているのに、現物が隠されてしまったのをいいことに、誰も何も言わないのです。(地下にしっかりした地盤がある、と言った安田進先生はこれをみてそう言ったのかも知れませんが……!?)
この卓状地塊は、三坂の破堤の原因を示唆するものですが、これものちほど考えることにします。
角度をかえて、河道側から撮影した写真です。カメラ位置は堤防があったあたり、天端の真下です。「水煙」があがっていた14:00前後には、住宅2は南西隅が大きく落ち込んで河道側・下流側に傾いていましたが、最終的にはこのようにやや上流側に傾いています。住宅2が建っていた地盤は住宅1の地盤と同じくらいの高さだったと思われますが(後述)、水害後にはこのように約1.5m落ち込んでいます。
見えている粘性土層(ところどころに薄い砂層が挟まっていますが)の上に、おそらく1.5mほど砂混じり砕石などで土盛りしていたのでしょう。F区間に始まった破堤が順にE区間・D区間・C区間へと進行して氾濫水が直撃するようになった時点で、住宅2の地盤や住宅1の前庭のコンクリートの下が洗掘されたのでしょう。そのため、住宅2は達磨落としのように落下し、住宅1の前庭から住宅1の私道のコンクリートは宙吊りになるか、割れて落下したのでしょう。住宅2の私道は約1mから1.5mの深さまで流失し(県道側から堤防法尻へは上り勾配になっていたようです)、そこに住宅9が斜めに倒れこんだようです。(水煙が上がっている時点では住宅9は傾いていません。)
画面左端に百日紅が赤い花をつけています。この百日紅は、住宅1の住人の方がビデオカメラを構えた2階ベランダと、対岸の篠山水門(そこにCCTVカメラがあります)を結んだ線上の、「越水」しているC区間法尻直下にあって、ビデオに映っていました(別ページの「写真14・16・17」参照)。
右側の住宅2の手前に捲れ上がったコンクリート片がたくさんありますが、さきほど見た通り、住宅1のお宅の車庫の床面です。見えているのは、表面(上面)ではなく、裏面(下面)です。ということは、割れて持ち上げられて裏返しになり住宅2の西側窓に突入したのです。窓の右脇の外壁の損傷もおそらくコンクリート板によるものでしょう。
左方向に回り込んで撮影された写真です。左が住宅1、中央が住宅2です。画面右下の大きな切り株は、B区間の下流端のケヤキの兄弟?だった大樹のものです。2、3年前に伐採されたようです。その向こうが百日紅です。
これは、2015年12月に撮影したものです。住宅1の前庭にもとの高さまで土砂が入れられ、転落防止に柵が置かれています。境界標石が転がっています。
住宅2の内部が見えますが、構造材以外の畳・床板・内壁・建具などが全部流されてしまっています。北西隅に、このあと見るエアコンの配管があります。
(補足)
住宅2の地盤は、住宅1の地盤と同じくらいの高さだったと判断した根拠を示しておきます。
別ページで、住宅1の住民の方が撮影したVTRのうち、越水あるいは破堤した堤防が写っている部分だけを見ました。このVTRには、住宅2や住宅9、さらに住宅1の車庫が写っているカットがあります。
右の1枚目は、住宅1の1階の南側(下流側・住宅2側)の掃き出し窓から住宅2を撮影したカットです。フェンスの向こうに、住宅2の1階の北面の西側(河道側)の掃き出し窓とコンクリート基礎、さらに地面に置かれたエアコン室外機が見えます。地盤の標高はほぼ同じだったとみてよいでしょう。
2枚目は同じく住宅1の1階から、住宅9を撮影したものです。蔦の絡まるフェンスの手前が住宅1の私道(冠水しています)、向こう側が住宅2の私道(路面は見えませんが)、その向こうがまだ傾いていない住宅9です。住宅9は、土盛りしてあって地盤面が少し高いようです。
これは、D区間・C区間がまだ破堤していない段階です。見えている氾濫水は主にB区間・C区間から越水してきたもので、住宅1の私道と住宅2の敷地を、みたところ水深10cm程度で流れている段階です。D区間・C区間が破堤して氾濫水が直撃するようになると、地盤を抉るようになったように思われます。
3枚目は、すでに別ページで分析したものです。住宅1の車庫には乗用車が駐車しています。左の瓦屋根は住宅2の1階部分北西隅、車庫の向こうが破堤した区間から流入する氾濫水です。(別ページで見ましたが、時刻は、破堤開始とされる12:50から10分以内の13:00直前で破堤区間は図のとおりです。)
(iii)D区間堤内側の13:50−14:10の水煙 原因の推定
さて、問題の「水煙」の地点です。さきほどの9月26日のUAV画像は、南側から俯瞰していたのですが、「水煙」の噴出点らしきものはよく見えませんでした。防災科研による水害翌々日の9月12日の写真では、噴出点と思われる場所が撮影されてはいるものの、水で覆われていて地盤がどういう状態なのかはわかりません。国交省が撮影したUAV画像は他にもあるのですが、いずれも建造中の仮堤防が目的物であり、肝心の箇所が映っていません。
そこで、タブレットとスマートフォン上のグーグルアース、ならびにパソコンのブラウザで表示される「web版」のグーグルアース(GoogleEarth on web)の航空写真画像を見ることにします。画像は数年おきに更新されるのですが、常総市については2020年なかばまで、水害直後の2015年10月9日の3D画像が表示されていました。(現在は、復旧堤防完成後のものに替わっているので、もう見ることはできません。)
軽飛行機の5台のカメラ(垂直、俯角45度で前後左右)で複数方向から撮影した画像から3D画像を構成するようで、タブレットやパソコンから操作して(Googleのサーバーがそのつど構成する)俯瞰する方位と俯角を自由に変えて、(Googleのサーバーがそのつど構成する)画像を表示することができます。動いている自動車や歩行者は時間差を生ずるので複数のデータには映り込まないため削除され(ところどころ消し損なった自動車が道路に貼りついています)、道路上はガラ空きになりますが、駐車している自動車や座ったままの球場の観客は映っています。
まず、さきほどの国交省のUAVと同じように南側から俯瞰した画像です。手前の庭木らしいものが盛り上がっていて、その向こう側が陰になってよくわかりません。
そこで、庭木の向こう側がわかるように垂直に見下ろしてみると、庭木の陰になっていた深い穴(らしきもの)が見えます。
1枚だけで断定するわけにもいきませんから、角度を変えて何枚か見てみます。北側(上流側)から俯瞰します。右上の白い建物がガソリンスタンドの倉庫です。
住宅2の左にあるブルーシートは水害以前からあったもののようです。
できれば水が引いた時点で撮影された地上写真か、せめてUAVによる写真があればよいのです。グーグルの3D画像は、再構成された画像であり、どうしても画像の歪みが避けられません。深穴が見えるというのは気のせいだと言われればそれまでです。しかし、人為的な作図ではなく、あくまで実写映像から再構成されたものです。さまざまの角度からの画像を見比べてみると、水煙があがったと思われる地点に深い穴があることは確かな事実です。
水煙が上がっていた14:00前後には住宅9はまだ北側に大きく傾いてはいないので、水害後の位置関係はすこし変化しますが、この深い穴から水煙が上がっていたとみて差し支えないでしょう。
なお、この深穴の南側(下流側)に、住宅9の基礎下に半分かかるような深穴があります。これも同様の噴出痕跡でしょう。手前のブロック塀や植木が、倒れたりしているとはいえそのまま残っています。ここを乗り越えた氾濫水が住宅の基礎下に潜り込むようにして、深穴を作ることはありえません。
(iv)住宅9の陰にできた巨大な深穴
いっぽう、住宅9は、コンクリート基礎の下の地盤が大きく損傷して基礎ごと傾いたのですが、その住宅9の陰になっているところに、E区間・F区間・G区間にあるような巨大な深穴があり、そこから湧出・滲出するらしく、9月28日のUAV映像を見ると氾濫から2週間以上経っても水がたまっています。
これは9月18日のUAV映像(関東地方整備局)です。ひとつ前の写真の9月26日には、埋め戻されて軽トラが入っていた(大成の工事区間から、仮堤防の堤内側法面下を通ってきたのでしょう)白丸部分は、埋め戻し前です。
注目すべきは、黄丸をつけた、住宅9と加藤桐材工場の間です。もちろん氾濫水はやってきますが、住宅9の陰になっているので、E区間・F区間・G区間の堤内側のように氾濫水の主流部が直撃することはなかった場所です。E区間・F区間・G区間の堤内側は、県道357号線までの間にあった建物は、ガソリンスタンドの事務所と倉庫以外は、全部が完全に破壊され、鉄筋コンクリートの基礎ものこっていません。(住宅2の複雑な動きについては前述のとおりです。)この住宅9は、氾濫流が横からあたって傾いたというものではありません。壁・建具などはほとんど無傷なのに、基礎直下の地盤がなくなったところにスッポリと落ち込んだのです。
次の2枚は、9月12日の防災科研の現地調査時の写真です。
1枚目は、住宅9の陰になっている大穴を東側(河道側)から撮ったものです。左が加藤桐材工場の東南端、右が住宅9の外溝の鉄筋コンクリート擁壁(上にコンクリートブロック2段と、支柱だけ残ったアルミフェンス)、水たまりの向こうに人が大勢いるのが県道357号線です。
見えているコンクリート板は、県道側の道路から住宅1まで続く私道の舗装だったのですが、下の地盤を完全に喪失して宙吊りになっています。地盤が完全に無くなっています。河道側から氾濫流が押し寄せて地盤が流されて、その上にあった薄いコンクリート板がその場に残った、というものではありません。地盤が無くなって(=陥没)、コンクリート舗装面が残り、その穴に落ち込んだと見るのが自然でしょう。
2枚めは、同じ場所を反対向きに、すなわち県道側から河道の方を撮影したものです。上の写真の橙ジャケットの左のマスクの人(女性)が撮影したのでしょう。防災科研の職員らしい人が、宙吊りのコンクリート板から、コンクリートが脱落した部分の舗装直下にあった下水の塩ビ管を伝って、向こう側の河道側の一応地盤の残っているコンクリート舗装面へ渡ろうとしているところです。落ちたら足はつかないでしょう。ヘルメット・ライフジャケット・ロープ・救助要員が必要な状況です。
それはともかく、むこうの河道側はかろうじてコンクリート板の下の地盤がのこっているのですが、その手前で地盤が切り立った断面を見せてポッカリと大穴ができています。コンクリート舗装まで喪失しています。そして上の写真のとおり、この大穴から県道357号線方向(東)にかけて地盤は完全になくなっていて、かろうじて一部のコンクリート板が宙吊りになってのこっているのです。大穴の水面はここから県道側まで続いているのです。
地面の大きな抉れは、どのようにしてできたのでしょうか。向こうの河道側から一直線に流れてきた氾濫水がここまで流れたあと、ここだけ幅広に土砂を抉って大穴を開けたとは思えません。また、住宅2と住宅9の間から流れ込んだ氾濫水が、そこでは植木を残したのに、直角に曲がり数m流れたあとで、ここで突然円形に土地をえぐったとも思えません。この空隙は、水平に流れてきた氾濫水が地面を侵食したのではなく、地盤面を突き抜けてその下の地層から水が吹き上げてできた可能性があるでしょう。当初はそう考えたのですが、このあと7堤内地における陥没で、住宅12とそれが面する県道357号線のアスファルト舗装面の陥没を見た後で、それにあまりにも似ていることから、これは盤割れではなく、まさしく陥没であると考えるにいたりました。コンクリート板は、下から吹き上げられて破断したのではなく、陥没により基礎地盤がなくなって破断したのです。
そうなると、住宅9もまた、陥没によって私道側(住宅2の私道と住宅1の私道のある北側)に大きく傾いたということです。
下は、防災科研の9月12日の現地調査の際に、県道357号線の路上から加藤桐材工場を正面から撮影した写真です。左奥に陥没で舗装面が宙吊りになった住宅1の私道が見えます。
(右に、住宅1・2・9の敷地割を再掲します。これは水害前のものですが、水害後も住宅2と住宅9は建て替えられ、住宅1の車庫はなくなったものの、敷地境界は変わっていません。)
上も同様に防災科研の写真です。右は、ほぼ同じ画角で撮影されたGoogleのストリートビュー画像です。撮影は2012年11月です。
住宅1の私道部分は、住人が自前で土砂を入れて一応通れるようにしたようです。
さきほど防災科研の人?が、大穴を渡河するために掴まっていた電柱が見えます。
水害から1か月半後の2015年10月27日です。住宅1の私道は、住宅2の私道との境界線に土嚢で土留めしたうえで、大量の砂を入れたようです。しかし、画面奥のとおり全部は埋め戻さず、橋のように板を渡してあります。さきほどの陥没による大穴のあったあたりです。とても埋めきれなかったのでしょう。
この住宅9の外構の傾き方は、地表
このあと左側の住宅9と河道側の住宅2は、外溝と住宅を全部撤去して再建することになります。
2020年2月の現地です。
左側の住宅9は、外溝も住宅も全部撤去して再建されました。外溝の形(鉄筋コンクリート基礎にブロック2段積み、アルミフェンス)も住宅の形(寄棟平屋)も、ほとんど以前のものと同じなので、一見すると、もとのものを引き起こしたように勘違いしてしまいますが、よく見ると微妙に違っています。
砕石敷の部分は住宅2への私道、右のコンクリート舗装の部分は住宅1への私道です。それぞれ昔の言い方でいう「二間道路」です(幅員3.6m)。
復旧堤防の天端から堤内地を見たところです(2019年9月)。住宅2も修理不可能だったため、建て替えられました。それ以前に、地盤をもとの高さまで回復しなければならなかったわけです。
住宅1は、大規模な修理をしたようです。外壁や、ビデオを撮影したベランダも更新されています。住宅2と堤防の間の、車庫があった場所には物置が置かれているだけで、空き地になっています。百日紅は水害には耐えて残ったのですが、仮復旧堤防を建造する段階で伐採されたようです。
(v)EF区間堤内側の破堤直後12:53の水煙
13:50ころからのC区間付近の水煙・噴水は、動画に20分間にわたって記録されているので、かなり確実に把握できます。同様の現象は、これより前、破堤直後のEF区間の堤内側でも起きています。ただし、C区間堤内側の水煙・噴水のようには高く噴き上がっていません。
対岸の篠山水門の河川カメラ(CCTV)の映像ですが、下館河川事務所の担当者が動画データを録画し損なったということで(前ページの(0)前書き参照)、解像度の極めて低い静止画像が12:53:53と、12:54:15の2枚あるだけです。(別ページ参照)
時間順にこちらを水煙1、さきほどのものを水煙2とします。
水煙の位置を推定するために、まず篠山水門のCCTVの画像に映っている堤内側法尻の樹木と21kのポール、さらに住宅3の左右の大樹の位置を確認します。篠山水門のカメラから見ると、水煙1は住宅3より手前、法尻の赤丸の樹木より先で、そのやや左に上がっています。
2014年3月22日のグーグルの衛星写真上で、水煙1の位置を推定してみます(パソコン版のグーグルアースプロで、過去の衛星写真を選択して表示できます。タブレットやスマートフォン版では不可能です)。黄線は、CCTVカメラと天端のL 21kのポールをとおる直線です。赤線は、CCTVカメラと最初に破堤したとされるF区間の両端をとおる直線です。
水害直後の2015年10月9日のグーグルの衛星写真上で、水煙1の位置を推定してみます
当日の写真が、解像度の極端に低い2枚しかなく、しかも望遠撮影なので距離感(奥行き)がまったく掴めません。しかしながら、水害当日や翌日の一面が氾濫水で覆われているものでもなく、また整地が進んだあとのものでもなく、ちょうど10月9日の衛星写真だと、水煙・噴水が噴き上がったかもしれない地点が想定できます。さきほど見た9月26日の関東地方整備局のUAV映像で仮に「深穴2」と呼んだ地点です。
13:50-14:10の水煙2であれば、住宅2と住宅9の間だとピンポイントで位置が確定できたのですが、それと比べると、水煙1の写真ははなはだ不確かで、位置もはっきりしません。それでもこうしていくつかの事実を整合的に解釈できます。
すなわち、深穴2は、冒頭に示したように、透水層から作用する揚圧力により被覆土層が膨らむように変形(盤膨れ)し、さらには被覆土層を突き破り、水や土砂が噴出することによってできたものであり、噴水して水煙1の現象を起こした、と想定できます。
2箇所の水煙はたまたま篠山水門の映像として人知れず残っていたのです。水煙・噴水現象は、この2つだけで、ほかには生じなかったと考える理由はありません。基礎地盤への浸透による被災についてはひきつづいて検討することにします。