Mar., 30, 2020
戦前から続く採砂が「高度経済成長」期に急速に進行した後、しばらく放置されていたこの付近で、2013(平成25)年から2014(平成26)年にかけて、8万㎥という空前絶後の大規模な採砂がおこなわれました(前ページ)。
これにより、左岸21k付近の高水敷と、砂州(だったところ)の状況は激変します。自然的に形成されることはありえない、約4mの不自然な段差(緑線)ができたのです。そこが、2015年9月10日の正午前後にピークに達する洪水にさらされることになります。
グーグルクライシスレスポンスの航空写真です(DSC01502をトリミング、別ページ参照)。
この項目で見ている、他の時期の衛星写真や航空写真は真上から撮影したものです(ただし、多少斜めに撮影したものを、真上から垂直に見たように補整したものもあります。全部を完全に垂直撮影しているわけではありません)。
これはヘリコプターからの俯瞰像です。他の画像と同じ描き込みだと一致しませんが、一応、右のとおり堤防の区間区分(ただしカーブ具合が少しずれます)と連続開口だけを示しました。
別ページで、国交省のUAV(ドローン)画像も見ましたが、連続開口から砂が吐出されたようすがはっきりわかります。連続開口の右、下流側の崖面も崩れ気味です。こうしたことは、高精細(6000dpi×4000dpi)画像をそのまま公開していることもあり、人工衛星ないし航空機による垂直画像より、低空飛行の航空機による俯瞰写真の方がよくわかります。
A区間下流端では、鹿島(かじま)が堤防天端の高さに作業用の舞台をつくったところです。G区間下流端では、大成(たいせい)がクレーン作業をしています。
13日になると、少し水位が下がって第2の段付きの下段(緑破線面)がすこしずつ現れはじめています。とくに下流側、G区間の堤外側は草が見え始めています。
この段付きの崖面の2か所に、ブルーシートが掛かっています。開口1と、連続開口の中に新たにできた開口3です。崩落防止効果はないでしょうから、さきほどのB区間同様、注意箇所の目印ということのようです。
仮堤防建設工事が、上流側半分が鹿島建設、下流側半分が大成建設の分担で進んでいます。
鹿島は、加藤桐材工場や住宅1、住宅2、住宅9がある堤内側が使えないので、堤外へ降りた第二の段付き上段の高水敷に土砂を入れて地盤を形成し、資材置き場と作業スペースにしています。
2日後の9月15日です。雲が影を落としています。
鹿島・大成両区間とも、流失した堤体部分の巨大な押堀(おっぽり)を完全に埋め終わりました。色味からすると砂混じり砕石でしょう。
鹿島が、このあと河道側に打ち込む鋼矢板(こうやいた)を段付きの崖間近まで並べています。
大成区間に、あらたに開口2ができて砂の流出が起きたようです。
iOSなどのタブレットや、スマートフォンのグーグルアースの画像です。パソコン(WindowsやMacOSなど)のグーグルマップのsatelite(衛星)画像も同じです。多方向から撮った画像から、3D画像を構成したものです。これは垂直画像ですが、「3D」に切り替えると、立体画像を角度・方向を変えてみることができます(2020年なかばにその後の画像に切り替えられたので、もう閲覧できません)。
コンクリートブロックで被覆された仮堤防が完成し、河道側に鋼矢板(こうやいた)を2列に打ち込んで土砂を充填する二重締切の工事中です。9月24日に完了する仮堤防建造工事の進捗状況から見て、9月20日前後のようです。
コンクリートブロックで被覆した土堤と鋼矢板による二重の仮堤防が完成してから2週間余り経過した時点です。翌年に始まる本堤防への置換工事までの間、しばらくこの状態が続きます。
開口1と開口2は、埋め戻されずにそのまま残っています。とくに開口2からは大量の砂が流れ出したままです。少なめにみても数百トンはあります。あるいはそれより一桁上かもしれません。
連続開口は埋め戻されてしまい、まったくわかりません。開口3は埋め戻した痕跡が残っている程度です(別ページ参照)。
開口4はまだできていません。