(2015年10月27日、左岸21.00k付近、常総市三坂)
2015(平成27)年9月10日の茨城県常総市等の鬼怒川水害について、できるだけ一次資料を参照することで、その実態と原因をさぐろうと思います。
下館河川事務所は、利根川水系の一部である鬼怒川と小貝川の2河川を管轄しているのですが、1986年の小貝川水害に続き、それから30年もたたないうちに鬼怒川水害を起こしてしまったのです。この大失態の責任をまったく自覚していない上級機関の国土交通省関東地方整備局が、鬼怒川と小貝川が属する利根川水系のすべてを管理しているのです。利根川水系に属する江戸川が氾濫するか、あるいは埼玉県南部でふたたび利根川が氾濫することになれば、首都東京の中心部は壊滅的な機能喪失に陥ることになります。
鬼怒川水害の原因をただしく認識しようとしない、それゆえとるべき対策をとることができない関東地方整備局がそのカタストロフを回避することは、絶対に不可能です。
MMXV - MMXXII
越水による破堤などという単純素朴な虚偽が大手を振って罷り通っていますが、三坂の破堤原因はいささか複雑です。それにくらべると、若宮戸における氾濫の原因ははるかに単純です。若宮戸の河畔砂丘が1960年代に掘削されてしまい、築堤もされなかったために、洪水が簡単に氾濫したのです。25.35k付近では河畔砂丘をソーラー発電業者が掘削しなかったとしても、多少氾濫量が減っただけですし、24.75k(正確には24.63k)付近の河畔砂丘はきわめて低平だったために、水位が少々上がれば氾濫するのは必然でした。2018年に国家賠償請求訴訟が提起され、現在水戸地裁での審理が続いていますが、被告国は、治水においては下流の整備を先におこなうのが原則であり、豊岡や水海道元町の築堤を優先しなけらばならなかったために、若宮戸の築堤を後回しにせざるをえなかった、などと主張しています。この、一見もっともらしいけれどもその実たいした根拠のない「下流優先論」で、若宮戸の築堤を怠ったことを正当化できるのでしょうか?
鬼怒川水害最大の氾濫地点は常総市中部の比較的標高の高い自然堤防地帯である三坂でした。165mにわたって堤防が完全に崩壊したのですが、そのメカニズムはまったく解明されていません。氾濫地点の巨大な穴(押堀)のうえに造成された復旧堤防はすでに沈下変形し始めています。あの地点には、注目すべき特異性があるのですが、誰も気づかないか、気づいていてもわざと知らぬふりをしているのです。
三坂の「決壊」幅は195mで、「破堤」したのはそのうち165mです。それらを詳細に見てゆくのですが、手元にあるのは、現場で河川巡視員や住民が命がけで撮影した写真とビデオ、それと対岸の監視カメラの映像です。
三坂の「決壊」幅195mを6区間に区分します。2時間も越水していたのに破堤しなかった区間、地盤沈下によりほかより70cm以上も低くて激しく越水していたのに真っ先に破堤したのではない区間、など6区間に区分します。
11:10に堤防上を走行していた国交省の車両が、三坂付近で越水が起きているのをたまたま発見し、鎌庭出張所に状況を報告しました。11:30ころまでには下館河川事務所に緊急連絡がはいり、ただちに常総市役所に通報されたはずです。
12:00ころ委託企業職員が、その直後に国交省職員が、それぞれ小型ライトバンで通りかかり、激しく越水する様子や、川裏側法面に開いた大穴を撮影します。ここまでが破堤前です。
対岸の将門川の篠山水門に監視カメラが設置されていて、破堤直後の12:52以降、何枚かの静止画を撮影し、さらに13:23以降は連続的に動画を撮影していました。
篠山水門の監視カメラ映像の続きです。対岸から水平に撮影したので、堤内の様子はわかりにくいのですが、破堤点から上・下流に向けて、堤防が順次流失する様子が連続的にとらえられています。
破堤した堤防の直下にあった住宅で、住民がビデオカメラで堤防の様子を撮影していました。破堤したとされる12:50の直後から、13:00ころまでの映像ですから、破堤のメカニズムを解明する上で極めて重要です。
破堤から30分以上経過した13:27以降、国交省職員が上流側の堤防天端上から撮影した写真です。
篠山水門の監視カメラ映像の3回めです。13:50ころから約20分間にわたり、すでに氾濫水に激しく洗われている堤内の1点から、4m近い水煙が立ち上る様子が写っています。じつに不思議な現象です。
三坂の破堤した堤防に沿った高水敷には、不思議なことに段差があり、そこが水害の翌日、大量の砂を吐出して崖面崩壊をおこしたのです。ちょうど、水煙があがっていたあたりと、堤防をはさんで線対象の位置です。
三坂の2段になった高水敷の崖面の崩壊現象は、以後も続き、さらにところどころで大規模な開口が形成されました。地下地盤から大量の水を含んだ砂が噴出したのです。
三坂における河川管理史 1 戦後の採砂によって砂州が大幅に消退します。
三坂における河川管理史 2 水害直前におこなわれた採砂による高水敷形状が激変します。これが2015年の破堤原因となったのかも知れません。
三坂における河川管理史 補 1920−30年代の内務省による直轄工事資料を閲覧します。
三坂における河川管理史 3 4mも掘り下げられた高水敷の段差が、2015年9月の大洪水に襲われ、大規模な崩壊をはじめます。
三坂における河川管理史 4 三坂では復旧堤防が完成したのですが、現在も高水敷の破断面で土砂の流出が続いています。地下地盤は安定していないのです。
鬼怒川水害最大の氾濫地点である三坂における破堤の態様・原因は、いうほど単純ではありません。越水しても破堤しなかったところがあるのですから、越水すれば必ず破堤するというわけでもないのです。
3 浸透による堤体崩壊 (Oct., 1, 2020)
5 三坂堤防の特異性 (Oct., 5, 2020)
6 堤内地盤崩壊の諸相 (Nov., 1, 2020)
7 堤内地における陥没 (Nov., 26, 2020)
8 水害直前の高水敷掘削 (Dec., 19, 2020)
9 地表氾濫流と地下浸透流❶ (Jan., 4, 2021)
10 地表氾濫流と地下浸透流❷ (Mar., 4, 2021)
鬼怒川水害の3つの氾濫地点のうち2か所は、常総市北部の若宮戸河畔砂丘でした。ひとつはよく知られた「ソーラー発電所」地点(25.35k付近)で、もう一つ(24.63k付近)はほとんど知られていないのですが、どちらも1960年代以降建設省(今日の国土交通省)が森林伐採と砂の採掘を許したために、増水すれば確実に氾濫する地形になっていたのです。若宮戸でも、氾濫地点の巨大な穴(押堀)のうえに堤防をつくりました。
若宮戸の河畔砂丘 3 (準備中)
若宮戸の河畔砂丘 8 土嚢越水(準備中)
若宮戸の河畔砂丘 9 (準備中)
河川区域境界線に留意しながら、若宮戸河畔砂丘の形状変化の経緯を概観します。最初に、1960年代以前の河畔砂丘の概要を確認したうえで、次ページで1960年代から70年代の掘削状況を、次々ページ以下で2014(平成26)年のソーラー発電業者による最後の砂丘掘削と、2015(平成27)年9月の氾濫から堤防建造までを、航空写真・衛星写真・地図で一覧します。
常総市南部の水海道地区市街地の浸水は、鬼怒川の氾濫によるものではなく、市街地を流れる八間堀川の氾濫によるものだという驚くべき謬論が流布しています。その誤りをあきらにするうえでは、氾濫水の総量を推測し、氾濫水の移動プロセスの全体を見る必要があります。この「水海道市街地水害八間堀川唯一原因説」は、しょせんはただの勘違いですから論ずる価値もないのですが、氾濫水の移動メカニズムをさぐることできわめて興味深い事実があきらかになるのです。
風説「水海道市街地水害八間堀川唯一原因説」
水没した八間堀川
後背湿地最深部の惨状
破壊された八間堀川堤防
仮説・八間堀川堤防の決壊原因
水海道市街地の水害
風説の生成
八間堀川排水機場停止批判論の誤謬
問題の整理
風説に便乗する国土交通省
テレビや新聞が写さなかった「三坂町」の状況も撮影しました。「若宮戸」では「ソーラーパネル」の地点(25.35km)のほか、もう1か所(24.75km)でも激しい氾濫がおきて、「三坂町」と同様の惨状を呈しています。砂丘「十一面山」の全域も撮影しました。
鬼怒川水害の浸水範囲 国土地理院による鬼怒川水害地域の空撮写真 鬼怒川決壊前後数日間の水位変化
鬼怒川水害・7週間後の三坂町
鬼怒川水害・7週間後の若宮戸
鬼怒川水害・10週間後の若宮戸
鬼怒川水害・10週間後の常総市南部
3週間後の三坂町と若宮戸
「三坂町」について、国土交通省は「越水による破堤」だと最初から決めていました。水害は、豪雨による水位上昇が原因の「自然災害」だと言いたかったのです。しかし、その目論見は東京大学・芳村圭准教授の浸透痕跡発見で挫折しました。国土交通省が「調査委員会」に提出した資料をよく読めば、越水と浸透が決壊の共働原因(複合的原因)であったことを認めているのです。
「洪水ハザードマップ」は複数箇所での堤防決壊による最大浸水深を全部合算したものであり、今回の浸水区域がほぼ「洪水ハザードマップ」のとおりになった(ように見えるだけなのですが)のは、あとになってわかったことなのです。「ハザードマップ」があったのに見ていなかったのか、と非難する人たちは勘違いしているのです。鬼怒川東岸が全部浸水して自衛隊の災害派遣車両も水没することを、国土交通省は防衛省に知らせることもできませんでした。9月10日には浸水前の時点ですでに北部の「新石下」でも南部の「水海道」でも道路が渋滞し、市民は身動きのとれない状態でした。
「常総市役所の避難指示の遅れ」を非難する論調 1
「常総市役所の避難指示の遅れ」を非難する論調 2
「常総市役所の危機管理の在り方」を非難する論調
ハザードマップをめぐる誤解
誤解を招くハザードマップ
「常総市役所の避難指示の遅れ」を招いたのは、①「三坂町」の破堤の8時間前に始まっていた「若宮戸」の氾濫に、国土交通省下館河川事務所の注意が集中した、②事前のシミュレーションによれば、「若宮戸」での氾濫の場合、「三坂町」は浸水しないこととされていた、③越水の第一報が、「三坂町上三坂」をその手前(上流側)100mの「新石下」飛び地と誤認した、そして④その「新石下」にはすでに避難指示・避難勧告が出ていた、などの偶然的要因が重なったことによるものです。
河畔砂丘 Sand dune である「若宮戸」の十一面山を、自然堤防 Naturl levee と呼んでいる限り、議論は永久に混乱したままです。国土交通省は、堤防をつくらず放置していたのは「自然の」堤防があったからで、その「自然の」堤防を「土嚢の堤防もどき」で代用したのだと、とんでもないデタラメを並べています。砂丘 Sand dune が土嚢 sandbag に化けた経緯を分析します。
原発事故とはちがって、鬼怒川水害については基本的なデータ、地図、写真がインターネット上にかなり公開されています。データの入手方法や、写真や地図のURLをまとめました。