「特別権力関係論」においては、公法上の営造物利用関係、具体的には、国公立学校と学生との関係、国公立病院と入院患者との関係、刑務所と在監者との関係は、一般的な権力関係すなわち国家と一般国民との関係とは区別される特別な権力関係(das besondere Gewaltverhältnis)にあるものとされ、特別権力関係に組み入れられた学生・入院患者・在監者は、一般権力関係において国民に認められる権利を保持しないものとみなされ、国公立学校・国公立病院・監獄当局はいかなる法的制約を受けることもなく、学生・入院患者・在監者に対して無制限の権力を行使しうるものとされました。(室井力『特別権力関係論』1968年、勁草書房)
と、過去形で述べましたが、この過去の亡霊はゾンビのように今も生きているのです。
戦前と戦後を完全に断絶させ、そこに一切の連続性はないことにするのは、戦前日本で政治的・経済的・精神的に支配的中心的地位にあった人びと(本人はもちろん、時間が経過すれば順次、その後継者、子孫、追随者、子分たちにポジション移動しますが)にとって最初に必要とされる準備作業です。同じ人が「天皇」を続けたのも歴史的に異例ですが、変わったのは「憲法」だけ?で、民法も刑法も(改正はされましたが)そのまま残り、「議会」も「内閣」も「裁判所」も、結局はそのまま残ったのです。断絶したことにされたので、継続できたのです。本来なら民法も刑法も全部廃止して新法を制定すべきだったのです。国会議事堂は建て直すか、残すにしても「歴史博物館」にすべきでした。
行政法(という単一の法律はありませんが)の分野も同様で、19世紀ドイツ法制度・法学を直輸入した日本の「公法」は戦後も基本的に存続しました。たとえば、国家公務員・地方公務員の労働関係は、民間企業の労働者の労働関係とは、本質的にことなるものとされています。労働基準法(と1972年にその一部が分離独立した労働安全衛生法)は、国家公務員については全部、地方公務員については一部、しかも重要な一部が適用除外とされています。とりわけ、労働基準監督権限(民間労働者については労働省〔厚生労働省〕)が、国家公務員は人事院、地方公務員は(曖昧ですが)人事委員会という、ほとんど監督機関の体をなさない部署に帰せられて無力化し、労働災害保障制度については、国家公務員は人事院、地方公務員は(しばしば制度変遷しますが)「地方公務員災害補償基金」という、形式上国・自治体とは別の法人組織の恣意的運用に委ねられることで、法の目的の実現が阻害される結果を招きました。
国家公務員・地方公務員については労働組合法が適用されず、国家公務員法・地方公務員法が定める「職員団体」を結成することができるのみとされ、さまざまの不利益をこうむります。たとえば「職員団体」だから、当該組織の「職員」である者しか構成員になれないとされ、当然現職者しか加盟できない、地域・職場ごとに分断された、典型的「企業内組合」となることを法定されています。
学校教員が、授業という主要な業務をおこなったうえで、また、その準備のために、勤務場所をはなれておこなう「研修」について法律(教育公務員特例法)の規定がありますが、1970年代頃までは、上の「職員団体」が企画・運営する「研修」活動に参加することを嫌悪する教育行政当局(文部省・地方自治体の教育委員会部局)が、法のさだめる活動を妨害するため、給与を減額する、つまり職務遂行行為であることを認めず、欠勤扱いにするなどしたのです。また、21世紀初頭に、学校教員についてもやっと週休二日制が導入されると(それ以前は、労働基準法の定めに違反し、長期休業日〔「夏休み」など〕に休んだことにして、土曜日に出勤させていましたが、土曜日の振替がなくなり、「休日」でなくなると)、文部科学省は長期休期間中の「研修」を妨害するため、法律の条文に違反するあれやこれやの条件をつけて、研修活動をさせないと言い出して、社会的な注目を集めました。
法律がさだめる職務について、いいがかりをつけてその遂行を妨害するなどもってのほかですが、教育行政当局ばかりか裁判所までが同調して、まじめに研究と修養につとめようとする教員に難癖をつけようと、一見して明らかに法律の条文に違反する横車を押し通すため、よりによって高等裁判所の判事さんたちまでが、矛盾だらけ穴だらけの屁理屈を捏ねまわしたのです。それを、判決文などろくに読んだことのない文部省(文部科学省)の素人官僚が引用し、またそれを教育研修センター(という「盲腸」のような組織が各都道府県にあります)出身のなんの知識もない校長先生が引用し、参ったか、と大見得を切る……
という2010年の茨城県のとある高校での出来事から、今も生きているゾンビ=特別権力関係論について、検討します。
MMX-MMXI