「部活動」指導は教員の職務なのか?

 

 

目 次

 

はじめに 長時間労働の主要因としての部活動指導

1 部活動に関する学習指導要領の言及

2 根拠のない「部活動は学校教育の一環」論

3 教員の職務と部活動指導

4 部活動指導と給特法

5 高野連部活動・高体連部活動・高文連部活動

 

 

 

はじめに 長時間労働の主要因としての部活動指導

 労働基準法(昭和22年法律第49号)は、1日8時間・1週間40時間を法律上許される最長労働時間と定め(第32条)、これを超えて労働させた使用者には刑事罰(6か月以下の懲役又は30万円以下の罰金)を課すとしている(第119条)。しかしながら、他産業あるいは他の校種におけると同様、高等学校においても正規の労働時間をこえる時間外労働が常態となっている。その最大の要因は、部活動1に関する業務である。高校では、学校によってかなりの差異があるが、教員の約3割が放課後2時間から3時間程度の部活動指導業務に携わってきた。すなわち終業時刻の17時00分以降の1時間から2時間の時間外勤務と、休日勤務が当然のようにおこなわれてきた。これが現在まで50年間以上、変わらずに続いてきた状況である。

 ここで注意しなければならないのは、このように終業時刻をはさんで部活動指導業務がおこなわれる場合、終業時刻前の正規の勤務時間内に処理できたはずの業務が終業時刻後にはみだすことである。それらの業務は、部活動指導業務終了後に処理しなければならないことになる。たとえば、定期試験が終了すると、その日の午後から部活動指導業務に従事することになるが、半日から1日を要する採点業務は、時間外にはみだすことになる。時期による変動のあるもののほか、毎日かならず必要となるのが「研修」である。それらは、受持授業のない「空き時間」ですべてまかなうことはできないので、部活動指導業務終了後の、18時ないし19時からとりかかるか、あるいは自宅での業務すなわち「持ち帰り残業」となる。この場合、時間外労働の要因は部活動以外の業務であるかのような外観を呈し、問題の本質がわかりにくくなる。

 勤務内容全体における個別業務の割合を測ると、人によっては部活動指導業務が担当授業時間数以上の長時間に及ぶ2。しかし、教員全員が同じように部活動指導業務に従事するわけではないので、統計的平均値においては時間外労働の要因としての部活動指導業務の比重が小さくなる。さらに、持ち帰り残業を労働時間とみなさない文部科学省の運用方針により、労働時間統計そのものの正確性は確保されていない。文部科学省の「勤務実態調査」などのすべての統計データにおいては、部活動指導業務は過小評価され曖昧化する。もちろん、時間外労働の長時間化の要因は、部活動指導業務だけではない。しかし、長時間労働の縮減とりわけ時間外労働の解消を目指すあらゆる検討努力に対して、部活動指導業務の取り扱いが、最初の、そして最大の、克服不可能な障壁として立ち現れ、いつでも解決の道を完全に遮断してしまうのである。

 

 近年になって、こうした状況に変化の兆しがあらわれたように見える。文部科学省の外局のスポーツ庁3は、2018(平成30)3月に、時間外労働の長時間化の最大要因となっている部活動指導業務について、土曜日曜のいずれか1日を含む週あたり2日以上の休養日を設ける、1日の活動時間は平日で2時間程度、休業日は3時間程度とするよう求めるガイドラインを示した4。対象は中学校であるが、高等学校についても「本ガイドラインを原則として適用」するとした。

 茨城県教育委員会は、同年5月、県立および私立の高等学校に対して、活動日・活動時間を制限するよう通達した5。週あたりの休養日は1日以上とするが、土曜日曜については制限せず、1日の活動時間は平日で2時間程度、休業日は4時間程度とした。これは生徒の負担軽減がおもな目的である6。2022(令和4)年12月、茨城県教育委員会は活動時間の「程度」を「上限」と改め、土曜日曜のいずれか1日を含め休養日は2日以上とした7

 さらに2022(令和4)年12月、スポーツ庁と、同じく文部科学省の外局の文化庁が連名で「学校部活動」から「地域クラブ活動」への移行方針を公表した8。対象は中学校だけで、それも休日に限られる。高校教員の部活動指導業務については、2018年のガイドラインで示した活動日数・時間の数値を再確認するだけであり、それ以上の改変は求めていない。2022年6月に「地域クラブ活動」への移行方針を提言したスポーツ庁の「運動部活動の地域移行に関する検討会議」は、高等学校を除外する理由をこう説明する9

 

 公立及び国立の高等学校等(中等教育学校後期課程及び特別支援学校高等部を含む)については、義務教育を修了し進路選択した高校生等が自らの意思で運動部活動への参加を選択している実態や、多様な教育活動が行われる高等学校の中でスポーツに特色を有する学校が存在することなどの面で、中学校等とは異なる状況にある。一方、高等学校等においても、スポーツを通じた生徒の心身の健全育成や教職員の働き方改革の観点は重要であり、学校等の実情に応じて運動部活動の改善に取り組むことを望みたい。 

 私立学校においても、これらの取組も参考にしながら、学校等の実情に応じて適切な指導体制の構築に取り組むことを望みたい。

 

 中学校の「学校部活動」と「地域クラブ活動」については部分的とはいえ転換を求めるが、公立学校の「スポーツに特色を有する学校」については現状追認の姿勢である。私立学校については「これらの取組みも参考に」するのを「望みたい」とじつに穏便である。「生徒の心身の健全育成や教職員の働き方改革」は「重要」だとは言うものの、部活動に過度に力を注ぐ公立高校・私立高校のあり方はさほど問題視しない。「実情に応じて」と最初から妥協的姿勢を示し、根本的改善を求めない。

 中学校について「地域クラブ活動」への移行を提言するのは、高校と比べてもはるかに小規模であり、すでに単独校での部活動体制を維持することが不可能になっているため、複数校での合同部活動体制と「地域クラブ活動」体制への移行を余儀なくされているからである。市区町村教育委員会と市区町村立中学校には、「地域クラブ活動」体制を整備する責任が課せられる。「地域」は学校を除くのではなく学校を含むものとされるから、中学校には、単独または複数の中学校による「学校部活動」の管理運営に加えて、新たに設立する「地域クラブ活動」の管理運営業務が課される。そして、休日の「地域クラブ」における指導業務の多くは、名目上「地域クラブ活動指導員」を兼職する中学校教員に委ねられることになるだろう。

 高校の部活動は「地域クラブ活動」への移行方針の対象ではない。部活動指導業務が高校教員にとって過重負担となっている状況が、今後根本的に転換する見込みはない。それどころか、高校教員にも「地域クラブ活動指導員」の兼職など、「地域クラブ活動」の管理運営への参加協力が求められる可能性もある。「地域クラブ活動」新設により、高等学校と高校教員の負担は軽減するどころか増大する。

 さらに、茨城県教育委員会は、「複数顧問交代による単独指導の原則を徹底する」と言い出した10。交代制をとることで、ひとりあたりの負担を減らそうというのだが、部活動指導業務を課される教員数は増加する。活動時間が制限されたとしても、正規の勤務時間を大きく超過する仕事を割り振られる人数は増加する。従来「学校部活動」に対して放任姿勢をとっていた県教育庁保健体育課が、生徒の負担軽減を掲げにわかに学校と教員に対する管理統制をつよめ、学校では個々の教員の部活動指導業務負担はむしろ強まった。

 

 本稿は、公立の高等学校の教員には部活動指導業務に従事する法的義務があるか否かについて検討する。すなわち、部活動指導業務が、学校教育法(昭和22年法律第26号)および地方公務員法(昭和25年法律第261号)が規定する教員の「職務」に該当するか否かについて検討する。

 本稿は、部活動指導業務が、学校教育法および地方公務員法が規定する教員の「職務」に該当するか否かについて検討するのだが、「職務」の意味で「本務」の語を用いることはしない。教員がなんらかの仕事をする場合に、それが「本務」(本来の業務?)であるとか「本務」でないとかいうように、従来よく使われる用語であるが、学校教育法や地方公務員法には現れない語であり、定義・意味も曖昧で、思考を混乱させる。

 教育公務員特例法(昭和24年法律第1号)第17条(兼職及び他の事業等の従事)には「本務」の語があるが、これは兼職する他の職や従事する他の事業・事務に対して、教育公務員の元の職務を指すものである。その場合「本来の業務」としての「本務」は、その「元の職務」の全体を意味することになる。そうすると、その「元の業務」のなかに、「本務」と「本務」でないものがあるというように「本務」がマトリョーシカ人形のごとく入れ子状態になってしまう。

 同様に、「職務」の意味で「公務」の語を用いることはしない。「公務」は多義的であり、法解釈はひどい混乱に陥っている。「公務員」も同様である。日本国憲法第15条にいう「全体の奉仕者」としての「公務員」に該当するのは、公職選挙法(昭和25年法律第100号)にいう「公職」すなわち「衆議院議員、参議院議員並びに地方公共団体の議会の議員及び長の職」(第3条)が主たるものである。国家公務員法(昭和22年法律第120号)第2条・地方公務員法第3条により、これら「特別職」の公務員には国家公務員法・地方公務員法は適用されない。憲法第15条にいう「全体の奉仕者」としての「公務員」と、公立学校の教員などの一般職の「公務員」とは、排他的概念である。国家公務員法・地方公務員法は、一般職の「公務員」に対しては、たとえば「公共従業員 public employee 」など別の名称を与えるべきだったのに(当然法律名も変わる)、勘違いして憲法条文中の名称「公務員 public official 」を使ってしまった11。「公務」は、私立学校教員の場合には問題にならない語であるなど、部活動指導業務について検討する際に中心的概念として用いるのは不適切である。「公務災害補償制度」の運用に関する件を除いて、部活動指導業務についての議論では「公務」は用いない。

 

 あらかじめ結論を示す。公立の高等学校の教員には、部活動指導業務に従事する法的義務はない。部活動指導業務は公立高校教員の「職務」ではない。ほぼすべての教員に部活動の管理運営と指導業務が割り当てられる現状は、法の規定に反する。端的にいえば、部活動指導業務の強制はあきらかな違法行為である。

 本稿では、学校部活動ないし地域クラブ活動はどうあるべきか、どのように運営されるべきか、等々の包括的な議論はおこなわない。すなわち、いかなる機関・組織が学校部活動ないし地域クラブ活動を運営すべきか、高等学校の生徒はどのように学校部活動ないし地域クラブ活動に参加すべきか、学校部活動ないし地域クラブ活動の指導者の雇用形態や賃金・報酬はどうあるべきか、学校部活動ないし地域クラブ活動の施設・設備・指導者のための費用負担はどうあるべきか、とりわけ参加者の経済的負担はどうあるべきか、などについては議論しない。そのような検討議論は無意味で不要だというのではないが、ここで包括的に検討し尽くすのは不可能である。本稿は、それらの議論の前提となる法的根拠の確認と、文部科学行政・地方教育行政の妥当性についての検討をおこなう。ただし、学校における教育活動と教員の職務遂行に、法的根拠なく絶大な影響を及ぼしている「高体連・高野連・高文連」体制の問題点について若干の指摘をおこなう。

 

 

 

1 部活動に関する学習指導要領の言及

 学校における部活動の位置付けについて、根本的な誤解がひろく行きわたっている。

 

誤解1 〈部活動は、学習指導要領において規定されている。〉

誤解2 〈部活動は、学校教育の一環である。〉

 

 出発点において根本的な事実誤認があるために、部活動についてのほとんどの議論は間違ったものになっている。本節では学習指導要領における部活動に関する記述の、現在までの約50年間の変遷を通観して、誤解が生じた経緯を追跡する。思い込みにもとづく予断を排し、煩雑であるが該当部分を引用して記述の変遷を追うことで、それらの誤解が学習指導要領の誤読による誤解であることが判明する。そして、それら重大な誤解が生じた経緯と原因も明らかになる。

 1989(平成1)年版以降の学習指導要領は文部科学省のウェブサイト(https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/index.htm)に、戦後の学習指導要領のすべては国立教育政策研究所のウェブサイト(https://erid.nier.go.jp/guideline.html)に、それぞれ掲載されている。なお、文科省のウェブサイトには、2009(平成21)年版以降の学習指導要領の「解説」書も掲載されている(文科省サイトは「年」表示、教育政策研サイトは「年度」表示)。

 pdfでは1節と2節の傍線を付した学習指導要領と解説にはリンクを張った。文部科学省の告示・通知などの行政文書はそれぞれのURLを示してあるが、いちいちそれをタイプするより、検索エンジンに文書名を入力してしまうのが簡便である。pdfでは、URLのリンクが有効である。

 法令(法律・政令・省令〔施行規則〕)の条文は、総務省行政管理局が運用する「e-Gov法令検索」(https://elaws.e-gov.go.jp/)を参照・引用する。

 

 部活動は学習指導要領において〝規定〟されているという誤解 

 最初に、部活動は「学習指導要領」が規定する「教育課程」に含まれないことを確認する。

 学校教育法(昭和22年法律第26号)第52条は、「高等学校の学科及び教育課程に関する事項は、前二条の規定及び第六十二条において読み替えて準用する第三十条第二項の規定に従い、文部科学大臣が定める」としている。そのうえで、学校教育法施行規則(昭和22年文部省令第11号)は、「高等学校の教育課程は、別表第三に定める各教科に属する科目、総合的な探究の時間及び特別活動によつて編成するものとする」(第83条)とし、「高等学校の教育課程については、この章に定めるもののほか、教育課程の基準として文部科学大臣が別に公示する高等学校学習指導要領によるものとする」(第84条)と規定している。「この章に定めるもの」は、例外や特例に関するものである。次が、学習指導要領の記述である(傍線と〔〕内は引用者。以下同じ)。

 

これからの学校には,こうした〔=教育基本法第1条が規定する〕教育の目的及び目標の達成を目指しつつ,一人一人の生徒が,自分のよさや可能性を認識するとともに,あらゆる他者を価値のある存在として尊重し,多様な人々と協働しながら様々な社会的変化を乗り越え,豊かな人生を切り拓き,持続可能な社会の創り手となることができるようにすることが求められる。このために必要な教育の在り方を具体化するのが,各学校において教育の内容等を組織的かつ計画的に組み立てた教育課程である。      (2018年版高等学校学習指導要領、前文

学習指導要領とは,こうした〔よりよい学校教育を通してよりよい社会を創るという〕理念の実現に向けて必要となる教育課程の基準を大綱的に定めるものである。   (同)

各学校においては,教育基本法及び学校教育法その他の法令並びにこの章以下に示すところに従い,生徒の人間として調和のとれた育成を目指し,生徒の心身の発達の段階や特性等,課程や学科の特色及び学校や地域の実態を十分考慮して,適切な教育課程を編成するものとし,これらに掲げる目標を達成するよう教育を行うものとする。  (同、第1章、第1款

 

 教育課程を編成するのは、文部省(文部科学省)や都道府県教育委員会・市町村教育委員会ではなく、「各学校」である。

 現行の高等学校学習指導要領は、部活動を教育課程に属するものとは規定していない。この点については、誤解の余地はない。ところが、部活動は教育課程の大綱的基準である学習指導要領において、〝規定〟されているという誤解が蔓延している。学習指導要領は部活動について、単に 〝言及〟しているに過ぎないのであるが、こうした誤解が生ずるにはそれなりの経緯がある。

 ここから、各版における部活動に関する〝規定〟ないし〝言及〟がどのように変遷したかを確認する。

 

 

告示年

実施年

〔クラブ活動実施年〕

「クラブ活動」

部活動

1960

(昭和35)

1963(昭和38)

特別教育活動

「クラブ活動」

〔自発的な参加〕

「クラブ活動」

1970

(昭和45)

1973(昭和48)

各教科以外の教育活動

「クラブ活動」

〔必修〕

-

1978

(昭和53)

1982(昭和57)

特別活動「クラブ活動」

〔必修〕

-

1989

(平成1)

1994(平成6)

〔1990(平成2)〕

特別活動「クラブ活動」

〔必修〕

「クラブ活動」との「関連」

1999

(平成11)

2003(平成15)

〔2000(平成12)〕

〔廃止〕

-

2009

(平成21)

2013(平成25)

-

教育課程との「関連」

2018

(平成30)

2022(令和4)

-

教育課程との「関連」

 

 

 

 

 1960(昭和35)年版学習指導要領における「特別教育活動」としての「クラブ活動」

 1960(昭和35)年版学習指導要領は、1956(昭和31)年版学習指導要領の規定を継承して次のように規定していた。

 

特別教育活動においては,主としてホームルーム,生徒会活動およびクラブ活動を実施するものとし,そのうちホームルームに充てる授業時数の標準は,各学年週当たり1単位時間とする。

第1章 総則 第1節 一般方針 第3款

(7)クラブ活動に全校生徒が参加することは望ましいことであるが,生徒の自発的な参加によってそのような結果が生まれるように指導することがたいせつである。

第3章 特別教育活動および学校行事等 第1節 特別教育活動 第2款 第3 3

 

 「クラブ」は、「生徒会」の組織の中に「運動部」・「文化部」として置かれた(その他の類型もある)。そして、「生徒会活動」は、「ホームルーム,クラブ活動などにおける生徒活動の連絡調整に関する活動」をおこなうこととされる(「内容」の⑵)。この運動部・文化部を構成する個々の組織として置かれる「部」の活動が「クラブ活動」である。これが、今日の「部活動」に相当する。これらの「クラブ活動」は当時は「部活動」とは称されていなかったものと思われる。今日の「部活動」は、おそらく1970年版学習指導要領の実施以降の造語である。

 この「クラブ活動」には、ホームルームのように1単位分の授業時間が充てられることはなかったし、また「全校生徒が参加」するもの(=「必修」)でもなかったが、学習指導要領により教育課程の一部である「特別教育活動」の1項目として規定されていた

 以上のとおり、今日の部活動は「クラブ活動」という名称で、教育課程の一部である「特別教育活動」に組み込まれていた。部活動をめぐる議論においては、この事実は完全に無視され、誰も参照しない。

 

 1970(昭和45)年版学習指導要領における「クラブ活動」の〝必修〟化

 1970(昭和45)年版学習指導要領で、この「クラブ活動」に全校生徒が参加することとされ、しかも授業時数が割り当てられた。

 

1(1)各教科・科目,ホームルームおよびクラブ活動の授業は,全日制の課程においては,年間35週を下らないように計画すること。 

第1章 総則 第2節 全日制および定時制の課程における教育過程 第1款

第3 クラブ活動

 1 内  容

 クラブは,学年やホームルームの所属を離れて共通の興味や関心をもつ生徒をもって組織することをたてまえとし,次のいずれかに属する活動を行なう。

(1) 文化的な活動 (2) 体育的な活動 (3) 生産的な活動

 2 内容の取り扱い

(1) 教師は,平素から生徒との接触を密にし,好ましい人間関係を育てるように配慮するとともに,適切な指導のもとに生徒が自発的,自治的な活動を展開しうるように努める必要がある。

(2) 内容の取り扱いについては,次のとおりとする。 

ア 全生徒がいずれかのクラブに所属するものとすること。 

イ クラブの種別や数は,生徒の希望,男女の構成,学校の伝統,施設設備の実態,指導に当たる教師の有無などを考慮し,適切に定めること。

(3) 内容の指導に当たっては,次の事項に配慮するものとする。

ア 各教科・科目の単なる補習,一部の生徒を対象とする選手養成などのための活動とならないようにすること。

イ クラブ活動においては,個々の生徒の趣味や特技を育てるように努めるとともに,相互に協力して友情を深める活動となるようにすること。

第3章 各教科以外の教育活動 第2款 内容

 

 「生徒会」の一組織である「部」の活動(現在の部活動のこと)が、学習指導要領により「クラブ活動」という名称で、教育課程上、週あたり1単位時間分が組み込まれたということである。「部活動」イコール「クラブ活動」は、放課後や土曜午後・日曜・祝日に実施されるのであるが、そのうち週あたり1単位時間が授業の時間割に組み込まれ、この「部活動」イコール「クラブ活動」に全生徒が参加することとされた。

 各々の学校では、従来の「クラブ活動」すなわち部活動とはまったく別個の「クラブ」を数十個(教員数に近い多数)設置して、毎週1時間の授業時間において実施することになった。学習指導要領において、全生徒が参加し毎週1時間=年間35時間(1単位)実施される「クラブ活動」は「必修クラブ」と呼ばれ、従来の「クラブ活動」=部活動はそのままで、生徒会組織の一部を構成する組織として存続した。

 この時点で、「クラブ活動」と「部活動」というふたつの呼称が用いられた。「活動」が本来の「クラブ活動」だったのに、その名称を「必修クラブ」に譲渡することになった。そうでもしなければ区別がつかないからである。こうして「活動」という名称が用いられるようになった。

 従来の「クラブ活動」=部活動と、「必修クラブ」とを、別立てとしなければならなかったのには理由がある。たとえば、従来の「クラブ活動」=部活動としての「硬式野球部」が、ある曜日の6時間目に設定された「必修クラブ」として活動する、と仮定する。「硬式野球部」の部員である生徒が30名いるところに、この時間だけ20名の生徒が参加するとしよう。まず、「硬式野球部」の部員でない20名の服装が問題となる。この1時間(授業時間としては50分間)だけ、年間でも最大で30数回の授業のために、ユニフォームを購入するのに多額の費用を要することになるが、かといって教科「保健体育」の科目「体育」の際の体操服を着用するのは、厳密に規定されたユニフォーム着用が必須である「高野連野球」としては不都合なことである。さらに、活動開始時にかならずおこなう一斉のランニングが難題である。「硬式野球部」のランニングは、独特の掛け声のもとで全員の脚並みと腕の振りが揃う走法である。原型は軍隊や警察におけるものであり、歩幅と脚の運び、腕の振りが個人によって異なってはならない。「必修クラブ」の時間だけの参加者は、準備運動の段階から独特の技法の体得に苦労することになる。ましてや、初心者の生徒が硬球をいきなり扱うのは、きわめて危険である。「硬式野球部」の部員でない生徒については、「必修クラブ」の時間だけ「硬式野球クラブ」で活動させるのは不可能である。初心者の生徒と「硬式野球部員」の活動は、完全に分離するほかない。他の競技の「必修クラブ」も多数設置されることもあり、「必修クラブ」の「硬式野球クラブ」に野球場を割り当てることは不可能である。指導者も別個に割り当てるのは困難である。

 こうしたことは、「硬式野球部」に限ったことではない。ほかの「運動部」でも同様の困難性がある。そして、「文化部」であっても、たとえば「必修クラブ」としての「吹奏楽クラブ」に「吹奏楽部」の部員でない数十人の生徒が参加することになったとして、人数分の楽器を用意することは困難である。なにより、まったくの初心者である生徒が本来の部員と一体的に活動するのは到底不可能だろう。従来の「クラブ活動」=部活動をそのまま「必修クラブ」として実施することは、多くの運動部と一部の文化部において現実的には不可能である。

 各々の学校の教員は総じて、この「必修クラブ活動」について、意義あるものとは考えていなかった。学習指導要領がそう定めているのでまさか無視するわけにもいかず、渋々「クラブ活動」の指導に従事した。ほとんどの学校では部活動は従来通り実施したうえで、あらたに設けた週1時間の「必修クラブ」の時間に「クラブ活動」を実施した。学習指導要領のいう「クラブ活動」とは部活動のことだったのに、学校ではまったく別個のものになったのである。

 文部省初等中等教育局の官僚が、学校の実情について何も知らぬままに、漫然と学習指導要領を改訂したことで、こういうおかしなことになったのだが、文部省の空想にもとづく現実遊離はこれに限ったことではない。学校教員出身の都道府県教育庁の指導主事であれば、虎ノ門の役人の現実感覚欠如がとんでもない齟齬を作り出すことは当然認識し得たはずである。その旨を指摘し錯誤を防ぐ可能性もあったのだが、結局非現実的な学習指導要領が定めるとおりの教育課程が実施され、「必修クラブ」と部活動の二重身 Doppelgänger ドッペルゲンガー が学校内を徘徊することになった。

 

 1978(昭和53)年版学習指導要領における「必修クラブ」の継続

 1978(昭和53)年版学習指導要領は、1970(昭和43)年版学習指導要領の規定を踏襲した。

 

クラブ活動については,原則として,各学年において週当たり1単位時間以上行うものとする.

第1章 総則 第4款 特別活動の履修 3

1 (2) 生徒会活動クラブ活動及び学校行事については,学校の指導体制を確立し,全教師がそれぞれ適切に指導すること

3 (2) 生徒会活動及びクラブ活動においては,生徒の自発的,自治的な活動を助長するとともに,生徒の立てる活動の計画に基づく展開となるように援助すること.また,全生徒がいずれかのクラブに所属すること.   (第3章 特別活動 第3

 

 文部省は、現実を無視し単純な思い込みによって「クラブ活動」を必修にしたことで、全国の高校における「必修クラブ」と部活動との無駄で無意味な二本立て状況を作り出してしまったのであるが、この「クラブ活動」の分離併存を是正する策を講ずることをしなかった。しかし、いかほど現実感覚に欠けていても、「必修クラブ」と部活動の併存という現実を知るに及んで、まさかいつまでも無視するわけにもいかず、あたかも知っていた風を装うことにした。1978(昭和53)年版学習指導要領で、クラブ活動の二重身の片割れの、存在するはずのなかった部活動に言及する。

 

 3 (5) 学校においては,特別活動との関連を十分考慮して文化部や運動部などの活動が活発に実施されるようにするものとすること.〈以下略〉   (同)

 

 「教育課程」の範囲外の事項、すなわち本来なら学習指導要領の守備範囲外の事項について言及する越権行為に及んだのである。しかし、「特別活動との関連を十分考慮」とは、具体的にどういうことなのか、要領を得ない。

 学習指導要領本文では曖昧に匂わす程度だが、「指導資料」においては遠慮なく説教を垂れる12

 

部活動のもつ教育的な意義については、ほとんどすべての教師が認めている。このことは、かなりの学校で部活動の全員参加を原則としていることからもうかがえる。〔……〕部活動が課外の活動であるため、活動の時間、施設設備、教師の勤務の態様などとの関係で、活発な活動を行うためには不利な条件下に置かれている。このため、一部の教師に、その意義は認めていても、部活動を積極的に盛り上げようとする意欲を示さない向きがあるのも事実である。したがって、今日、最も必要なことは、部活動のもつ教育的な意義について単に認識する程度にとどめず、その意義を十分に生かすことができるように、学校の基本方針を明確にして教師間の共通理解の下に部活動の充実に取り組むことが大切である。〔……〕中には形式的な顧問として、指導が行き届かず、正常な学校の教育活動としての範囲を逸脱しているような実態も一部に見られる。部活動が学校の教育活動の一環として行われる以上、学校が責任をもって運営や指導に当たり、その教育的な意義を十分に発揮できるようにする必要がある。〔……〕学校が運営し指導すると言うことは、学校が部活動のすべてに関して責任を負うということである。したがって、各部の活動の実態を常に把握し、適切に指導していなければならない。

 

 「教育課程」外の事項である部活動について口を出し、何の根拠もなくそれが「学校教育の一環」であると言い放つ。生徒は全員参加なのに、怪しからぬことに「一部の教師」は部活動指導に「意欲を示さない向きがある」と御大層に非難する。論旨は支離滅裂だが、主張は断定的である。

 

 1989(平成1)年版学習指導要領における取り繕い

 1970(昭和45)年版学習指導要領によって生じた「クラブ活動」と部活動との二重身という奇怪な状況は20年近くそのまま放置されたのち、1989(平成1)年版学習指導要領で弥縫策が講じられた。

 

ホームルーム活動及びクラブ活動の授業時数については、原則として、合わせて週当たリ2単位時間以上を配当するものとし、ホームルーム活動については、少なくとも過当たり1単位時間以上を配当するものとする。なお、クラブ活動については、学校において計画的に授業時数を配当するものとし、その実施に当たっては、部活動との関連を考慮することができる。

第1章 総則 第4款 各教科・科目及び特別活動の授業時数等 6

 

内容のC〔クラブ活動〕については、学校や生徒の実態に応じて実施の形態や方法などを適切に工夫すること。なお、部活動に参加する生徒については、当該部活動への参加によりクラブ活動を履修した場合と同様の成果があると認められるときは、部活動への参加をもってクラブ活動の一部又は全部の履修に替えることができること。

第3章 特別活動 第3 指導計画の作成と内容の取扱い 2(3) )

 

 文部省初等中等教育局が、学習指導要領において「クラブ活動」を全生徒参加の必修事項と定めた時点で、日本中のほとんどの学校で従来の「クラブ」(=部活動)とは全く別に「必修クラブ」をつくって毎週1時間実施することになるというおかしなことになったのに、文部省はその二重化を解消するのではなく、元の「クラブ活動」である「部活動」への参加を以って教育課程上の「クラブ活動」を履修したと見做すことにしたのである。

 「部活動との関連を考慮する」とは、どういうことかというと、要するに部活動をしていれば「必修クラブ」の単位を履修したことにするということである。しかし、「同様の成果」の意味はよくわからないし、どのように「認める」のかわからない。また、「クラブ活動」については、「計画的に授業時数を配当する」と、週1時間でないこともありうるかのような微妙な言い方をしている。

 部活動に参加する生徒については「必修クラブ」は条件付きで免除されるとしても、不参加の生徒についてはそうはいかないから、結局のところ学校においては週あたり1単位時間分の「必修クラブ」は実施せざるをえない。

 

特別活動の指導を担当する教師については、内容のA〔ホームルーム活動〕は、主としてホームルームごとにホームルーム担任の教師が指導することを原則とし、活動の内容によっては他の教師などの協力を得ることとする。内容のB〔生徒会活動〕、C〔クラブ活動〕及びD〔学校行事〕は、学校の指導体制を確立し、全数師の協力により適切に指導するものとする。

第3章 特別活動 第3 指導計画の作成と内容の取扱い 4

 

 教員の負担はもとのままということである。

 

 「部活動は必修クラブを通じて教育課程と結びついていた」という分析

 教育課程の範囲外の事柄である部活動は、当然、「教育課程の大綱的基準」を示す大臣告示である学習指導要領の守備範囲外のものである。この基本を忘れると、学習指導要領の本筋から脱線して繰り広げられる放言を、あたかも意味と根拠があるものとして受け容れてしまうことになる。学習指導要領の他事記載の文言に拘泥し、それを真に受け、「学習指導要領において部活動が位置付けられた」とするおかしな解釈が一般化することになった。

 当今、部活動の問題性を指摘する見解を述べる論者のなかにも、この誤謬が浸透している。

 

1970年代からの部活動の大衆化が進むなかで、1989年の学習指導要領改訂にともなう「部活動代替措置」は、教育課程外であるはずの部活動の性格を、あたかも教育課程内のものであるかのようにした。13

 

 「あたかも教育課程内のものであるかのようにした」とは、いささか問題のある表現である。文部科学大臣告示である学習指導要領においては、「あたかも……であるかのよう」などということはあり得ない。学習指導要領の記述が、法律や政令の規定に反し、あるいは他の行政文書の趣旨と矛盾し、さらには学習指導要領それ自体の趣旨から逸脱している場合まで、それが学習指導要領の規定だと解釈するのは、失当である。学習指導要領において部活動に言及すること自体が不適切であると指摘すべきところ、視点の定まらない曖昧な見解を提出することは、妥当性を欠く記述を鵜呑みにし軽信する風潮を助長する。

 実際に、師の内田良教授の見解を継承した大学院生が、「部活動は教育課程外の活動ながらも、必修クラブを通じて教育課程に結び付けられていた」と述べ、師の「あたかも……であるかのように」から「結び付けられていた」へと半歩前進してしまった14

 

 1999(平成11)年版学習指導要領における「クラブ活動」削除

 部活動と「クラブ活動」の二重身という支離滅裂な状況が突如変化する。1999(平成11)年版学習指導要領が、教育課程から「クラブ活動」を削除した。まさに晴天の霹靂へきれきである。

 学校週5日制完全実施による隔週土曜日の3ないし4授業時数減や、105ないし210単位時間を割り振る「総合的な学習の時間」新設による授業時間数の逼迫への対策が根本動機のようである。学校週5日制完全実施をめぐっては、「週休まとめどり」措置の消滅に対処して、長期休業日中の「勤務場所を離れておこなう研修」(教育公務員特例法第20条〔現在は第22条〕)を抑制するなど、文教行政当局は愚策を濫発した15

 「クラブ活動」は、1960(昭和35)年版学習指導要領までは、授業時間は割り当てられないものの「教育課程」のなかに組み入れられていて、さらに1970(昭和45)年版学習指導要領で、全生徒が参加し1単位時間が割り振られる「必修クラブ」が創設された。その趣旨は、既存の「クラブ活動」(=部活動)の全員参加(=必修化)なのだから、実態としての「必修クラブ」と「部活動」の不一致はあってはならないことだった。学習指導要領に従い一致させよと言いたいところであるが、いまさらそんなことをいうわけにもいかず、何食わぬ顔で「必修クラブ」と「部活動」が別体であることを認めたうえで、「関連を考慮」せよなどと意味不明の説示で糊塗してきた。

 しかし、授業時間数の逼迫という外的事情によって、学習指導要領が規定する「教育課程」から「クラブ活動」が脱落してしまい、「必修クラブ」との「関連」という抜け道で「あたかも教育課程内であるかのような」(内田良)、あるいは「教育課程に結び付けられていた」(加藤一晃)体裁をとっていた「部活動」は、「教育課程」における空疎な位置付けも失った。

 この「クラブ活動」削除は、2009(平成21)年版学習指導要領2018(平成30)年版学習指導要領においてもそのまま踏襲された16

 以上のとおり、部活動は学習指導要領において規定されていた時期があり、その時点では部活動指導業務は教員の職務であった。しかし、現在は、部活動は学習指導要領において規定されていないから、その点では教員の職務であるとは言えない。

 

 

 

2 根拠のない「学校教育の一環」論

 「教育課程に位置付けられていない」

 次に、「部活動は学校教育の一環である。」という誤解について検討する。

 この第2の誤解の原因は単純である。すなわち、文部科学省初等中等教育局が学習指導要領で「部活動は学校教育の一環である」と主張している、ただそれだけのことである。自余の言説はすべてそこから派生し、ほかに理由・根拠はない。

 まず前提条件として、部活動は、「教育課程には位置付けられてはいない」と、誤解の余地なくはっきり言っている。

 

学校教育には,教育課程には位置付けられていないが,教育的意義が大きく特別活動と関連が深い,ショートホームルーム(朝の会や帰りの会など),日常に行われている清掃や日直などの当番の活動,さらに,放課後等に生徒の自主的,実践的な活動として行われる部活動などがあるが,これらとの関連などについても,特別活動の全体計画に示しておくことも大切である。

文部科学省『高等学校学習指導要領解説 特別活動編』2009〔平成21〕年、69頁)

 

 前節で確認したとおり、学習指導要領は教育課程について規定する文書である。すなわち学習指導要領は教育課程外の事項について規定する文書ではない(大前提)。部活動は教育課程に位置付けられていない(小前提)。ゆえに、学習指導要領は、部活動について規定することはない(帰結)。

 単純な三段論法であり、話はそれで終わるはずである。ところが、文部科学省初等中等教育局は、「教育課程には位置付けられてはいない」ものについて、「教育課程との関連が図られるよう留意」せよという。

 

教育課程の実施等に当たって配慮すべき事項

 以上のほか,次の事項について配慮するものとする。

(13) 生徒の自主的,自発的な参加により行われる部活動については,スポーツや文化及び科学等に親しませ,学習意欲の向上や責任感,連帯感の涵(かん)養等に資するものであり,学校教育の一環として,教育課程との関連が図られるよう留意すること。その際,地域や学校の実態に応じ,地域の人々の協力,社会教育施設や社会教育関係団体等の各種団体との連携などの運営上の工夫を行うようにすること。(2009〔平成21〕年版高等学校学習指導要領 第1章 総則 第5款 教育課程の編成・実施に当たって配慮すべき事項 5

 

 「学校教育の一環として,教育課程との関連が図られる」とは意味を取り難いのだが、もし( if )「教育課程との関連が図られ」るならば、その場合には ( then ) 部活動は学校教育の一環となるが、そうでなく( else )関連を「図る」ことをしなければ、学校教育の一環とはならない、ということのようである。あるいは、学校教育の一環なのだから、教育課程との関連を図れ、ということかも知れない。何を言っているのかよくわからない文である。いずれにしても、「位置付けられていない」ものについて、「関連」を図るという、ずいぶん難しいことを言っている。

 

なお,毎日の授業の前後に「朝の会」や「帰りの会」あるいは「ショートホームルーム」等の名称をもって,ホームルームごとに時間が設定される場合が少なくなく,また,その教育的効果も高いと考えられるが,これらの時間における活動は,ホームルーム活動と密接な関連をもちながらも,ホームルーム活動そのもののねらいの達成を目指すものではないので,学習指導要領で定めるホームルーム活動の時間とは区別されるものである。 

文部科学省『高等学校学習指導要領解説 総則編』2009〔平成21〕年、47-48頁)

 

 ショートホームルームや日直は、「特別活動」中の「ホームルーム活動」の一部というべきものである。「ホームルーム活動そのもののねらいの達成を目指すものではない」けれども「密接な関連」をもつなどと、回りくどい言辞を弄するのは異様である。そもそも、ショートホームルーム・日直と、部活動とは、その業務量からしておよそくらべものにならないのであり、一緒くたにして「教育課程との関連」を議論するのはおかしな話である。

 「必修クラブ」廃止により宙に浮いてしまった「部活動」を、「特別活動と関連が深い」として「学校教育の一環」にするために捻り出した屁理屈であり、根拠も意味もない。

 

 「クラブ活動との関連」の次は「教育課程との関連」

 「教育課程に関連する」という論法を繰り出すに至った事情説明を聞いてみる。2009(平成21)年版学習指導要領についての「解説」の記述である。

 

 高等学校教育において大きな役割を果たしている「部活動」については,前回〔1999(平成11)年〕の改訂により,高等学校学習指導要領の中でクラブ活動との関連で言及がなされていた記述がなくなっていた。これについて,平成20年1月の中央教育審議会の答申においては,「生徒の自発的・自主的な活動として行われている部活動について,学校教育活動の一環としてこれまで高等学校教育において果たしてきた意義や役割を踏まえ,教育課程に関連する事項として,学習指導要領に記述することが必要である。」との指摘がなされたところである。 

 本項は,この指摘を踏まえ,生徒の自主的,自発的な参加により行われる部活動について,

① スポーツや文化及び科学等に親しませ,学習意欲の向上や責任感,連帯感の涵養,互いに協力し合って友情を深めるといった好ましい人間関係の形成等に資するものであるとの意義,

② 部活動は,教育課程において学習したことなども踏まえ,自らの適性や興味・関心等をより深く追求していく機会であることから,第2章以下に示す各教科等の目標及び内容との関係にも配慮しつつ,生徒自身が教育課程において学習する内容について改めてその大切さを認識するよう促すなど,学校教育の一環として,教育課程との関連が図られるようにするとの留意点, 

③ 地域や学校の実態に応じ,スポーツや文化及び科学等にわたる指導者など地域の人々の協力, 体育館や公民館などの社会教育施設や地域のスポーツクラブといった社会教育関係団体等の各種団体との連携などの運営上の工夫を行うとの配慮事項,

をそれぞれ規定したものである。

 各学校が部活動を実施するに当たっては,本項を踏まえ,生徒が参加しやすいように実施形態などを工夫するとともに,休養日や活動時間を適切に設定するなど生徒のバランスのとれた生活や成長に配慮することが必要である。

(文部科学省『高等学校学習指導要領解説 総則編』2009〔平成21〕年、78-79頁)

 

 「クラブ活動との関連」があるから学習指導要領に位置付けられていると強弁していたものの、その「クラブ活動」(「必修クラブ」)を学習指導要領から削除してしまったので、今度は「教育課程に関連」があることにするというのである。

 そのうえで、「学校教育活動の一環」たるにふさわしい内容があるなどと、無理してあれこれの口実を挙げる。部活動についての「生徒の自主的,自発的な参加により行われる」「スポーツや文化,科学等に親しませ,学習意欲の向上や責任感,連帯感の涵養」等の言説は、事実にかんする判断のような体裁をとっているが、うまくいった場合にはそのような傾向があるという程度のことである。他方では真逆の実態があってしばしば問題になっていることから眼を背けたうえでの美辞麗句である。

 ①のような面があったとしても、それが教育課程との関連を図るべき理由・根拠にはならない。②は、論点先取的に、あれこれの願望を列挙するだけであり、「学校教育の一環」とする根拠とは言えない。③のいうように、「社会教育機関」や「地域」の団体が「学校教育」としての部活動の運営に携わるとなると、もはや「学校教育の一環」ではなく、「社会教育の一環」というほかない。

 曖昧・無内容な「関連」で教育課程に内部化しようとする非論理的な論法を繰り出し、学習指導要領の趣旨を超えて部活動について具体的に指示めいた言及をおこなっているのだが、うまくいかないどころか、かえって「学校教育」から「社会教育」への移行の方向を示す支離滅裂ぶりである。

 「保健体育編 体育編」の「解説」にも長い記述がある17

 さらに、現行学習指導要領の「解説」は次のように言う。

 

 高校生の時期は,生徒自身の興味・関心に応じて,教育課程外の学校教育活動や地域の教育活動など,生徒による自主的・自発的な活動が多様化していく段階にある。少子化や核家族化が進む中にあって,高校生が学校外の様々な活動に参加することは,ともすれば学校生活にとどまりがちな生徒の生活の場を地域社会に広げ,幅広い視野に立って自らのキャリア形成を考える機会となることも期待される。このような教育課程外の様々な教育活動を教育課程と関連付けることは,生徒が多様な学びや経験をする場や自らの興味・関心を深く追究する機会などの充実につながる。

 特に,学校教育の一環として行われる部活動は,異年齢との交流の中で,生徒同士や教師と生徒等の人間関係の構築を図ったり,生徒自身が活動を通して自己肯定感を高めたりするなど,その教育的意義が高いことも指摘されている。

 そうした教育的意義が部活動の充実の中のみで図られるのではなく,例えば,運動部の活動において保健体育科の指導との関連を図り,競技を「すること」のみならず,「みる,支える,知る」といった視点からスポーツに関する科学的知見やスポーツとの多様な関わり方及びスポーツがもつ様々な良さを実感しながら,自己の適性等に応じて,生涯にわたるスポーツとの豊かな関わり方を学ぶなど,教育課程外で行われる部活動と教育課程内の活動との関連を図る中で,その教育効果が発揮されることが重要である。〔中略〕

 各学校が部活動を実施するに当たっては,本項や,中央教育審議会での学校における働き方改革に関する議論及び「運動部活動の在り方に関する総合的なガイドライン」(平成30年3月スポーツ庁)も参考に,生徒が参加しやすいよう実施形態などを工夫するとともに,生徒の生活全体を見渡して休養日や活動時間を適切に設定するなど生徒のバランスのとれた生活や成長に配慮することが必要である。その際,生徒の心身の健康管理,事故防止及び体罰・ハラスメントの防止に留意すること。(文部科学省『高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説 総則編』2018〔平成30〕年、172-173頁)

 

 長々と引用したが、部活動についてあちこちから寄せ集めた希望願望を漫然と並べている。こんなことを言い出したら、芸能・娯楽・趣味など世の中のあれこれの体験の多くが、「生活の場を地域社会に広げ」、「人間関係の構築」や「自己肯定感を高め」るなど「教育的意義が高い」ものであり、保健体育科に限らずあらゆる教科科目との「関連」があるのだから、それらすべてを「学校教育の一環」として取り込まなければならないことになる。

 文部科学省『中学校学習指導要領(平成29年告示)解説 総則編』(2017〔平成29〕年、126-127頁)に、冒頭の「高校生の時期は」を「中学生の時期は」と替えるほかは、一字一句違わない全く同じ文章がある。中学生と高校生という各々の発達段階の特質を述べる体裁をとっていながら、高校版は前年に発行した中学校版をコピー・アンド・ペーストしたのである。

 

 部活動の現状に批判的であっても「学校教育の一環」であることは疑わない

 守備範囲外のことに口出しして根拠もなく説示しているに過ぎないのに、学習指導要領によって部活動が「学校教育の一環」であることが確定している、と受け取るのが一般的風潮のようである。近年の部活動をめぐるあらゆる論調が、学習指導要領の「部活動は学校教育の一環」という文言を鵜呑みにし、法令上の根拠のない背理を信じてしまっている。

 部活動の現状、とりわけ指導に従事する学校教員の違法な労働実態を問題視する論者ですら、「部活動は学校教育の一環」というお題目を受け容れてしまう。内田良は、学習指導要領によって「部活動の『実質的公務化宣言』」がされていると言う18。次は、妹尾せのお昌俊の「Yahoo ニュース」の記事「何のための部活動なのか?」の記述である19

 

 学習指導要領を金科玉条にせよ、とは思わないが、学校教育の一環として部活動をやっている以上、依拠していかなくてはならない。部活動は、中学校、高校の指導要領には、実は1カ所しか出てこない。

 「生徒の自主的,自発的な参加により行われる部活動については,スポーツや文化,科学等に親しませ,学習意欲の向上や責任感,連帯感の涵養等,学校教育が目指す資質・能力の育成に資するもの」

 こう書いている。つまり、学習指導要領では、生徒の自主性を尊重すること、スポーツ・文化等に親しませることなどを重視した記述である。当たり前だが、「教育の論理」 に立っているので、「大会等で顕著な成績をおさめることを目指す」などとは書いていない。

 

 「学校教育の一環として部活動をやっている」ことの〝根拠〟は学習指導要領における言及以外にはないのに、「学校教育の一環として部活動をやっている」のだから学習指導要領に〝依拠〟しなければならないという循環論法になっている。

 

 指導要録における部活動の取り扱い

 教育課程外の部活動を「学校教育の一環」と誤認するのは、外部の人たちの言説にとどまらない。指導要録上の過大な取り扱いによって、「学校教育」において社会的に最も重視される局面すなわち、中学校、高等学校、大学にまたがる入学者選考場面に重大な影響を生じている。

 1960(昭和35)年版学習指導要領までは、「クラブ活動」(=部活動)は特別教育活動として教育課程内のものだったから、指導要録の「特別活動」欄に、所属する「クラブ」名と表彰等の成果が記入され、上級学校入学試験の際の内申書や就職試験の際の履歴書等に転記され、受験先学校・企業等に提出された。1970(昭和45)年版学習指導要領で「必修クラブ」が導入されると、先に見たとおり「クラブ」と部活動が分離してしまい、部活動は指導要録上の定位置から外れた。学校とは無関係の個人的な事柄であればそれで終わるのだが、「学校教育の一環」視するのが通例であったから、「その他」欄への記入という形で指導要録上のポジションをかろうじて維持した。現在では、「その他」から格上げされ、「総合所見及び指導上参考となる諸事項 」に部活動について記入するよう指示されている20

 

総合所見及び指導上参考となる諸事項
 高等学校等における総合所見及び指導上参考となる諸事項については,生徒の成長の状況を総合的にとらえるため,以下の事項等を文章で箇条書き等により端的に記述すること。特に【7】のうち,生徒の特徴・特技や学校外の活動等については,今後の学習指導等を進めていく上で必要な情報に精選して記述する。〈【1】から【6】略〉

【7】生徒の特徴・特技,部活動,学校内外におけるボランティア活動など社会奉仕体験活動,表彰を受けた行為や活動,学力について標準化された検査に関する記録など指導上参考となる諸事項〈以下略〉

 

 上級学校入学試験、とくに「推薦制」「AO入試」の際の内申書や就職試験の際の履歴書等に、部活動の経歴が、とりわけ各種大会で「表彰」を受けていればその順位等が、明記されることになる。「必要な情報に精選」とあるが、全国大会等での成果は必ず記される。「推薦制」「AO入試」を気にして、部活動に過剰なこだわりを見せるのは、試験目当てに「ボランティア」活動の実績づくりをおこなう風潮とも通底する。

 中学校の指導要録についての指示事項は、「検査に関する記録など」が「検査の結果等」となっている以外は、同文である。高校入学にあたって、指導要録・内申書に正式データとして記載されているので、部活動の実績を主眼とし、該当者を優遇する選抜手続が堂々と実行できる。その結果、本稿「はじめに」で引用したような「高等学校の中でスポーツに特色を有する学校が存在する」ことになる。「部活動推薦」で入学することで、一般入試で入学した生徒との顕著な学力差があるとか、入学後に当該部活動に3年間所属することが事実上義務付けられることによるトラブルなど、さまざま問題を生ずるのは避けられない。

 

 

 

3 教員の職務と部活動指導

 かつて部活動は学習指導要領により、教育課程中の「クラブ活動」として規定されていた。その時点では部活動は「学校教育の一環」であった。しかし、その「クラブ活動」が教育課程から削除されたことで、もはや部活動は「学校教育の一環」ではなくなった。というのが前節の結論である。

 それでは、教員は、学校の教育課程には含まれず、学校教育の一環ではない部活動指導業務に従事する義務はあるのか? すなわち、部活動指導は教員の職務であるのか? これが本節の課題である。

 まず、学校教育法における教員の「職務」にかんする規定を確認する。

 

 学校教育法が規定する教諭の「職務」

 高等学校の教諭の「職務」は、学校教育法によって規定されている。学校教育法第37条第11項は、小学校の教諭の「職務」について、「教諭は、児童の教育をつかさどる」と規定したうえで、学校教育法第62条が高校の教諭については、この学校教育法第37条第11項を準用するとしている。すなわち、高校の〝教諭は、生徒の教育をつかさどる〟 ということになる。

 高校における「教育」については、前節の冒頭に示したとおり、学校教育法第52条が、「高等学校の学科及び教育課程に関する事項は、前二条の規定及び第六十二条において読み替えて準用する第三十条第二項の規定に従い、文部科学大臣が定める」としたうえで、学校教育法施行規則が、「高等学校の教育課程は、別表第三に定める各教科に属する科目、総合的な探究の時間及び特別活動によつて編成するものとする」(第83条)とし、「高等学校の教育課程については、この章に定めるもののほか、教育課程の基準として文部科学大臣が別に公示する高等学校学習指導要領によるものとする」(第84条)と規定している。「この章に定めるもの」は、例外や特例に関するものである。すなわち、学校教育法第62条が定める高校教諭の「職務」である「生徒の教育」の具体的内容と範囲は、「教育課程」として規定されている。

 なお、学校教育法は、高校の教諭は生徒の「教育をつかさどる」と規定する際に、「職務」の語は用いていない。しかし、学校教育法第37条第15項は「助教諭は、教諭の職務を助ける」としているのであるから、これら第37条第11項や第62条の規定は、教諭の「職務」を定めたものである。

 「学校教育」の内実が「教育課程」なのであるが、部活動は教育課程には包含されず、したがって学校教育の一環ではありえない。「教育課程」に含まれないものは、高等学校の教諭の「職務」ではない。「教育課程」以外にも教諭の「職務」がある、ということはない。法令上の根拠のないものについて、それらが学校教育上必要だとか、社会的に要請されているなどと、あれこれの理由根拠をあげて、教諭がそれら業務に従事する必要があるなどということになれば、どこにも歯止めがなくなり、際限なく「職務」の範囲が拡張することになる。

 部活動指導については学校教育法上の根拠がないから、高等学校教諭を部活動指導に従事させる法的根拠は存在しない。

 

 「校務分掌」としての部活動指導

 学校には教諭の「職務」として、「各教科に属する科目、総合的な探究の時間及び特別活動」(学校教育法施行規則第83条)以外に「校務分掌こうむぶんしょう」というものがあり、その「校務分掌」には部活動の指導業務と運営業務が含まれている、したがって部活動に関する業務は教諭の「職務」である、とする論法があり、学校では一般的に信じられている。「職務」とされるのは、具体的には「生徒会」の一組織としての運動部・文化部の指導業務と、「校務分掌組織」による部活動の運営業務である。「校務分掌」組織として、「教務部」・「生徒指導部」・「進路指導部」・「保健厚生部」・「図書部」などのほか、「特別活動部」・「渉外部」があって、担当教員に関連業務が割り当てられている。

 1960(昭和35)年版までの学習指導要領のもとでは、「生徒会」の一組織としての運動部・文化部が置かれ(それ以外の類型もあった)、その管理運営とりわけそれぞれの部活動における指導業務が教員の「職務」とされた。多くの高校の「生徒会」でほぼ同様の組織形態をさだめる規約となっていることからみて、文部省もしくは大きな影響力をもつ何らかの団体が雛形を示したものが、全国的に模倣踏襲されたのだろう。また、1970年代に高等学校の新増設が相次いだが、その際には新設校の準備を担当した教員が、もといた学校の生徒会規約を模倣して生徒会規約を「制定」した。「生徒会」設立時に、会員である生徒により規約制定手続きがとられることはなかっただろう。運動部・文化部などの部活動組織が「生徒会」組織に内包されることには必然性はない。大学の運動部・文化部さらに同好会サークルなどは、「学生自治会」の下部・内部組織ではない。高校の運動部・文化部が「生徒会」組織に内包されるのは、「クラブ活動」=部活動が「特別活動」(名称は変遷する)の一部として、その指導業務が教員の「職務」となることの根拠となるように考慮のうえ設計されたのだろう。

 部活動費用を非加入者の生徒とその保護者にも負担させる仕組みも作られた。全生徒が納入する生徒会費の過半は「部活動」の費用として運動部と文化部の各部に配分される。形の上では生徒会役員が作成した予算決算案が生徒総会で議決されるのであるが、実際に生徒が配分額を決定するのはきわめて稀であり、特別活動部の教員が配分額を決定するのが通例である。実際上は既得権益の争奪戦が展開され、「運動部」優位に配分される。生徒会規約上の「部」のほかに「同好会」があって配分の対象外となっている。部活動非加入生徒は、3年間にわたって一部の「運動部」に活動資金を貢納しつづけることになる。

 「渉外部」は、PTAに関する業務を処理する。PTAは法令にもとづく公的機関ではない。団体の趣旨目的は保護者(parents)と教員(teachers)の私的な〝親睦組織〟であるが、事実上は保護者だけの交流組織である。意に沿わない役員就任の強要などが近年問題化しているが、形骸化あるいは一部保護者のサークル化し、時に一部保護者による学校や教員への不当介入の拠点・窓口になるなど、その活動のあり方全体の問題がある。

 校務分掌組織としての「渉外部」はその名称のとおり、外部のお客様を接遇する部署としてPTAのあらゆる雑務を割り振られる小間使いである。校務分掌組織のひとつとされることもある「事務部」に属する行政職の職員は、PTA会費の出納業務を割り当てられる。本来は地方自治体が全額負担すべき施設設備の維持管理費としてPTA会費から相当額が支出される(地方自治法違反)。その「寄付」には部活動の費用として、消耗品購入や対外試合のための旅費などが含まれる。それら費用は、いかなる意味でも親睦組織としてのPTAの運営費ではありえないので、別個に名目だけの「〇〇高校後援会」を設置し、保護者全員から会費を徴収してそれらの費用にあてるのが通例である。PTA会費は学校の教職員も負担するが、「後援会」は保護者の団体であり、保護者だけがかなりの額の会費を負担する。

 以上のとおり、部活動は、生徒会から器具やユニホーム代金、PTAと「後援会」から旅費・宿泊費が賄われる。それらは部活動の費用の一部であるが、追加的に調達され支出されるので意識されるにすぎない。学校の施設・設備の設置・運営費用や指導者(教員)の人件費など、部活動の費用の本体部分は膨大な額にのぼるのであるが、まったく目に見えない。

 

 「校務」と「校務分掌」の背理

 「校務分掌」という概念には、法律上の根拠はない。学校教育法には「校務」の語はあるが、「校務分掌」という語は存在しない。「校務分掌」は法律上の定義どころか一応の内容さえ示されていない。学校職場の中でだけ大手を振って通用する符牒・隠語であり、内実は曖昧かつ融通無碍、そして自己矛盾的用語である。業界外の人は聞いたことがないだろうから、ほとんどの国語辞書には載っていない。とはいえ、ざっと90万人以上の関係者がいる業界であるためか、『広辞苑』には収録されている。

 

こうむカウ【校務】学校の事務。教職員の行うべき事務。・ぶんしょう【校務分掌】学校の種々の仕事を、教職員が分担し処理すること。

 

 『広辞苑』にしてこの程度の曖昧で杜撰な説明である。【校務】の説明中の「事務」は、法律や行政文書での意味と、一般社会での受け取り方はずいぶん違うし、【校務分掌】ではそれが「仕事」となっていてちぐはぐである。とはいえ新村出の責任というわけでもなく、業界内での「校務」や「校務分掌」のデタラメな使われ方を反映したというところだろう。

 学校教育法第37条第4項は、小学校の校長の「職務」について、「校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督する」と規定する。学校教育法第62条は、高校の校長の職務については、この学校教育法第37条第4項を準用するとしている。すなわち、高校の校長の「職務」は、「校務をつかさどり、所属職員を監督する」ことである。

 校長がつかさどる「校務」とは、「学校のはたすべき仕事の全体」とするのが文部省・文部科学省の解釈のようである。しかし、これは端的な背理であり、およそ成り立たない珍妙きわまる解釈である。

 学校教育法第37条は、「校務」・「監督」・「教育」・「養護」・「栄養の指導及び管理」・「事務」などを、別々の職員が遂行する別々の職務として規定している。すなわち、校長の職務が「校務」と「監督」、教諭の職務が「教育」、養護教諭の職務が「養護」、栄養教諭の職務が「栄養の指導及び管理」、事務職員の職務が「事務」ということである。ところが、文部省・文部科学省の解釈だと、「校務」に、「教育」・「養護」・「栄養の指導及び管理」・「事務」などの業務がひとつ残らず含まれるということにする。それら学校の仕事のすべては、校長ひとりが果たすべきことになる。

 もっとも、近年学校にもさまざまの職員を置くようになり、副校長は「校長を助け、命を受けて校務をつかさどる」(第37条第5項)、教頭は「校長を助け、校務を整理し」(同第7項)、主幹教諭は「校長及び教頭を助け、命を受けて校務の一部を整理し」(第9項)などと規定したから、それらの職員をおく場合にはまさか校長がひとりで全部をこなさなければならないのではないにしても、それでも「学校のはたすべき仕事の全体」としての「校務」のすべてをそれら数人の職員だけで、いちいち「命をうけ」たり受けなかったりして、「一部」や全部を「整理」したりしなかったりしながら遂行しなければならないことになる。

 「校務」が「学校のはたすべき仕事の全体」だとすると、当然そこには児童生徒の「教育」・「養護」・「栄養の指導及び管理」・「事務」などがすべて含まれることになる。「仕事の全体」とは、仕事の種別を全て含むだけでなく、各々の仕事を他と分担することなく、すべて担当するという意味である。そうなると、「職務」を担うものとされる教諭・養護教諭・栄養教諭・事務職員などは、全員不要ということになる。

 あるいは、「学校のはたすべき仕事の全体」を内容別に分割して教諭・養護教諭・栄養教諭・事務職員らに分担して遂行させるのが「校務分掌」である、というのかもしれない。しかし、そうするとそれら教諭・養護教諭・栄養教諭・事務職員らは、校長の職務を委託されて執行する者ということになる。校長は建設業でいうと元請もとうけの企業(ゼネコン)のようなもの、教諭・養護教諭・栄養教諭・事務職員らは下請けの企業のようなものということになるが、第37条や第62条の趣旨とはあきらかに異質である。かりにそのようなことが可能だったとしても、「学校のはたすべき仕事の全体」から「教育」・「養護」・「栄養の指導及び管理」・「事務」などを控除したあとに残るはずの「校務」とは何なのか説明がつかない。分担=「分掌」させたあとに何も残らないとすると、校長には何も「職務」が残らないことになるか、せいぜい「校務」を各職員に「分掌」させることが「校務」であるという、空疎な循環論法に陥ることになる。

 校長には、「所属職員を監督する」というふたつめの「職務」が規定されている。「監督」という「職務」は、「校務」に含まれるのか否かが問題となる。行政解釈だと「校務」は「学校のはたすべき仕事の全体」なのだから、「校務」は当然「監督」を含むことになる。「校務」が全部を含むのであれば、「校長は、校務をつかさどる」だけでよかったはずであり、、ひとつの条文の中に「監督」を含む「校務」と「監督」を並べてあることの説明がつかない。

 校長の職務としての「校務」とは、教諭の職務としての「教育」、養護教諭の職務としての「養護」、栄養教諭の職務としての「栄養の指導及び管理」、事務職員の職務としての「事務」などとは別個の、校長独自の職務であると解釈するほかない。校長の職務としての「校務」とは、「学校全体としてなすべき仕事」あるいは「全校的学校業務」、たとえば学校としておこなう諸業務をとりまとめること、そしてそれらを対外的に代表し表示することなどであると解釈するほかない21。そして、「所属職員を監督する」とは具体的には、勤務状況の把握・管理、たとえば出退勤状況・休暇取得を把握し管理すること、必要があれば時間外勤務を命ずること、労働安全衛生法にもとづく措置をとること、などである。

 なお、学校教育法施行規則(昭和22年文部省令第11号)に1か所、「校務分掌」の語がある。すなわち、「小学校においては、調和のとれた学校運営が行われるためにふさわしい校務分掌の仕組みを整えるものとする。」(第43条)とあり、これが高等学校に準用される(第104条)。学校教育法(法律)にも学校教育法施行令(政令)にも一切規定されていない「校務分掌」を唐突に持ち出すのだが、定義もなく意味は不明瞭で、部活動指導業務についての言及はない。当然ながら高等学校教諭に部活動指導を義務付ける法的根拠にはならない。

 

 職務専念義務違反の原因

 以上のとおりであるから、「校務分掌」概念を抜け道にして部活動指導業務を教諭の「職務」に組み込む手法は成り立たない。「校務分掌」だとして部活動指導業務を教諭に命令することには法令上の根拠はない。

 それどころか、法令上の根拠のない業務である部活動指導業務をさせることで、時間外勤務を余儀なくさせれば給特法違反である。そして、「はじめに」で指摘したように、部活動指導業務によって授業の準備などの研修の妨げとなることになれば、部活動指導業務それ自体が地方公務員法にいう「職務に専念する義務」違反の原因となりかねない。

 

(職務に専念する義務)

第三十五条 職員は、法律又は条例に特別の定がある場合を除く外、その勤務時間及び職務上の注意力のすべてをその職責遂行のために用い、当該地方公共団体がなすべき責を有する職務にのみ従事しなければならない。

 

 

 

4 部活動指導と給特法

ここで、当然ながら次の疑問が生ずる。

 

疑問 〈学習指導要領において、部活動は教育課程に含まれる、と改めて規定されることになれば、部活動指導業務は教員の「職務」となるのか?〉

 

 1989(平成1)年版学習指導要領までの「必修クラブ」手法でも、あるいは1960(昭和35)年版学習指導要領までの「クラブ活動」と部活動との分離以前の「特別〔教育〕活動」手法でもよいが、その段階に戻すことで部活動指導業務がふたたび教員の職務となる可能性はあるのか? 本節は、労働時間という観点から、部活動指導業務が教員の職務となるのかについて検討する。

 まず、労働時間に関する法制度を概観する。

 

 「正規の勤務時間を超えて勤務させる」ことを限定する給特法

 「給特法きゅうとくほう」、すなわち、公立の義務教育諸学校等の教育職員の与等に関する別措置(昭和46年法律第77号)の規定上、公立学校教員に部活動指導業務を命ずることができるか否か、について検討する。給特法は2019(平成31)年に改正され、学校における労働条件に与える影響が変化したが(おおむね労働条件を悪化させる要因の増大)、まず1971(昭和46)年の施行から改正時点までの給特法の実施状況を見る。

 給特法は全7か条のきわめて短い法律である。そのうち3か条を引用する。

 

(趣旨)

第一条 この法律は、公立の義務教育諸学校等の教育職員の職務と勤務態様の特殊性に基づき、その給与その他の勤務条件について特例を定めるものとする。

(教育職員の教職調整額の支給等)

第三条 教育職員(校長、副校長及び教頭を除く。以下この条において同じ。)には、その者の給料月額の百分の四に相当す額を基準として、条例で定めるところにより、教職調整額を支給しなければならない。

 2  教育職員については、時間外勤務手当及び休日勤務手当は、支給しない

(教育職員の正規の勤務時間を超える勤務等)

第六条 教育職員(管理職手当を受ける者を除く。以下この条において同じ。)を正規の勤務時間(一般職の職員の勤務時間、休暇等に関する法律(平成六年法律第三十三号)第五条から第八条まで、第十一条及び第十二条の規定 に相当する条例の規定による勤務時間をいう。第三項及び次条第一項において同じ。)を超えて勤務させる場合は、政令で定める基準に従い条例で定める場合に限るものとする。 

 2  前項の政令を定める場合においては、教育職員の健康と福祉を害することとならないよう勤務の実情について十分な配慮がされなければならない。

 3  〈略〉

 

 第1条の「教育職員の職務と勤務態様の特殊性」は教員の労働条件の根本的規定要因となっているロジックであり十分に検討する必要があるのだが、今はこの点について触れる余裕がない。給特法が具体的に規定するのは、公立学校の教諭・実習助手・講師等の「教育職員」について、① 正規の勤務時間を超えて勤務させることができるのは政令・条例で定める場合に限る、② 4%の「教職調整額」を支給する、③ 時間外勤務手当・休日勤務手当は支給しない、という3点である。

 第6条第1項の「政令で定める基準」は、次のとおりである(公立の義務教育諸学校等の教育職員を正規の勤務時間をえて務させる場合等の基準を定める政令(平成15年政令第484号)22(以下、超勤政令)。

 

一 教育職員(法第六条第一項に規定する教育職員をいう。次号において同じ。)については、正規の勤務時間(同項に規定する正規の勤務時間をいう。以下同じ。)の割振りを適正に行い、原則として時間外勤務(正規の勤務時間を超えて勤務することをいい、同条第三項各号に掲げる日において正規の勤務時間中に勤務することを含む。次号において同じ。)を命じないものとすること。

二 教育職員に対し時間外勤務を命ずる場合は、次に掲げる業務に従事する場合であって臨時又は緊急のやむを得ない必要があるときに限るものとすること。

 イ 校外実習その他生徒の実習に関する業務

 ロ 修学旅行その他学校の行事に関する業務

 ハ 職員会議(設置者の定めるところにより学校に置かれるものをいう。)に関する業務

 ニ 非常災害の場合、児童又は生徒の指導に関し緊急の措置を必要とする場合その他やむを得ない場合に必要な業務 

 

 第1項の「勤務時間の割振り」はこれも実際上の要注意点なのだが、本稿では触れることはできない。

 この「基準」に従って、茨城県の場合でいうと、「義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置に関する条例(昭和46年12月22日、茨城県条例第55号)」23(以下、給特条例)が制定された。次はその第7条である。

 

(義務教育諸学校等の教育職員の正規の勤務時間を超える勤務等)

第7条 義務教育諸学校等の教育職員については,正規の勤務時間(職員の勤務時間に関する条例(昭和26年茨城県条例第40号)及び市町村立学校県費負担教職員の勤務時間に関する条例(昭和46年茨城県条例第56号)に規定する勤務時間をいう。この項において同じ。)の割振りを適正に行い,原則として時間外勤務(正規の勤務時間を超えて勤務することをいい,休日(給与条例第17条の規定により休日勤務手当が一般の職員に対して支給される日をいう。)において正規の勤務時間中に勤務することを含むものとする。次項において同じ。)は,命じないものとする。

 2  義務教育諸学校等の教育職員に対し時間外勤務を命ずる場合は,次に掲げる業務に従事する場合であって臨時又は緊急のやむを得ない必要があるときに限るものとする。 

 (1) 校外実習その他生徒の実習に関する業務 

 (2) 修学旅行その他学校の行事に関する業務

 (3) 職員会議(設置者の定めるところにより学校に置かれるものをいう。)に関する業務

 (4) 非常災害の場合,児童又は生徒の指導に関し緊急の措置を必要とする場合その他やむを得ない場合に必要な業務

 

 給特法では「正規の勤務時間を超えて勤務させる場合」、超勤政令では「時間外勤務を命ずる場合」、というように文言に差異があったが、給特条例は超勤政令の文言を使っている(ただし、超勤政令第1項では「を命じない」だが、給特条例では「は、命じない」と異なっている)。例によって文科省が条例案の雛形を作って日本中の教育委員会に示したからであるが、紛議の種が撒かれることになった。本稿では法律条文における本来の文言である「正規の勤務時間を超えて勤務させる場合」をもちいる。

 

 部活動指導のために「正規の勤務時間を超えて勤務させる」ことは給特法違反

 公立学校の教員を「正規の勤務時間を超えて勤務させる場合」は、超勤政令ではイ・ロ・ハ・ニ、給特条例では⑴・⑵・⑶・⑷の4つの場合だけ(いわゆる「限定4項目」、「超勤4項目」)、しかもそれならいつでも許されるのではなく、「臨時又は緊急のやむを得ない必要があるとき」に限られる。一般的な高校についていうと3泊4日の修学旅行(ロ=⑵、臨時)は対象となるが、それ以外では長時間の時間外勤務が必要とされることはほぼない。たまにあったとしても、長期間にわたったり度重なったりすることはないから、ごく限られたものにとどまる。日常的な時間外勤務などというものは、「臨時」でも「緊急」でもないのだから、当然ありえない。

 「限定4項目」以外の業務に正規の勤務時間を超えて勤務させるのは給特法・超勤政令・給特条例違反(以下、まとめて給特法違反ということもある)である。イを除く「教科の授業」・「総合的な探求の時間」はもちろん、ロを除く「特別活動」など、教員の「職務」にあたる業務に正規の勤務時間を超えて勤務させるのは給特法違反である。当然ながら、「職務」にあたらない業務に正規の勤務時間を超えて勤務させるのは給特法違反である。24

 本稿の主題である部活動指導業務についてはどうか。1節でみたとおり、現在の学習指導要領のもとでは部活動指導業務は教員の職務ではないから、当然「超勤4項目」には該当しない。かりに教員の職務だったとしても、「超勤4項目」にはそれに該当する項目はない。いずれにせよ、任命権者(教育委員会)・所属長(校長)は、勤務時間外の部活動指導のために、「正規の勤務時間を超えて勤務させる」ことはできない。これが結論である。

 「クラブ活動」を「必修」とする1970(昭和45)年版学習指導要領が実施されたのは、1973(昭和48)年度であるが、給特法・給特条例が施行されたのはそれに先立つ1972(昭和47)年1月1日である。上述のとおり、文部省初等中等教育局はこの時点で、教員は毎週1単位時間の「クラブ活動」(いわゆる「必修クラブ」)の指導業務に従事するほか、それ以外の「クラブ活動」(今日の部活動にあたるが、どのような名称だったかは不詳)についても従来どおり指導業務に従事するものと考えていた。したがって、文部省初等中等教育局は、毎週1単位時間の「クラブ活動」以外の「クラブ活動」=部活動が勤務時間外・勤務日以外におこなわれることがあること、その場合には、教員を正規の勤務時間を超えて勤務させることになり、給特法に違反することになる、と認識していたことになる。

 なお、部活動指導業務が勤務時間内におさまっていて、勤務時間外にはかからないという場合についても考えておく。たとえば、授業後のショートホームルームと清掃終了後、15時40分ごろから1時間あまり部活動指導業務に従事する場合である。これについては、本稿の「はじめに」で述べたとおり、その分の仕事が勤務時間終了後にはみだすことになる。部活動指導業務が時間外勤務の原因になるのであるから、給特法上の問題を生ずるといえる。

 

 

 

5 高野連部活動・高体連部活動・高文連部活動

 部活動指導業務に関する法的義務についての検討はここまでとして、本節は、「学校部活動」のありかたを歪めている非公共的組織体について簡単に触れる。

 現在日本には、高等学校における部活動を法令上の根拠によらずして事実上支配統制している組織がある。学校部活動のうち硬式野球部については「公益財団法人日本高等学校野球連盟」およびその「加盟団体」の「各都道府県高等学校野球連盟」25、硬式野球部を除く「運動部」については「公益財団法人全国高等学校体育連盟」およびその「普通会員」の「各都道府県高等学校体育連盟」26、文化部については「公益社団法人全国高等学校文化連盟」とその「正会員」の「都道府県高等学校文化連盟会長及び高等学校全国専門部会長」27、以上の3団体およびその会員諸団体である(通称は各々「高野連こうやれん」・「高体連こうたいれん」・「高文連こうぶんれん」)。

 これらの団体が、各々の学校の運動部・文化部の活動、および各競技ごとの学校間交流を根本的に統制管理している。それは、強い影響力を及ぼす、などという程度ではない。各々の学校の硬式野球部はすべて、運動部のほとんどすべて、そしていくつかの文化部において、生徒の活動のありかたはもちろん教員による指導のありかたまでを、全体的かつ細部に至るまで統制管理している。

 

 教育行政の介入を拒絶する茨城県高野連

 高野連の組織統制はきわめて堅固であり、競技ルール、行動様式、服装、用具、指導方法などにとどまらず、連盟とは無関係な生徒による試合時の「応援」のあり方まで広範囲におよび、詳細かつ具体的で、どんなささいな違反行為も絶対に許されない。高体連・高文連と比べても、他からの介入を徹底的に排除する自立性は際立っている。それは、春夏の「甲子園大会」という大イベントの主催者であることによるものと考えられる。高体連・高文連が各学校において組織への「加盟費」として全生徒(保護者)から年間300円28ずつ徴収するのに対して、県予選の段階から入場料収入等がある高野連は、そのようなことをする必要がない。そしてこの国民的興行の共同主催者である報道企業各社からの協賛を約束されていることで、いかなる組織からの掣肘せいちゅうも受けることのない孤高の存在となっている。

 最近、独立性に対する自己信念の強さを世間に印象付ける事件が起きた。本稿「はじめに」で触れたように、2022(令和4)年12月、茨城県教育委員会が部活動の活動時間の制限(平日2時間、休日4時間)における「程度」を「上限」に改め、土曜日曜のいずれか1日を含め休養日は2日以上とした。これを、2023(令和5)年3月8日の茨城県議会の一般質問で、自由民主党の議員が「質問」という形で批判した。この県議会での動きにあわせて、特殊法人日本放送協会水戸放送局が一般財団法人茨城県高等学校野球連盟の専務理事を取材して広報した。

 

 NHKの取材に応じた榎戸専務理事は、「野球の場合はある程度、練習時間が必要で、満足に練習ができずに生徒の可能性を引き出せなくなってしまう。〔……〕県は現場の意見を聞いて改革を進めてもらいたい」と話していました。 (日本放送協会、3月8日)

 

 県教育委員会はさっそく3月10日、新方針の運用を「新3年生の最後の大会まで」延期すると発表した。ところが、3月14日に、茨城県高等学校野球連盟が、茨城県教育委員会の方針を公然と批判したのを、翌日各社が一斉に報道した。

 

 茨城県高校野球連盟は、14日会見を開き、県高野連の榎戸努専務理事は、「延期の判断はありがたいことだが、その次の代も部活動は続いていく。これから高校で部活動を頑張りたいという生徒の思いをくむべき」などと述べ高校の部活動に上限を設ける方針に反対する考えを表明しました。        (日本放送協会)

 新方針の改訂〔2012年12月〕前に説明はなかったとし、「現場の声が十分に反映されていない」と批判した。〔……〕「説明が二転三転して現場は非常に混乱している」と訴えた。

(朝日新聞)

 「今のままでは、熱心に部活動をやりたい生徒は他県や私学に流れる。今後、県立高校が大舞台で活躍することは夢になってしまう」と危機感をあらわにした。         (東京新聞)

 特色選抜で入学した生徒や既に進路を決めている中学生への影響も指摘し、「新3年生に限らず、それ以降も現行の運営を認めるべきではないか」と主張した。     (茨城新聞)

 

 「記者会見」と言っているが、たとえば水戸市笠原町の県庁22階の県教育委員会に「要望書」を提出するにあたって県庁4階の記者クラブ室でその旨を発表したというのではなく、水戸市大町おおまちの茨城県建設センタービル内の県高野連の事務所に記者を呼んで、公然と批判を展開したのである。

 「現場の声」を聞かないとして県教育委員会の方針を真っ向から批判する、その心意気はおおいに見習いたいところではあるが、内容は強烈で支離滅裂である。「上限」を「程度」に戻せなどという中途半端ではなく、そもそも硬式野球部の活動時間を制限すべきではないという。それというのも、高校野球は特別で他とは違うからだというのである。わからないのは、全国高野連の普通会員である茨城県高野連が、「熱心に部活動をやりたい生徒」が「他県…に流れる」ことを嫌うのみならず、県立高校だけでなく全国的にも有名な常総学院など私立高校の硬式野球部も加盟しているのに、非礼にも「私立に流れる」ことも良からぬことだと言ってしまうことである。県教育委員会は、県内の私立高校にも同様の対応を求めているのだから辻褄のあわない話であるが、ここからわかるのは、どうやら茨城県高野連に加盟する私立高校の硬式野球部は、県教委方針に従うつもりはないらしいことだ。という次第で、県立高校の校長に対する県教育委員会の指導の無力化を狙って、政治的圧力をかけたのである。

 この事件であきらかになったのは、一般財団法人茨城県高等学校野球連盟は、各々の茨城県立学校はもちろん、その設置者である茨城県の統制管理に服する団体ではないということである。法制度上は茨城県の管理下にあるにもかかわらず、不心得な一役員が抗命してみせたということではない。茨城県高野連は、法制度上いかなる意味においても地方公共団体の管理のもとにはない。一般財団法人ということでは一般社団法人及び一般財団法人に関する法律(平成18年6月2日法律第48号)の規制は受けるが、営利企業であっても会社法(平成17年7月26日法律第86号)の規制を受ける。茨城県高野連はいかなる意味でも公共の団体ではなく、茨城県民による統制をうけることのない独立自存の私的集団であることを、公然と宣言したのである。

 それだけではない。茨城県高野連の考えでは、各校の「硬式野球部」は学校の設置者である茨城県の管理下にあるのではなく、茨城県高野連の支配統制下にあるというのである。だから、茨城県が自分達の支配統制下にある組織と構成員に介入するのは不当だとして、介入行為を断念するよう要求したのである。「新3年生に限らず、それ以降も現行の運営を認めるべき」という言辞は、そう考えないと理解できない。

 茨城県高野連の専務理事は全国高等学校野球連盟の評議員でもあるから29、これは茨城県高野連の特殊事情というのではなく、公益財団法人全国高等学校野球連盟の基本姿勢であると受け取るほかない。

 ついでにいうと、朝日新聞社や日本放送協会をはじめとする各社のたいへん好意的な報道姿勢からわかるのは、これら企業が報道機関としての一面をもちつつも、じつは「高校野球」興行の共同運営者としてそこから経済的利益を得る、きわめて翼賛的な広報機関であるということである。

 

 高野連の健康安全軽視体質

 「学校部活動」の枠に収まることのない、「高野連部活動」としての硬式野球部のありかたは、当事者たる野球部員と指導者の学校教員だけでなく、硬式野球部のある全高等学校の全生徒と全教職員に対して、強大な権限を行使している。

 夏の「甲子園大会」の県予選(全国高等学校野球選手権茨城大会)はトーナメント形式でおこなわれる。他県出身の教員が一様に驚くのであるが、茨城県では7月の第2土曜日以降の第1回戦では、全生徒が参加しての「全校応援」が実施されることが多い。というのも、トーナメントの第1回戦では半数の学校が敗退し、以後は応援の機会がなくなるからである。ある程度勝ち進む見込みのある学校では全校生徒ではなく1学年ごとの輪番だったり、さらには優勝候補とされる高校だと吹奏楽部だけの応援だったりするが、ほとんどの学校は夏期休業日前の平常授業がおこなわれている期間に、全1日の授業をなくし、近くの学校を除き1人当たり2000円以上の貸切バス代を生徒に負担させて球場に参集する。

 茨城県の予選大会は、日立市、常陸大宮市、水戸市(2球場)、ひたちなか市、笠間市、土浦市のあわせて7球場で実施される。ひたちなか市民球場は、海風が吹くと肌寒いくらいなのだが、笠間市民球場では盆地特有の強烈な暑さと頻繁な俄雨のなかで、競技と応援がおこなわれる。主催者(県高野連と朝日新聞社水戸総局)の配慮に欠ける運営により、生徒は危険な状況に置かれる。笠間市民球場での2つの実例を示す。

 2012(平成24)年7月の試合で、突然の豪雨に見舞われ試合は一時中断となり、選手や大会運営者らは屋根の下に退避したが、全校応援の各校の数百人の生徒は屋根のない観客席に放置された。引率教員が管理棟内への退避を要請したが主催者が拒絶したので、やむをえず駐車場に停めてあるはずの18台の観光バス車両に向かったところ、バスはすべて離れた場所に移動させられていて、車内退避できなかった。トーナメントの上位の試合では、入場料を支払う観客が乗ってくる多数の自家用車のためにスペースを空ける必要があるので、学校からの貸切バスを移動させる措置を、一般客のほとんど来ない日にも漫然と無駄におこなっていたのである。

 2014(平成26)年7月の試合では、11時20分開始の第2試合で猛烈な暑さとなって熱中症の生徒が続出した。救急車の出動は延べ9台に及んだが、日光の直射する真南向きの一塁側観客席で応援していた学校がそのほとんどを占めた。茨城県内の球場はネット裏をふくめて屋根がないところが多い。あったとしても、学校の生徒は外野寄りの屋根のない内野席に詰め込まれる。救急搬送された9人のうちひとりはとくに重篤で、搬入先の医師によれば深部体温があと1度上昇していれば生命に危険があった。

 極度の暑さのなかでも応援を続行させるのは通常のことである。たしかに生徒を参加させるのは各学校の判断によるのだから、事故等があれば学校は責任を免れることはできない。しかし、野球部員だけでなく応援する一般生徒も、すべて茨城県高野連の用意した環境下に置かれ、指示に従って行動しなければならない。一般生徒と引率教員が入場料を支払わないのは、「お客さん」ではないからである。試合開始1時間前に、双方の学校の責任者(校長ではない)と生徒の応援団長を球場建物の入り口に並ばせて、高野連役員が訓示を垂れるなど、指示は応援作法にまで及ぶ。県高野連と朝日新聞水戸総局は、極度の暑さの中で試合をおこなうことが、野球部の生徒にとって安全といえるかどうかについては検討していない。当然ながら、一般生徒については、暑さについても豪雨についても、何の配慮もしない。

 かつては気温だけ、しかも気象庁が観測点の日陰で測定する数値で暑さの危険性を判断していたが、太陽光が直射するなかでの屋外活動の危険性を測定する客観的方法が存在する。アメリカ合州国軍30が開発した測定手法である「暑さ指数(WBGT:Wet Bulb Globe Temperature 湿球黒球温度)」は、気温のほか、湿度と輻射熱を測定して総合的に危険度を明示するもので、環境省31や厚生労働省32も採用し広報している。測定には専用の機器が必要だが、さほど高価ではなく(5万円から10万円程度)、運動競技団体はもちろん、体育実技の授業や部活動を実施している学校には当然そなえるべきものである。暑さ指数(WBGT)25から28では「運動や激しい作業をする際は定期的に充分に休息をとりいれる」、28から31で「外出時は炎天下を避け、室内では室温の上昇に注意する」、31以上で「外出はなるべく避け、涼しい室内に移動する」ものとされる(環境省)。

 ところが、高野連野球においては、「暑さ指数(WBGT)を問題にすることは、絶対的禁忌事項となっている。というのも、国内の多くの地域では、「甲子園大会」の都道府県予選がおこなわれる7月中旬以降、日中のWBGTが28を下回ることは少なく、しばしば31以上になる。長袖長ズボンでプレイする野球部員も危険な状況に置かれるのであるが、笠間市民球場など屋根すらないコンクリート床の内野席に、暑熱順化していない一般生徒を長時間おくことは、きわめて危険である。ぎゅう詰めなので日傘を差すこともできない。1回表と5回表の双方の校歌斉唱時には「礼儀」だとして脱帽が求められる。

 環境省や厚生労働省の基準からみても、都道府県予選を含む「甲子園大会」それ自体はもちろん、一般生徒の炎天下での応援の義務づけは、いかにしても許容できるものではない。高野連としては、大会を別の時期におこなうとか、あり得ないとはいえナイターとするとか、すくなくとも一般生徒の応援は求めないなどの措置をとるべきである。そしてその気がないとなれば、自らの組織を維持し活動を継続するためには、WBGTについては完全に無視するほかはない。共同主催者としての朝日新聞社は、WBGTについては決して報道しないことを社是としているに違いない。

 このようなことを想起すると、2023年3月の茨城県高野連の一連の行動は、生徒の健康と安全などまったく眼中にない団体が、法人組織の都合だけを考えてとった身勝手なものであるというほかない。

 

 高文連部活動としての吹奏楽部

 高校野球に関連して、高文連部活動について1件だけ指摘する。高野連部活動としての高校野球には、高文連部活動としての「吹奏楽部(ブラスバンド部)」が深く関連している。吹奏楽部の活動実態をみると、それ自身がすでに競技性に傾斜する高体連部活動的体質を示しているが、それに加えて高野連部活動に従属して行動する要素が目立っている。

 2014(平成26)年の笠間市民球場の件で、救急搬送された9人のなかで最も重症だった生徒は、強烈な日射のある1塁側の学校の吹奏楽部員だった。この生徒は試合開始後しばらくして、部活動顧問のひとりに(もうひとりは指揮者)、暑さで気分が悪くなったことを訴えたが、この教員は「あなたのパートは、あなたひとりしかいないのだから、続けなさい」と言って、離脱を許さなかった。その結果、炎天下での演奏をつづけ意識朦朧となる危険症状を呈して救急搬送された。

 試合応援における吹奏楽部の行動は、徹頭徹尾様式化されている。試合開始直後の両校の校歌斉唱の伴奏にはじまり、自校の攻撃時には時間差を生じながらも打撃状況に応じた演奏をおこない、5回表の「エール交換」をはさんで適宜間髪を入れず演奏をおこなうものとされるなど、自由度は極めて低い。使用する楽器の種別も高野連によって指定されている。ひとりが欠ければ高野連の指示どおりに演奏するのに支障が出るので、吹奏楽部の顧問は離脱を許すことはできなかかったのだろう。負傷した選手にプレイを続行させるようなものだが、この場合には生命すら危ぶまれる状況であり、深刻さの程度は異なる。高野連野球に従属しつつ、それと一体的に活動する高文連部活動としての吹奏楽部は、他の文化部では到底ありえない危険性をもつ。

 

 高体連部活動としての山岳部

 生命の危険をもたらす可能性の高い部活動としては、山岳部(登山部)がまず思い浮かぶ。2017(平成29)年3月27日の那須岳なすだけにおける、栃木県立大田原おおたわら高校山岳部の生徒7人と顧問教員1人の計8人が亡くなった事故の記憶がいまも鮮明である。ヨーロッパ起源の近代登山は、登山という行為それ自身を目的とするものだったようだが、プロフェッショナルな登山家のなかに競争化・競技化に傾斜する傾向が生まれ、それが現代日本の大学や高校の部活動としての山岳部のありかたに影響を及ぼしている。

 高等学校の山岳部(登山部)は、都道府県高等学校体育連盟の中の「山岳専門部(登山専門部)」に加盟し、そのうえで全国高等学校体育連盟の「競技専門部」のひとつである「登山部」に所属する。そしてこの全国高体連登山部が、毎年の「全国高等学校総合体育大会(インターハイ)」などの競技会を主催する。8名の死者を出した大田原高校山岳部は、2007(平成19)年から2015(平成27)年まで9年連続で栃木県予選で1位となり、夏のインターハイに出場(2010年は全国6位、2014年と2016年は全国7位)した県内随一の強豪校であったが、2016(平成28)年は、栃木県立真岡もおか高校山岳部に敗れていた。

 

 「春山安全登山講習会」で雪崩死亡事故

 この2016年度末の3月25日から27日までの予定で、栃木県高体連登山専門部による「春山安全登山講習会」が栃木県那須郡那須町の那須岳の主峰である茶臼岳ちゃうすだけ(標高1915m)の山麓で開催され、栃木県内の加盟校22校(県立高校20校と私立高校2校)のうち7校の山岳部員の男子生徒51人、女子生徒7人が参加した33。引率するのは7校の山岳部担当の教員10人であるが、栃木県高体連登山専門部役員である3人が運営を取り仕切っていた。講習会の責任者の猪瀬いのせ修一教諭(大田原高校教諭で山岳部顧問、県高体連登山専門部委員長)、菅又すがまた久雄教諭(真岡高校教諭で山岳部顧問)、渡辺浩典教諭(真岡高校教諭で山岳部顧問、登山専門部の前委員長)の3人である34

 ほかの教員は、指導者というより3人が指導する各校の生徒の付き添いにすぎなかった。とくに死亡した大田原高校の毛塚優甫けつか・ゆうすけ教諭は、就職して1年目でしかも登山の経験はないまま山岳部顧問を命じられ、体力・技能ともに生徒に及ばない状態だった。形の上では、大田原高校山岳部の指導者であるが、実質的には生徒同様に引率される立場だった。翌2017(平成29)年度からは、剣道部顧問になることが決まっていた。毛塚教諭自身は剣道3段の腕前であるから、この1年間のように未経験の分野で苦労することもなくなるだろう。年度末のこの訓練が、山岳部顧問としての最後の勤務だった。

 「春山安全登山講習会」は、栃木県高体連山岳専門部が1965(昭和40)年3月以降、毎年、那須町のこの場所で開催してきた。スポーツ庁が高校部活動における冬山登山を禁止する通達をだしていたものの、県高体連山岳専門部は、3月だから「冬山」ではなく「春山」であり、実施するのは「登山」ではなく「安全講習会」であるとしてそれを無視してきた。6年前の2010(平成22)年3月22日には、那須岳郭公沢最上部での「実技講習」中に雪崩があり、数人の生徒と教員が50mから60mほど流される事故があった。けが人はなかったが、栃木県高体連山岳専門部は、栃木県高体連と栃木県教育委員会には報告すらせず、秘匿していた。35

 

 漫然と雪原に踏み入り表層雪崩を誘発

 「講習会」最終日の3月27日は、茶臼岳登山訓練をおこなう予定になっていたが、前夜からの大雪(積雪30cm)で、スキー場ゲレンデに張ったテントは雪に閉ざされてしまい、外に出るのも大変なほどだった。「本部」にしていた旅館「ニューおおたか」にいた猪瀬教諭とゲレンデの2人が電話でやりとりしたあと、7時20分に猪瀬教諭がゲレンデに来て3人で相談のうえ、予定していた茶臼岳登山を中止して、スキー場周辺で歩行訓練をおこなうこととした。しかし、事故後の聞き取り調査でも3人の考えていたことはてんでんばらばらで、スキー場内なのか西側の樹林帯の斜面などのスキー場周辺なのかすら一致せず、ゲレンデの緩斜面での「キックステップ」なのか、新雪を掻き分けて斜面を登る「ラッセル」なのかも各自の受け止めは異なっていた。3人は地図も見ずに相談していたのである。

 8時からの行動開始を指示し、大田原高校の猪瀬教諭は例年通り、大田原高校山岳部の生徒を残して、再びひとりで旅館にもどり、「講習会」中もっとも危険性のたかい活動がおこなわれているなか、携帯電話とトランシーバーを身につけずに、料金精算や荷物の自家用車への積み込みなどをしていた。

 残された大田原高校の生徒12人と毛塚教諭の「1班」は、真岡高校の菅又教諭が引率し、ゲレンデを外れて西側の急斜面の樹林帯を登り切り、茶臼岳山頂へと続く斜面で雪原をかきわけて進むラッセル訓練を始めた。山頂は目指さないと決めてあったものの、どこまでいくかははっきり決めていなかった。先頭に立って指揮すべき菅又教諭は縦隊列の中程にいて、名前も知らない大田原高校の生徒に明確な指示をだすこともできずに、古い積雪上に昨夜来の新雪が乗り少々の刺激で表層雪崩が起きやすい斜面を、漫然と登攀させた。真岡高校の生徒8人の「2班」の縦隊は、真岡高校の渡辺教諭が引率し、「1班」の斜め後ろから樹林帯の急斜面を登り切る直前だったが、風が強まってきたので引き返し始めた。

 その直後の8時43分に、「1班」の隊列の間近で雪原に亀裂が入り、巨大な雪崩となって、大田原高校の生徒と毛塚教諭、引率者の菅又教諭の全員が一気に200m以上も流され、雪中に埋もれた。真岡高校の「2班」の9人全員と矢板東高校と那須清峰高校の「3班」の12人の一部も雪崩に巻き込まれた。

 「2班」の渡辺教諭は下半身が雪に埋まったが自力で脱出し、無線機で「本部」の猪瀬教諭に呼びかけたが応答はなかった。携帯電話で直接消防に救助要請することができる電波圏内だったが、消防への通報は「本部」がおこなうというマニュアルに従い、別の教員を直接行かせることにした。「5班」の引率教員が、渡辺教諭から「本部」へ行くよう指示され、徒歩で「ニューおおたか」に向かい、駐車場にいた猪瀬教諭に雪崩の件を伝えた。猪瀬教諭から消防への通報は、雪崩発生から39分後の9時22分だった。救助隊が現場に到着したのは11時45分ころで、雪崩発生からすでに3時間が経過していた。

 雪崩による死亡は、ほとんどが窒息によるもので、18分以内に掘り出せば生存率90%だという。その意味では、まずは同行者による救助活動(コンパニオン・レスキュー)が重要なのだが、雪中訓練なのにスコップさえ携行していなかったし、渡辺教諭は動転したのかいったん下山し始めたあと思い直して再び戻るなど、生徒・教員による救助活動の指揮を怠った。「1班」の8人は救助隊到着時まで埋没したままであり、結局全員が死亡した。

 

 不十分な事実解明

 栃木県教育員会は、事故後すぐに外部の有識者による第三者組織としての「平成29年3月27日那須雪崩事故検証委員会」(以下、検証委員会)を設置した。検証委員会は、半年あまりで「平成29年3月27日那須雪崩事故検証委員会報告書」(2017年10月15日)36(以下、検証委員会報告書)を公表した。

 

 本件事故の根源的で最も重要な発生要因は主催者である高体連・登山専門部の「計画全体のマネジメント及び危機管理意識の欠如」である。次いで、県教育委員会等による「チェックや支援体制の未整備」及び「講師等の雪崩の危険(リスク)に関する理解不足などの個人の資質」も事故発生の要因の一つとなったことは否定できない。 

 なお、背景的な要因として、ほぼ全員が雪崩発生の危険を認識しておらず、講習会は登山でないので安全との認識を持っていたことなどから、「正常化の偏見(正常性バイアス)」と「マンネリズム(形骸化)」があることがうかがわれる。37

 

 行政機関が設置した「第三者機関」による検討としては、並々ならぬ事実解明の努力がなされたように見え、好意的に受け止められたようだ。中教審のように、何から何まで事務方が取り仕切り、行政機関が自分で自分に答申するような手前味噌答申ではなさそうだ。しかし、具体的事実の解明を徹底するのではなく、いつの間にか一般的行動パターンへの当て嵌めに論点が移ってしまっている。事故にいたる、そして事故後の一連の経緯を見ると、多くの事項のうち何かひとつふたつが欠けていたというのではなく、何から何までが思慮分別のない行動ばかりなのである。これは、「危機管理意識の欠如」「正常化バイアス」「マンネリズム」などというものではない。検討委員会報告書は、一般論に解消させたうえ、的を外している。

 検証委員会報告書は、「責任追及を目的としない」38と自制的姿勢を示したのだが、責任追及どころか本質的な点での事実関係の追求が不徹底になっている。事実関係を解明すればそれを前提として自ずから責任(刑事・民事・行政・道徳等)が明らかになる。教育行政組織が内部に設置した調査機関が、それらをあらかじめ免責する権限など持つはずはない。不徹底な報告書が、県教育委員会や当事者教員たちの見苦しい責任逃れを許し、被害者や遺族の怒りを掻き立てることになった。検証委員会が直接責任追及に乗り出し、関係者を処罰すべきだというのではない。どの組織・機関、あるいはどの教員・職員に、どのような責任があったのか、あるいはなかったのか、そしてどのように責任を果たしたのか、あるいは果たさなかったのかについて、被害者・遺族、さらに県民・国民が妥当な判断を下せるように、事実関係を全面的かつ詳細に明らかにすべきだった。その際には、各組織・職員が拠るべき妥当な法的根拠を総合的に示すことも必要である。

 とりわけ、「2班」の真岡高校の生徒、なにより渡辺教諭からの聞き取りは通り一遍のもので、進行したコースすら確定できず、事故直前の様子と直後の救援活動の詳細はほとんど解明されることがなかった。

 

 学校部活動の範囲を超える高体連部活動

 一般的抽象的な論点ではなく、中心的論点について述べる。高等学校教育における「部活動」の実際上の位置付け、そして法的位置付けという問題である。検証委員会は、それを解明しようとはしたが、肝心の点で判断を誤った。

 

〔……〕上記高体連及びその内部組織である登山専門部の目的、組織構成、事業の実態並びに上記高等学校学習指導要領及び条例に定められた内容から考察される高等学校教育において果たしてきた部活動の意義・役割に鑑みると、本件講習会は、各高等学校が自ら主催する部活動ではないものの、これに参加した各高等学校にとっては、同校の部活動の一環ないしその延長線上の活動として実施されたものと位置付けて誤りはないものと考えられる。 39

 

 本稿1節で検討したとおり、日本中で受け入れられている誤解なのだが、部活動は学習指導要領において学校教育に位置付けられているという判断を前提している。そのうえで「春山安全登山講習会」は「各高等学校が自ら主催する部活動ではない」という。学校教育に位置付けられている部活動とはいえない、と言っているように聞こえるが、そうではない。学校を超えるものになっているというのである。「同校の部活動の一環ないしその延長線上の活動として実施されたものと位置付けて誤りはない」というのは、県高体連山岳専門部が県内の公私立高校20校の山岳部活動を統合管理運営しているという趣旨である。

 

 そこで、安全配慮のために取るべき措置について検討すると、県教育委員会が、本件講習会の運営の在り方及び実施状況について、これまで全く関与せず、本件講習会の主催者である高体連に対し、適切な指導・助言等を与える機会もなかったことについて、県教育委員会の運営が果たして適切であったかどうかがここでも問われなければならない。 40

 

 検討委員会の見立ては、栃木県高体連山岳専門部が、栃木県内の複数の高校にまたがる山岳部活動を「運営」「実施」している、と把握した上で、その栃木県高体連山岳専門部に対して、栃木県教育委員会が「適切な指導・助言」を与えるべきだった、というものである。

 栃木高体連山岳専門部は一応の改善をはかった41。冬山登山はおこなわない、インターハイに出場する学校の決定にあたっては時間を争う実技によらないことなどおおきな変更であるが、この程度のことにやっと気づいたのかと思わないでもない。この改善にあたっては、栃木県教育委員会も「適切な指導・助言」を与えるべく努力したに違いないが、8人の犠牲の上でのこととあっては遅きに失したというほかない。

 それより、他県や全国の動向、それとの兼ね合いなどが懸念される。全国高体連のウェブサイトを見る限り、対応する行動をとったのか否かは一切不明である。改善が栃木県高体連山岳専門部だけにとどまっていて、他県・全国には波及していないことがわかる出来事があった。検証委員会報告書の公表から約1年後の2018(平成30)年11月23日から24日に、長野県高体連山岳部に属する高校山岳部が、北アルプス(飛騨山脈)の燕岳つばくろだけ(長野県大町市、安曇野市。2763m)で雪上訓練をおこなった。長野県教育委員会規則により、「冬から春にかけて主に雪上で実施する登山活動」を行う場合には登山計画書を提出し事前審査を受けるべきと定められていたのに、手続きを全部省略してのことだった。顧問の教員は、11月は「冬山」ではなく「秋山」なので審査は不要と考えていたと釈明し、県教育委員会は地方公務員法上の懲戒にはあたらない「口頭注意」ですませたという42。3月の那須岳は「冬山」ではなく「春山」だとして危険行為を強行し8人の死者を出した栃木県高体連とおなじ言い訳である。他県の高体連関係者の受け止め方はその程度にとどまるということだが、じつはこの顧問の教員は、「平成29年3月27日那須雪崩事故検証委員会」の委員43をつとめた、国立登山研修所44の専門調査委員で長野県大町岳陽高等学校の大西浩教諭だった。

 県教育委員会の指導・助言の存否やその可否が、高体連のありかたを決定するのではない。高体連はいかなる意味でも、法律・条例にもとづく教育行政機関の管理統制に服する存在ではない。

 具体的事例をいくつか見てきた。現在の日本中の高等学校に存在するのは、「学校教育の一環」としての「学校部活動」ではなく、ひとつひとつの学校の範囲を超え、地区・都道府県・全国を網羅する「高野連部活動」「高体連部活動」「高文連部活動」である。全国の加盟校の部活動を事実上指導管理統制する「公益財団法人日本高等学校野球連盟」・「公益財団法人全国高等学校体育連盟」・「公益社団法人全国高等学校文化連盟」は、生徒および教員の健康安全と公共の福祉 public welfare を至上の価値としその維持増進をはかることを目的として法律・条例によって設置された団体ではなく、みずからの存続とその権益の維持拡大を至上の目的として行動する私的組織体である。

(終)

2023.6

 

 

 


 1 「部活動」は、学校教育法など法律では一切規定されていない。行政文書で用いられる用語である。一般的には「部活」と呼ばれているが、その意味するところは同じである。本稿では「部活動」と称する。

 2 部活動指導業務に連日従事する教員をモデル化してみる。1週間あたりの各業務の時間数は、授業:15間、授業の準備:7時間、ロングホームルーム:1時間、ショートホームルームと清掃:3時間、部活動指 導業務:27時間(平日1日:3時間、土曜・日曜:各4時間)、その他の業務10時間、合計63時間(1か 月あたり約100時間、年間の時間外勤務はおおむね1000時間)。正規の勤務時間38時間45分を差し引くと、 1週間あたりの時間外勤務は24時間15分。時間外勤務分はおおむね部活動指導業務の時間数に相当する。 参考のため、スポーツ庁の算定例を示す。後出の「運動部活動の地域移行に関する検討会議」の提言(注9)における、中学校教諭についての算定例である。

「中学校教諭の1週間当たりの学内勤務時間(持ち帰り時間は含まない)は63時間20分であり、1か月 (4週間)当たりの時間外勤務は100時間近くに及んでいる。特に中学校では、平成18年度に行われた調 査結果と比べて、平成28年度の調査結果では、土日の部活動指導に従事している時間数が1時間6分か ら2時間9分とほぼ倍増しており、部活動指導に係る負担が増していることがわかる。学校において働 き方改革が求められる中、運動部活動が教師の長時間勤務の大きな要因の一つとなっていることか ら、早急な改革が急務となっている。」

 3 https://www.mext.go.jp/b_menu/soshiki2/04.htm

 4 https://www.mext.go.jp/sports/b_menu/shingi/013_index/toushin/__icsFiles/afieldfile/

2018/03/19/1402624_1.pdf
 5 平成30年5月30日、保体第444号、茨城県教育委員会委員長発

 6 ただし、指導にあたる教員の負担についても一応指摘している。(「茨城県運動部活動の運営方針Q&A (高等学校)」平成30年6月18日、保体第555号、茨城県教育委員会委員長発、Q16)平成29年度運動部活動に関する実態調査によると,〔......〕「校務と部活動の両立に限界を感じる」 42.9%,「自身のワークライフバランス」37.8%,「自身の心身の疲労,休息不足」36.7%と回答して おり,悩みを抱えている教員がいる。

 7 「茨城県「部活動の運営方針」(改訂版)」https://kyoiku.pref.ibaraki.jp/wp-content/uploads/

2023/02/01kaitei-r412-1.pdf 

 8 https://www.mext.go.jp/sports/content/20221227-spt_oripara-000026750_2.pdf 

 9 https://www.mext.go.jp/sports/content/20220722-spt_oripara-000023182_2.pdf、3頁

 10 「茨城県「部活動の運営方針」(改訂版)」15頁

 11「茨城教育研究所通信」第27号、2016年、https://ibakk.web.fc2.com/27tuusin.pdf

 12 『特別活動をめぐる諸問題 高等学校特別活動指導資料』1982年、文部省、163‒164頁

 13 内田良りょう『教育という病』2015年、光文社新書、178頁

 14 加藤一晃「部活動はどう変わってきたのか」(内田良編『部活動の社会学』2021年、岩波書店、第1章)

 15 「一年単位の変形労働時間制」が長期休業日に拘泥するのは、20年前の発想の再版再利用である。 

 16 自分で自分のしていることの意味がわからず、現実無視の矛盾した方針を出したり引っ込めたりする教育行政の錯乱ぶりは、これに限らない。廃止された「修身」の復活としての小学校・中学校における「道徳の時間」の導入に対応するのが、高等学校における教科「社会科」における科目「倫理・社会」(1960〔昭和 35〕年版学習指導要領)だった。ところが、のちに高等学校に「道徳教育」を持ち込むに際して、「倫理・ 社会」との関連に全然気づかず、一切言及しなかったのも同様である。「倫理・社会」の件にせよ、この「ク ラブ活動」の件にせよ、当の文部省(文部科学省)の役人はもちろん、それを批判する論調にあっても、こ うした一貫性を欠く行政行為の変遷があったことを看過している。

 17 文部科学省『高等学校学習指導要領解説 保健体育編 体育編』2009〔平成21〕年、119‒120頁 〈引用略〉

 18 内田良『教育という病』、179頁

 19 2019年9月6日、https://news.yahoo.co.jp/byline/senoomasatoshi/20190906-00141487

 20 「小学校,中学校,高等学校及び特別支援学校等における児童生徒の学習評価及び指導要録の改善等につ いて(通知)」平成31年3月29日、30文科初第1845号、都道府県教育委員会教育長等宛、文科省初等中等教 育局長通知、https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/1415169.htm の「〔別紙3〕高等学校及び特 別支援学校高等部の指導要録に記載する事項等」、https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/attach/ 1415199.htm

 21 兼子仁まさし『教育法〔新版〕』1978年、法律学全集16-1、有斐閣、461頁

 22 法律だけでなく、政令、省令(施行規則)も、e-Gov法令検索(https://elaws.e-gov.go.jp/)で検索可能

 23 https://www.pref.ibaraki.jp/somu/somu/hosei/cont/reiki_int/reiki_honbun/o4001169001.html 

 24 給特法について、教員の長時間労働の原因だとする見解がある。「給特法のこれからを考える有志の会」(https://gakkoukaikaku.jimdofree.com/)が提唱している。給特法が「教育職員を正規の勤務時間を超え て勤務させる場合は、政令で定める基準に従い条例で定める場合に限る」と規定したうえで、超勤政令・給 特条例が「時間外勤務を命ずる場合は,次に掲げる業務に従事する場合であって臨時又は緊急のやむを得な い必要があるときに限る」と規定していることと、法の規定に反する運用がされていることとを峻別せず、それどころか取り違えたうえでの主張である。この件については、別ページで詳述する。
 25 https://www.jhbf.or.jp/summary/articles/
 26 https://www.zen-koutairen.com/f_endowment.html

 27 https://www.kobunren.or.jp/common/files/uploads/2021/12/teikan.pdf 

 28 茨城県の例。他に各専門部ごとの加盟費あるいはインターハイ費用などの寄付金がある。栃木県高体連

は、600円。
 29 https://www.jhbf.or.jp/summary/officer/

 30 https://armypubs.army.mil/epubs/DR_pubs/DR_a/ARN35159-TB_MED_507-000-WEB-1.pdf

 31https://www.wbgt.env.go.jp/wbgt.php

 32 https://www.mhlw.go.jp/content/11200000/000636115.pdf

 33 雪崩事故の事実関係については、阿部幹雄『那須雪崩事故の真相』(2019年、山と渓谷社)、ならびに 「那須雪崩事故遺族・被害者の会」のウェブサイトの記事・資料 https://nasu0327.com/ を参照し、要約 引用する。

 34 事故直後から映像つきで実名報道され、現在は民事訴訟の被告および刑事訴訟の被告人となっていて、しばしばローカルニュースで実名報道されていることでもあり、記号や仮名にすると各種記録を読む際に理解が困難になるので、ここでも実名表記する。

 35 「那須雪崩事故遺族・被害者の会」のウェブサイト記事 https://nasu0327.com/2018/10/2940/

 36 https://www.pref.tochigi.lg.jp/m01/kensyouiinkai.html または https://nasu0327.com/page-2746/ 

 37 検証委員会報告書 第6、まとめ、189頁

 38 検証委員会報告書、第1、はじめに、1~2頁
 39 検証委員会報告書、第5、4、160頁
 40 検証委員会報告書、第5、4、175頁 

 41 https://tochigi-koutairen.jp/bnews/組織としての反省と今後の在り方/ 

 42 「那須雪崩事故遺族・被害者の会」のウェブサイト記事 https://nasu0327.com/2019/01/3817/

 43 https://www.pref.tochigi.lg.jp/m01/documents/290411kensyouiikai2.pdf 

 44 独立行政法人日本スポーツ振興センターが管理する団体 https://www.jpnsport.go.jp/tozanken/

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