*は文末注釈
校長の職務は,学校教育法で「校務をつかさどり,所属職員を監督する〔*1〕」ことと規定されている。ところが校長らは「校長会」出席のためとして,年間数十日も出張して学校を留守にしている。「校長会」というと,いかにも公的な会合のように思われているが,その内実は従来ほとんど知られることがなかった。しかし,情報公開条例の制定により,事情は一変した。出張文書の開示によって明らかになった「校長会」の組織と活動について検討し,「校長会」による地方教育行政への介入の実態を具体的に見てゆく。
●校長会の組織と出張
茨城県高等学校長協会(以下、「校長会」と略称)は、一九四八(昭和二三)年に設立され、現在,茨城県立高校一一一校と県立特殊教育諸学校一九校の校長の他、県内の私立高校二一校の校長をあわせた合計一五一人が加盟している。校長会は茨城県教育委員会に属する機関ではなく、教育に関する公益法人でもない。校長会は,いかなる法律・条例・教育委員会規則にも設置根拠をもたない任意団体である。
校長会は、年間七回の全体会を開催するほか,内部に、管理・財政・制度調査・生徒指導・学習指導・進路指導・給与厚生・広報の八委員会と,五通学区に対応する五地区校長会を置く。会員はいずれかの委員会と地区校長会に所属する。委員会は年間三回ないし六回,地区校長会は年間四回程度の会合をもつ。さらに、普通・農業・工業・商業・水産・家庭・看護・理数・特殊教育・定通・私学の一一部会がおかれ、各会員が該当する部会に属する。たとえば、商業科・普通科課程からなる全日制・定時制併設校の校長は、商業・普通・定通の三部会に属する。
校長会には役員として、協会長・副協会長(普通科高校・職業高校・特殊教育諸学校・私立高校各一人,計四人)・書記(二人)・会計・監事(二人)が置かれる。監事を除く八人と地区校長会長五人による拡大総務会が年間六回開催され、企画立案・全体会の議案審議などをおこなう。拡大総務会は,校長会の事実上の執行機関である。各委員会には委員長・副委員長・書記が、各地区校長会には会長・副会長・書記二人が役員として置かれる。委員会・地区校長会ともに、それぞれの会合の数週間前に役員会が招集され、議案審議等をおこなう。協会には,関東地区と全国に上部団体がある。八委員会と一一部会にも各々上部団体がある。校長会のための活動日数は、一般会員でも年間二〇日,委員会等の役員で三〇日、拡大総務会メンバーなどの幹部校長では五〇日以上に達する。校長は,各学校に一人しかいないから,校長会の組織活動は会合の開催されるホテル・貸会議室・他の学校などへの出張をともなう。したがって各校長がおこなう校長会活動の日数は,そのまま出張日数に相当する。校長らは,その職務である「校務」と「所属職員の監督」(学校教育法第二八条他)をなおざりにし,頻繁に学校を留守にして校長会の活動に専念している。
茨城県教育委員会は、文部省通達〔*2〕に基づき「法令に設置根拠をもたない団体の用務は通常公務とは解されず、特に当該用務の遂行が同時に公務を行うものとなし得る場合を除き、当該用務のための旅行を公務出張の取扱いをすることはできない」との基準を定めている。一方で、茨城県県立学校管理規則(教育委員会規則)は「職員の出張は、校長が命ずる」こととしている。校長は,三日以上の県外出張を除き県教委への報告義務がないので、本来許されない任意団体である校長会の活動に対して旅行命令権を濫用し,自分で自分に出張を許可する。校長らは,このほか茨城県高等学校体育連盟(高体連),茨城県高等学校野球連盟(高野連),茨城県高等学校PTA連合会(高P連),茨城県高等学校教育研究会(高教研)の県組織および地区(学区)組織や部会の役員にもなっている。各団体の役職は校長会において割り振られる。これらの業務もあわせると,校長の出張日数はさらに膨大なものとなる。一九九九年度分の抽出調査では,調査対象校長の半数以上が年間八〇日以上,幹部の校長では一〇〇日以上出張していた。
●「公務」を標榜する校長会活動
しかし,出張を命令する権限が校長自身にあるというだけでは,校長会用務の出張取り扱いを正当化する根拠とはならない。校長会活動を「公務」に仕立てあげるために,従来二つの手法が用いられてきた。
校長会の各会議には,高校教育課長・特殊教育課長以下,両課の人事担当及び指導担当の課長補佐,管理主事,指導主事らが臨席し,「挨拶・指示連絡」や「指導助言」をおこなう。これによって任意団体にすぎない校長会への参加が、「同時に公務を行うもの」になる。しかし,私立学校長も同席している任意団体の会合において,県教育委員会高校教育課から県立学校長への「指示」がおこなわれるというのは、不正常な事態である。「指示連絡」は,服務規律に関する一般的注意にとどまらない。一二月の全体会では,定期人事異動や昇任人事に関する指示伝達がおこなわれる。任意団体の会合で教職員人事が遂行されるのである。
批判を受けた県教育委員会は二〇〇一年度から,各種役員会等一部の会議への教育庁職員の臨席を見合わせたほか,「校長会全体会」については,別個に「県立学校長会議」を開催することにした。まず県教育委員会が「県立学校長会議」を開催して校長らへの「指示伝達」をおこない,引き続き同じ会場で校長会が「校長会全体会」を開催するというものである。しかし,「県校長協会全体会」の日程に合わせて,さほどの必要性のない時期にも「県立学校長会議」を設定し,校長協会の活動に便宜をはかっている。こうした便法には服務上の問題もある。「県立学校長会議」が閉会して「校長会全体会」に移行した瞬間に,校長らの「公務遂行性」は消滅する。以降は私的行為とみなされ,復路をふくめて公務災害補償の対象とはならないし,復路の旅費支給も違法である。
校長会に「公務」の体裁を与えるもうひとつの手法が,「教育研究団体」指定である。校長会には「教育研究団体補助金」〔*3〕として年額九万九〇〇〇円が交付されていた。この補助金受給を理由に,校長会は「教育研究団体」として公認されているから,任意団体であってもその活動全部が「公務」に相当するのだとされた。後ほどみるように,校長会はその活動実態からして到底「教育研究団体」とはいえないのであるが,かりに,校長会が内容的に「教育研究団体」に相当するとしても,問題がある。
なぜなら、校長は,教育公務員特例法第二〇条第二項によって「勤務場所を離れて研修すること」が認められる「教員」には該当しない(同法第二条)。校長は,勤務を要する日の勤務時間内に,勤務場所を離れて研修をおこなうことはできない。「教育研究団体」の活動に従事することは,教員であれば公務としての研修でありうるが,教員でない校長の場合には,法律上公務ではありえないのである。
●校長会の会計と親睦活動
校長会の「事務局」は水戸第一高校〔*4〕に置かれる。事務長が校長会の「事務局長」とされるほか、県教育委員会によって校長会専従職員として事務職員が一名加配される。校長会は,県費によって全会員の出張旅費・事務局の設置費用・専従職員の賃金がまかなわれるので,それ以外の日常経費としては、さほどの額を要しない。『會誌』発行,「会議費」、郵送料等の年額一八〇万円の一般会計は、会員一人当り年額一万二〇〇〇円の会費でまかなわれる。これらの会費や校長会の会議の際に別途徴集される「会場費」(会場借用料等だが,しばしば昼食費も含まれる)は、各高校のPTA会計から「研修費」の名目で支出される。結局、校長会の活動費は全額が公費ないし保護者の負担金によって充当されるから、校長会活動のための校長個人の経済的負担はゼロである。ただし,特殊教育諸学校の校長の場合,PTA会計に余裕が乏しく自己負担となるので,校長会は校長会会費の県費負担を要求している。
校長会規約で,「本会は、茨城県高等学校教育の振興と会員の職能の向上を図り、併せて相互の親睦を深めることを目的とする。」と規定されていた。後段に規定された親睦活動が,校長会の中心的活動である。毎年度当初の四月中旬に開催される各地区校長会の総会の議題は、決算・予算の承認と八委員会へのメンバーの割り振りだけで、引き続いておこなわれる「歓送迎会」(酒宴)が中心的行事である。その翌週の校長会第一回全体会は、五地区校長会ごとの短時間の打ち合わせと八委員会内の役員選出以外には議題がなく、新任校長の紹介、高校教育課・特殊教育課の課長・課長補佐と人事担当管理主事らの挨拶・紹介の後、ただちに「歓送迎会」(酒宴)に入る。地区校長会総会と第一回全体会は,宴会をおこなう都合があるので、総会の段階からホテルや旅館を会場とする。新任校長を含む現職の校長と元校長(前年度の退職者)による宴席には、総会に参列した教育庁職員も出席する。
二〇〇二年度から東京都教育委員会が,都立学校の校長会等について,服務取扱い上の運用方針を変更し,出張は都教育委員会が承認した会合に限定したうえ,その他の校長会の活動については,年間一二日間以内の職務専念義務免除の取扱いに制限することとした。こうした流れのなかで,茨城県高等学校長協会など各県の校長協会組織と,全国組織である全国高等学校長協会〔*5〕は一斉に規約の目的条項から「親睦」の文字を削除した。しかし,茨城県高等学校長協会に関する限り,公費から補助金を受けていた校長会会計と,餞別や宴会費用などの親睦会計さえ区別しないどんぶり勘定を改めて両会計を分離したのを除いて,「親睦団体」からの脱皮は見せ掛けにすぎず,親睦重視の活動姿勢には一切変化のきざしは見られない。
●教職員人事を支配する校長会
校長会は、県教育委員会に対する圧力団体としての活動をおこなう。一九九三年六月、自民党県会議員が茨城県議会本会議で執拗に県立学校における「長期在職教員」の解消をせまる質問をおこなった。これに呼応して,校長会が強制異動方針の導入を強く求めて県教育委員会に圧力を加えた。校長会幹部らが中心的メンバーとなっている校長会の「管理委員会」がこの年の四月から五月にかけて会員にアンケートをおこない、その結果をまとめた文書(「教員の人事等に関する調査集計(秘)」)を、七月初め教育庁教職員第二課(現高校教育課)に提出した。そこでは、「教員の異動指標になるような、新しい異動ルールの確立を望む意見がありますが、どのようにお考えですか」という問いに対する,県立学校長一二八人の回答(賛成=九一人、反対=二四人、保留=一三人)、さらに「同一校在職何年で異動させるべきか」に対する回答(一〇年=四〇人、一五年=六九人、二〇年=六人)などが記載されていた。一〇月の校長会全体会で、強制異動方針の導入を内容とする「人事要望」が採択され,直後の県教育委員会幹部と校長会幹部の会合の際,県教育委員会に提出された。一二月、教職員第二課は,一九九五年四月一日付け異動から同一校での在勤年数に上限を設けることを発表した。新方針は,校長会から提出された「人事要望」どおりの内容だった。教育長と教職員第二課長は、県教育委員会の会議にはからず、越権で翌々年度の人事異動方針を決定し発表した。(当時の教育長は,その後県出納長を経て副知事に,課長は校長会長を経て,県教育委員長に就任した。)
校長会は,毎年度の教職員人事においても高校教育課の人事担当者に圧力をかけ絶大な影響を及ぼす。県立高校の教職員は毎年度一二月、「異動に関する希望調査書」に現在校残留希望の時はその旨を、異動を希望する場合はその校名ないし機関名を六つまで記入し、校長に提出する(上記の強制異動対象者を除く)。校長は希望調査書の記載内容を一覧表に転記したうえで、各自の「希望」に関する「校長意見」を記入し高校教育課人事係に提出する。県個人情報保護条例に基づいて「校長意見」の本人への開示請求を受けた県教育委員会は、これを不開示とした。その理由は、「校長がその学校の人員構成や個々人の希望などを総合的に勘案した上で人事異動に係る意見を記述し、その意見を参考として教育委員会が〔人事異動作業を〕行うものであ」り、「この情報を開示することにより、校長が行った個々人に対する評価や考えが明らかにされ」るから、今後「校長は、開示されることを念頭において意見を記述せざるを得なくなり、本来記述すべき適正な情報が得られなくおそれがあ」るというものであった。
所属長である校長の「意見」は,たんなる付け足しではない。そこには「個々人に対する評価や考え」まで含まれる。要するに,校長は当該教職員を異動させるべきか否かについての決定権を持つ。教職員の異動希望の多くが、本人の知らぬ間に校長段階で握り潰されていたのである。その一方で校長は特定の教職員の異動については,あらかじめ異動先の校長と擦り合わせをおこなったうえで、当該教職員にそのプランに沿った「異動希望」を記入させ、それを強力に推す「校長意見」を一覧表に記入し,そのとおりに異動を実現させる。さらにまた校長会幹部をつとめる有力校長となると、校長どうしで作成した異動プランを,高校教育課の人事担当管理主事に電話で直接伝えて、そのとおりの異動を実行させる。こうして,校長らは,大学の同窓生である後輩の転任に便宜を計らい(同窓会人事),前任校からお気に入りの教員を次々に呼び寄せ(カルガモ人事),高体連や高野連の幹部校長らが中心となり部活動顧問の転任を取り仕切る(高体連人事・高野連人事)。県議会議員の人事介入も,こうしたシステムを利用する形でおこなわれるものと推定される。
高校教育課の人事担当者は、各学校の個々の教職員についてはほとんど情報を持たないのであり、膨大な要素・条件からなる複雑な人事異動プランをゼロから独力で構築するのは不可能である。具体的な異動プランを編み上げてゆくのは、「希望」内容を含む教職員一人一人に関する詳細な情報を独占したうえで、校長会というネットワークで連繋し,本来の趣旨を逸脱して「意見」具申権限を行使する校長たちである。これが校長による人事異動,いわゆる「校長人事」である。
人事における校長の事実上の権限行使は、教頭への昇任や教育庁等への転任において一層顕著である。教頭昇任試験を受験できるのは毎年度一校あたり一人に限られる。この一人は校長が決定する。当該校の校長の推薦がなければ教頭試験は受験できない。二〇〇〇年度には、県立高校一一一校から八七人が高校教育課に推薦され、七名が除かれて(理由不明)、八〇名が受験した。このうち二三人は前年度すでに教頭試験に合格して一年間待機した者であり、二三人は面接だけを受け全員が教頭に昇任した。初受験組五七人のうち三二人が合格し、そのうち二〇〇一年四月一日付けで教頭に昇任したのは五名、残りの二七人は翌年度まで一年間のお預けとなった。これら学校からの受験者とは別に,教育庁や教育研修センターからは課長やセンター所長によって八名が推薦され、試験免除の高校教育課管理主事一人を含む全員が合格し、待機なしで教頭昇任をはたした。
指導主事、管理主事などの教育庁等職員への推薦も、校長がおこなう。教育庁等への転任についても本人が「異動に関する希望調査書」に記入し提出するのであるが、その二週間前が校長から高校教育課への推薦書の提出期限となっている。教育庁等職員への転任は,教育庁の各課長から特別の依頼を受けた校長が秘密裏に手配することで成り立つ。このような校長は,伝統ある進学校の校長である校長会幹部であり,彼ら自身がかつてはこのようにして抜擢された経歴の持ち主である。校長の個人的手引きを受け、四〇歳代半ばで教育庁等への転任を遂げた者たちは、五年ないし一〇年後には全員が教頭に昇任し、早晩校長会への仲間入りを果たし,次代の校長会幹部となる。
●「天下り」校長と「生え抜き」校長
県立高校の校長一一一人のうち、教育庁等での勤務経験を持つ者は、四一人(三七%)に達する。この「天下り」組校長は、平均四九・七歳で教頭になり(退職までの残り年数は平均一〇・三年)、平均五四・五歳で校長になる(残り五・五年)。一方、教育庁等での経験のない「生え抜き」組校長は、七〇人(六三%)で、教頭昇任は平均五三・三歳(六・七年)、校長昇任は平均五六・三歳(三・七年)である(二〇〇〇年度)。「天下り」優位の傾向は一層強くなり,翌二〇〇一年度の校長昇任者のうち「生え抜き」組の平均年齢はさらに上昇した(五六歳三人、五七歳四人、五八歳九人。平均五七・四歳)。
平均五・五年の持ち時間がある「天下り」組は,退職までに二校の校長をつとめる。二校めは,必ず伝統校である進学校である。「天下り」組の類型は次のとおりである。第一類型は、高校教育課(旧教職員第二課)の人事担当管理主事経験者である。管理主事(概ね五年在職)は全員が試験免除で教頭に昇任した後、一人おきに人事担当課長補佐(二年)となり、校長(二年)を経て課長(二年ないし三年)、ふたたび校長(二年ないし三年)という経歴をたどる。第二類型は、旧指導課(現高校教育課)の指導主事や高校教育課の企画担当管理主事,課長補佐・課長経験者で、これも全員が教頭を経て校長になる。第三類型は,保健体育科の教諭の場合で、教育庁保健体育課の学校保健係・学校体育係の指導主事・係長を経て教頭、校長になる。このほか、学校以外の教育機関である教育研修センター勤務(第二類型の傍流)や、財団法人茨城県体育協会(第三類型の傍流)、財団法人茨城県教育財団等への派遣を経て天下るその他のグループがある。
「天下り」組校長は,必ず校長会の幹部に就任する。拡大総務会のメンバーや地区校長会長、委員長など幹部役員のほぼ半数が「天下り」組であり、とりわけ協会長など中枢部はその指定席となっている。協会長には第一・第二類型に属する課長・教育次長経験者が交互に就任する。副協会長には次年度の協会長予定者が控える。課長補佐経験者は、書記、会計、地区校長会長になる。(第三類型は県高等学校体育連盟の会長等の役員となるので、校長会役員にはならない。)
「生え抜き」組校長を従えた「天下り」組の幹部校長たちは、高校の・大学の・勤務校の・教育庁の・後輩,つまりこれまでの全経歴を通じて後輩である高校教育課長以下の人事担当者に対して絶対的な影響力を行使し、望むとおりの校長・教頭の配置,昇任,教職員の異動,新採用教職員の配置を実現してゆくのである。
校長らがその与えられた職務の遂行を怠り,校長会活動を通じて集団的に,親睦・圧力行使・人事支配に明け暮れる状況は,改められるべきである。校長会の肥大した組織と活動を,任意団体としての節度を保ったものに是正させる必要がある。そのためにも,情報公開条例〔*6〕を活用して(校長らが公費での出張を続ける限り,出張復命書や校長会の内部文書の公開は避けられない),校長会関連の全文書を収集して社会的監視のもとに置き,校長会による「不当な支配」の解消をめざさなければならないだろう。
注
*1 第二八条第三項で,小学校の校長の職務として規定。第四〇条により中学校に準用。第五〇条,第五一条により高等学校に準用。第七六条により特殊教育諸学校に準用。
*2 和歌山県教育委員会からの照会に対する文部省初等中等教育局長の回答(行政実例)。一九五五(昭和三〇)年九月二〇日付け,委初第二二七号,「公務に関係する団体の役職員としての出張と公務出張との関係について」。
*3 文部省の「教育研修事業等補助金」制度の中の,「三 教育研究団体奨励事業(教育研究団体補助)」により,国から各都道府県に補助金が交付されていた。茨城県の場合,一九九九(平成一一)年度の額は一九〇万五〇〇〇円。これに県が同額を追加した総額三八一万円を,県高校長協会を含む一一の「教育研究団体」に補助金として支出していた。
なお,二〇〇〇(平成十二)年度以降,この「教育研究団体奨励事業」部分の国庫補助が廃止されたのにともない,県高校長協会等への補助金は打ち切られた。
*4 一八七九(明治一一)年,師範学校予備学科として設立。一九〇一(明治三三)年に茨城県水戸中学校。一九四八(昭和二三)年に新制高校。
*5 四七都道府県の高等学校長協会が加盟する全国組織。戦前の中学,高女,農,工,商の五協会(戦時中は解散)が戦後復活して結成を準備し,「進んで民主的国家建設の礎石たらんことを誓」って,一九四八(昭和二三)年五月に設立された。
現在,東京都立両国高校長が協会長。事務局は,東京・霞ヶ関の国立教育会館内。任意団体。
各校長室の書棚には,『全国高校長協会五〇年史』(全二巻,一九九九年。非売品)が置かれているはずである。全国高校長協会のほか,各都道府県高校長協会の活動の概要が総覧でき,おおいに役立つ。
*6 任意団体である校長会の内部文書は「公文書」にはあたらず,情報公開条例による開示対象にはならない。
ところが,校長らは本来年次有給休暇を取得して参加すべきところ,校長会の会合への参加を「職務」として取扱ったうえ,会場までの旅行を「出張」として取扱う。
この結果,校長らはすくなくとも出張用務に関連する校長会の文書を「公文書」として保存しなければならないことになる。県の職員である校長らが,その職務上,作成ないし収受した文書だからである。したがって,保存されている校長会文書は校長らの私的所有物ではなく,県の所有物である。
こうして,情報公開条例上の「公文書」となった校長会の文書が,開示されることになる。
(このページは、柿沼昌芳・永野恒雄編『教育基本法と教育委員会』〔2003年、批評社〕の第7章「茨城県の校長会による「不当な支配」」を、編者と出版社の許諾を得て転載したものです。もとは縦書き。MMIII)
P. S.
2015年8月に「校長会」のページをひっそりつくったところ、何人かの方が検索エンジンを通じてご覧くださっているようです。概要はここにお示ししたとおりですが、詳細については、ある団体のウェブサイトに掲載されておりますので、ご覧いただければ幸いです(http://ihsfu.net/kouchoukai/kouchoukai-top.htm)。
もう10年以上も前の分析ですが、校長たちはほとんど同じ活動を(形骸化をつよめつつも)続けているようですから、内容はたいして古くはなっていないと思います。校長は短ければ2年、長くても5、6年くらいしか在任せず、どんどん入れ替わってしまうため、たいした蓄積もない「校長会」の内部事情は、その価値もないこともあり、どこにも紹介されることがありません。したがって、このレポートは本邦唯一!のものです。
「校長権限の強化」などという、できるはずのない掛け声のもと、なんでもかんでも校長の権限にしてしまい、なにもかも校長先生にご判断いただく風潮が蔓延しています。(たいていの人がそうであるように)その能力があるとは思えないのに数百人(ときに千人をこえる)の生徒と数十人(ときに百人をこえる)の教職員のすべてを掌握し判断し管理するという、そもそも不可能なことを期待された、ちっぽけな一個人が、虚勢を張り、祭り上げられ、その気になったり追い込まれたりしながら、張り切りすぎたり落胆したりしつつ、しばしば錯乱してお気の毒な醜態をさらしています。
おおくの校長先生たちが、精神に変調をきたし(当然です)、学校全体に悪影響が及んでいるのですが、それをチェックするはずの教育行政機関は、文科省文教部局は虎ノ門で原発推進部局にすらなめられつつ雲の上に浮遊し、都道府県・市町村の「教育委員会」は地方名士による月一回の据え膳会議だけで中身はなく、事務局の「教育庁」は半分は行政職の官僚主義、半分は校長プレか校長ポストの教育職員による当然ながら同レベルの無為無策ぶりです。なにかを期待するのは無理というものです。無理なくらいでやめておけばいいのに、文科省につっつかれて皆で「校長権限の強化」のお題目を唱えるのですから、混迷を深めるばかりです。(「保護者」と教職員については、一概に論じることはできませんから、いまは言及しません。)