2014年11月21日に衆議院が解散され、12月14日に総選挙がおこなわれる。この衆議院解散に関しては、任期を2年も残してあえて解散する必要性について多少の批判的報道はあったものの、もっともらしく垂れ流された「衆議院の解散は、総理大臣の専権事項である」という与党幹部らの言説について疑問を呈する報道はほとんどなかった。
衆議院が任期満了前に解散されるのはむしろ通例であり、しかも、不信任決議を受けた内閣が総辞職せず衆議院を解散するという日本国憲法第69条の規定にもとづくことさえまれであって、今回のように総理大臣ひとりの決断による一方的な抜き打ち解散があたり前のことになってしまっている。さらに、「一切考えていない」と言っておいて突然実行したとしても、解散に限ってはそのウソがとがめられることはなく、これまた当然のこととして肯定される始末である。日本社会においては、内閣総理大臣は「国権の最高機関」(憲法第41条)である国会の、しかも衆参両院のうち優越する側の衆議院を、何らの要件を満たすこともなく、理由なくいつでも解散することができるのである。
根拠の曖昧な「第7条解散」
上の図は日本の「三権分立」、とりわけ三権の相互抑制と均衡に関する、高校の公民科「政治・経済」教科書の説明図である(東京書籍〔302〕)。行政機関である「内閣」から立法機関である「国会」へと引かれた矢印に「衆議院の解散(7・69)」とある。日本国憲法第7条と第69条が、「衆議院の解散」の根拠規定だという意味である。第69条は、「内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。」というものであるが、今回の衆議院解散は内閣不信任決議をうけたものではないから、この第69条に基づくものではない。
11月21日、午前中に閣議で決定した詔書を、その日の午後、衆議院の議場で伊吹議長が「憲法第7条により、衆議院を解散する。御名御璽」と読み上げた(www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=44358)。第7条は、「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。」として、以下、「一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。 二 国会を召集すること。 三 衆議院を解散すること。 四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公 使の信任状を認証すること。」など10項目の「国事行為」について定めている(第4条が「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」と規定していることからも、第7条の規定は、限定列挙であり、「その他」もありうる例示列挙ではない)。
「一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること」についてみると、たとえば「憲法改正」であれば、憲法の規定にもとづいてすでに決定した憲法改正を、あとから天皇が「公布」するのであり、「法律」であれば憲法の規定にもとづいて国会が議決して、すでに成立した法律を、あとから天皇が「公布」するのである。「三 衆議院を解散すること」についていえば、憲法の規定にもとづいてすでに決定した「衆議院の解散」を、あとから天皇が宣するという意味である。
「憲法改正」であれば根拠条文は第9章・第96条であり、「法律」であれば根拠条文は第4章のとりわけ第59条である。同様に「衆議院の解散」であれば、前述の第69条である。「四」から「十」についても同様で、いずれの場合も「内閣の助言と承認」を経ておこなうものであるが、内閣は憲法上の明文規定にもとづき天皇に「助言」したり、その国事行為を「承認」したりする。
今回の「解散」のように、憲法に根拠規定のない「解散」が許されるという論理では、憲法第96条にもとづかない「憲法改正」の「公布」や、憲法第59条にもとづかない「法律」の「公布」も可能になってしまう。第7条に限定列挙された衆議院の「解散」の根拠が第7条だというのは循環論法であり、いかにしても成り立たない。
苫米地訴訟判決の統治行為論
「政治経済」教科書の記述をみると、たとえば第一学習社(301)は、「憲法第69条の規定によらずとも、内閣は衆議院を任意に解散できる(いわゆる7条解散)」と素っ気ない。実教出版(304)は、「内閣不信任の決議がなされた場合以外にも、総選挙のあと、国政上重要な問題が生じ、改めて民意を問う必要があると判断した場合、内閣は衆議院を解散することができる。」としている。しかし今回の場合、「国政上重要な問題が生じ、改めて民意を問う必要があると判断した場合」に該当する具体的争点があるともいえない。
著作者に京都大学の毛利透が加わっている数研出版(308)は、「『解散』の真実」というコラムを設けてもっとも踏み込んだ説明をしている。
憲法上、第69条による解散(69条解散)以外にも衆議院を解散できるのかについて明確な規定はない。実際には第7条3号(天皇の国事行為への助言と承認)を根拠に、不信任決議の成立がなくても内閣は独自の判断で解散できるとされている(7条解散)。新憲法下での内閣不信任案が可決された例は、1948・53・80・93年の4回で、いずれも内閣は10日以内に衆議院を解散した。なお、かつて7条解散の合憲性が問われたが、最高裁は統治行為論により憲法判断を回避した(1960年苫米地訴訟)。
苫米地訴訟判決はつぎのとおりである。(www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/530/053530_hanrei.pdf)
直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為のごときはたとえそれが法律上の争訟となり、これに対する有効無効の判断が法律上可能である場合であつても、かかる国家行為は裁判所の審査権の外にあ〔る〕。この司法権に対する制約は、結局、三権分立の原理に由来し、当該国家行為の高度の政治性、裁判所の司法機関としての性格、裁判に必然的に随伴する手続上の制約等にかんがみ、特定の明文による規定はないけれども、司法権の憲法上の本質に内在する制約と理解すべきである。
「政治・経済」教科書などでは、裁判所が「違憲立法審査権」を行使することで権力の相互抑制がはかられると説明されるのであるが、苫米地訴訟判決の論理はまったく逆で、「特定の明文による規定はない」のに「三権分立」原理を理由として、違憲立法審査権を放棄してしまうのである。
解散は、多くは内閣がその重要な政策、ひいては自己の存続に関して国民の総意を問わんとする場合に行われるものであつてその政治上の意義もまた極めて重大である。〔……〕かくのごとき行為について、その法律上の有効無効を審査することは司法裁判所の権限の外にありと解すべき〔である〕
「極めて政治性の高い国家統治の基本に関する行為」であればこそ憲法上の責務を果たすべき最高裁が、そのことを理由に判断を回避したのである。しかも「司法裁判所の権限の外」というのは議院内閣制の趣旨に反する倒錯した論理である。
ただし、最高裁は判断しないと言っているのであり、「第7条解散」は合憲だとしているのではないことに注意すべきである。
イギリスの任期固定制議会
イギリス(大ブリテンおよび北アイルランド連合王国)においては、王の家臣としての総理大臣が、徐々に議会による信任に依拠するようになり議院内閣制が形成された。これが日本の議院内閣制の範型となっていると言われてきたのであるが、延いては憲法上明確な規定を欠くにもかかわらず、日本の内閣総理大臣は、下院(衆議院)の解散権を行使するのは当然とされてきた。しかしイギリスでは総理大臣の議会解散権には厳格な制限がかけられていた。いわゆるラスルズ原則である。すなわち、つぎの3条件があると認める場合には、王は議会の解散を求める首相の要請を拒否する事態もあり得ることとされてきた。
君主が⑴任期中の議会が現に活動中であり、存続可能で、かつ、その職務を遂行する能力があること、⑵総選挙の施行により国の経済が損なわれること及び⑶下院に実質的な多数派を擁して相当期間政権を維持しうる別の首相を見出す見込みがあること。( 河島太朗「イギリスの 2011 年議会任期固定法 」国立国会図書館調査及び立法考査局、2012年、
dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_4023707_po_025402.pdf?contentNo=1)
この原則のもとでは、日本のような恣意的な議会解散の常態化、そこでの「伝家の宝刀」としての「専権事項」論の横行などはとうていありえない。しかもこれに限らず、イギリスでは2010年9月にいわゆる「任期固定制議会法 Fixed-term Parliaments Act」が成立して首相の解散権は大きく制限され、下院(庶民院)の任期は事実上5年間に固定された(次回の選挙は2015年5月におこなわれる)。
任期固定制議会、解散権の制限が出てくる背景の一つには、首相が自党に有利な時期に解散、総選挙に打って出るといった不公平があるからだとされる。すなわち、1945年の第2次大戦以降、1950年、55年、59 年、66年、74年10月、83年、87年、92年、2001年、2005年総選挙の10の総選挙で政権党が勝利し、敗北したのは、51年、64年、70年、74年 2 月、79 年、97年の 6 つの総選挙に過ぎず、しかも、64年総選挙、74年2月総選挙は僅差の敗北であり、政権党は敗北するよりも勝利する確率が高いといえる。そして、これは、首相の「自由」な解散(請求)権、すなわち、 自らに有利な時期に解散できる故であるとされるのである。 (小松浩「イギリス連立政権と解散権制限立法の成立」〔『立命館法学 341号』〕 2012年、www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/law/lex/12-1/komatsu.pdf)
内閣による議会解散権は、行政と立法の相互抑制・均衡に関する制度的問題であるとともに、むしろ与党対野党の政治的駆け引き、そこでの与党による「党利党略」追求の問題としても捉えるべきものであろう。今回の解散は、今後の内閣支持率の低下、与党の支持率の低下を見越して、「今のうちに」解散しておいて、2018年までの多数派の確保をめざす「自己チュー」解散だとの批判を受けている。このように衆議院解散が憲法の規定から大きく乖離して政権与党の恣意に委ねられている実態は、問い直されるべきであろう。