牛街清真寺

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 イスラムにおいては豚を食べることは禁じられます。この「牛街 ぎゅうがい」にはイスラム教徒のための牛や羊の肉屋が並んでいます(「街かど」のなかほどに写真があります)。ここに996年に建立されたモスクが牛街清真寺(牛街礼拝寺)です。この時点では、すでに唐滅亡(907年)後の分裂期(五代十国)は終わり、汴京開封府(べんけいかいほうふ)を首都とする宋(北宋、960-1127年)が成立していましたが、現在の北京を含む一帯(燕雲十六州、当時の農耕中国の最北端)は、長城のかなた(遊牧地帯)の契丹族(キタイ=Cathayの語源)の国家「遼」が、征服していました。

 遼は、現在の北京の中心市街地の南西部(左のGoogle Mapの左下付近)に副都「南京」を建設していました。牛街はその東部にあり、このモスクの東の法源寺の少し先が東側城壁だったようです(陳高華『元の大都』1984年、中公新書、p. 12.)。

 イスラムのモスクが中国で建設されると、中国風の木造建築様式になるだけでなく、驚くべきことに四合院様式の伽藍になります。伽藍は東から西の一番奥の礼拝大殿へと縦にふたつの四合院が重合するのですが(ほかに横つまり南北にも四合院が重合します)、仏教寺院なら鼓楼と鐘楼にあたるものが、石碑を覆う碑楼(南碑亭、北碑亭)として左右に配置されていました(孔子廟でも同様です)。西アジアのものとは似ても似つかないミナレット(「邦克楼」、日本では「光塔」、左の写真はイスタンブールのブルーモスクの林立するミナレット)もありました。

 前室との間のビニールのカーテンで中が見えない礼拝大殿の、はるか西方、7393kmの彼方はメッカです。西側の大通りに面して牌楼(はいろう)もあるのですが、すぐ内側が最奥部の礼拝大殿となっていて、入口としての用をなさないのが不思議です。