唐の太祖(李世民 り・せいみん=第2代皇帝 在626−49)が、高麗遠征の犠牲兵士の冥福をいのるため、この地に「憫忠寺」(びんちゅう=忠義の人をあわれむ)を建立しました。伽藍は明の中期、16世紀にそれまでの市域の南側に城壁をつくって拡張された際、その新たな城壁の中に入ることになります。名称も「崇福寺」を経て清の初めに法源寺となりました(陳高華『元の大都』)。写真のように、第三の主殿の「憫忠閣」が古い寺名を残しています。
隣接して「中国佛学院 The Buddhist Academy Of China 」(http://www.zgfxy.cn)が置かれています。これは、1953年に北京で創立された「中国仏教協会 The Buddhist Association of China」(本部=北京・広済寺)の人材育成機関です。「協会」は、日本や韓国の仏教界との交流もおこなっているとのことです(『新アジア仏教史』08巻、中国III、pp. 312-15.)。
春節最後の日でしたが、見物というのではなく熱心に礼拝する人々の姿が印象的でした(「礼拝」のページもご覧下さい)。
幾重にも重合する「四合院」様式の伽藍構成にも驚きました。日本ではせいぜいひとつかふたつしかない主殿が5つもあり、ひとびとはその都度、巨大な線香を3本ずつ掲げたうえ跪拝しているのでした。
正式名称は、十万普覚寺ですが、5.2mの釈迦涅槃像を安置するところから臥仏寺と呼ばれます。地図中の丸い大きな池のある頤和園(いわえん)のさらに西、第五環状道路の外郭の北京植物園北側にあります。
最奥の第四の主殿である蔵経閣をふくめ、主軸線の東側と西側の数多ある建物は公開されていません。見学できるのは縦横に重合する四合院の一部です。
春節も過ぎ、焼香する人もなく(禁止なのかもしれません)、見物客もまばらです。