旧城壁(現在の第二環状道路 地図中央のバルーン)から直線で12kmほど、永定河にかかる大理石製の橋で、修復はされたものの満州族の征服王朝である金王朝の時代に建設されたものです。ここには現在、隣接して鉄道橋と自動車用の新橋が架かっている交通の要衝です。(暴れ川「盧溝」またの名を「無定河」、これに康熙37年〔1698年〕大規模改修を施した際、願いを込めてあたえられた名称が、「永定河」です。http://www.geocities.jp/kjbmh507/daunga/bjshuili.htm)
金の皇帝・章宗(しょうそう)が選んだ「燕京八景」のひとつで、その「盧溝暁月」を700年後に清の乾隆帝が揮毫した石碑がたもとに立っています。
下の写真のなかにGoogleEarthの衛星写真を入れてありますが、永定河の東岸はかつての「宛平城」(城 = 城壁で防護された都市)です。城壁には日本軍による砲弾痕が多数あります。城内の「中国人民抗日戦争博物館」は、台湾での抗日戦争展示などのための拡張工事により休館中でした。